家に帰っても、お母さんたちは僕に対して普通に接した。
学校の話題を出すこともなく、僕を責めるわけでも、心配するわけでもなく。
なにごとも起きてなかったかのように。
僕は、自分の部屋に入ると、今更ながら後悔をした。
どうして、お母さんたちに話さなかったのか、どうして友達の萱に聞いてもらわなかったのか。
僕が悩んでいたことを知っているのは塚田先生だけだ。
しかも、僕が自ら訴えたわけではなく、先生が察してくれたから話したまでだ。
少しでも口にしていたら、恐らく僕は、今日あの場で孤独にはならなかっただろう。
でも、あれがセクハラなのかわからなかった。
ただ、嫌だ、不快だということを、どう話せば伝わったのか。
萱と話していく中で、自分の気持ちを整理して話すということを学んだはずなのに。
僕はLINEを開くと、萱にメッセージを送った。
――明日、聞いて欲しいことがある
聞いてもらったからといって、何かが解決するわけでもない。
それでも、味方が欲しかった。
――いいよー。なんかイイことあった?
萱の呑気な返信に、思わず声を出して笑った。
ああ、まだ笑える余裕があるんだ。
なんだか、それだけで少し気持ちが楽になっていた。
🔸🔸🔸
翌日、僕はビクビクしながらクラスの中で過ごした。
でも、戸谷先生から何かをされるわけでもなく、何事もなく一日が終わった。
僕は、萱と一緒に校舎を出る。
昨日、LINEで伝えたことを話すために。
「あらたまっちゃって、珍しいこともあるもんだ」
「そうか? 一年の時はよく帰りに寄り道してただろ」
「まあな。二年になった途端、予備校だ、部活だって、バラバラになること多くなったしな」
「うん」
駅の反対側にある、区立の図書館に向かった。
ここは、フリースペースがあり、飲み物を飲みながら話が出来る。
昼間はお年寄りや、疲れたサラリーマンが居座っていた。
「あー。涼しいー。生き返る!」
「夕方なのに、なんでこんなに暑いんだ? はい、コーラ」
「お! お前のおごりか?」
「うん。話を聞いてもらうから、おごってやる!」
「サンキュ!」
萱は喉を鳴らしながら、コーラを飲んだ。
そんな勢いで飲んだら、絶対ゲップが出るはず!
「げふっ」
「やっぱり、出たな」
「おお、気持ちよく出した」
二人で笑ってしまった。
こういうくだらない会話が楽しい。
「で、なんだよ」
「うん……」
あらたまると、どう話すべきか迷ってしまった。
あまり刺激的な話にはしたくないし、自分がいかに傷ついたかを主張したくもなかった。
一人で、逡巡していると萱が口を開いた。
「……戸谷のことだろ?」
「え! なんで!」
「……聞いてた。でも、お前が自分で言うまで黙ってた」
萱が知っていた?
でも、どうして?
「戸谷の何を知ってるんだよ」
「お前がセクハラに遭ってたこと」
「マジか……」
味方はすぐ目の前にいた。
萱は落ち着かないのか、ペットボトルを宙に一回転しては掴む動作を繰り返した。
「……コーラの蓋を開けたら炭酸が噴き出るぞ」
「ん? そうかー」
僕の言葉を気にするわけでもなく、続けていた。
「どうして知ったんだ」
「……塚田に聞かされた。お前と友達なんだから、助けてやれって」
「塚田先生が!」
思いがけない名前が出て、僕は持っていたペットボトルを落とした。
「でもさあ、どう助ければわかんなかったし。そもそも、お前は何も言わないのに、こっちから言うのもさ……」
「ディベート得意なくせに、そういうのは苦手なのかよ」
「おまっ……まあ、そうだな。基本、ディベートは対等なところから始まるからな。それとは違うだろ……。だから、ごめん。力になれなくて」
萱が謝ったことに、僕は鼻の奥がツンとした。
別に萱は悪くない。
僕が、心を開かなかっただけだ。
「謝るなよ。萱は何も悪いことしてないし。そもそも、僕が言いださなかったわけだし。あー、でもなんか安心した」
「何が?」
「味方がちゃんといてくれたことに」
僕の言葉に、萱は照れ臭そうな顔をした。
こんな顔、初めて見たかも。
「だから、昨日親が来てたんだろ? 俺、お前たちが校長室入っていくの見てたんだ」
「そう……。でも、上手く大人たちにやり込められた。子供ひとりじゃ太刀打ちできなかったよ」
「あいつは、シレっとしてんのか?」
「大げさな芝居を打って、お母さんたちはまんまと騙されてたよ」
今思い出しても、笑っちゃうほど下手な芝居だった。
でも、大人はそれを受け入れることで、深く考えることを放棄したんだ。
「進学校に、スキャンダルは困る。一生徒の訴えなんて、何百人もいる生徒たちからしたら迷惑でしかない。だから、無かったことにする。どうせ、あと一年半我慢すれば、厄介な生徒は卒業していく。大事なのは残っている生徒、これから受験してくる生徒だ。ってことだよ」
自分で言っていて、情けなくなっていた。
そのひとりの生徒を大事に出来なくて、何百人もの生徒を大事に出来るのだろうか?
「俺も戸谷を監視するよ。お前、呼び出しくらったら、俺に言えよ。一緒について行ってやる」
萱の声のトーンが少し変わった。
「マジで? そんなに男気あったっけ? 萱って?」
「戸谷ぐらいなら、俺は軽く論破できるぜ!」
「言ったな―。まあ、でもその通りだな」
僕は少し、恥ずかしくなってからかってしまった。
でも、もっと早く伝えれば良かったと後悔した。
僕は、友達でさえ信用していなかったということだ。
これも、全て塚田先生のおかげだ。
案の定、蓋を開けた途端、泡が溢れて慌てている萱を、僕は笑いながら見ていた。
学校の話題を出すこともなく、僕を責めるわけでも、心配するわけでもなく。
なにごとも起きてなかったかのように。
僕は、自分の部屋に入ると、今更ながら後悔をした。
どうして、お母さんたちに話さなかったのか、どうして友達の萱に聞いてもらわなかったのか。
僕が悩んでいたことを知っているのは塚田先生だけだ。
しかも、僕が自ら訴えたわけではなく、先生が察してくれたから話したまでだ。
少しでも口にしていたら、恐らく僕は、今日あの場で孤独にはならなかっただろう。
でも、あれがセクハラなのかわからなかった。
ただ、嫌だ、不快だということを、どう話せば伝わったのか。
萱と話していく中で、自分の気持ちを整理して話すということを学んだはずなのに。
僕はLINEを開くと、萱にメッセージを送った。
――明日、聞いて欲しいことがある
聞いてもらったからといって、何かが解決するわけでもない。
それでも、味方が欲しかった。
――いいよー。なんかイイことあった?
萱の呑気な返信に、思わず声を出して笑った。
ああ、まだ笑える余裕があるんだ。
なんだか、それだけで少し気持ちが楽になっていた。
🔸🔸🔸
翌日、僕はビクビクしながらクラスの中で過ごした。
でも、戸谷先生から何かをされるわけでもなく、何事もなく一日が終わった。
僕は、萱と一緒に校舎を出る。
昨日、LINEで伝えたことを話すために。
「あらたまっちゃって、珍しいこともあるもんだ」
「そうか? 一年の時はよく帰りに寄り道してただろ」
「まあな。二年になった途端、予備校だ、部活だって、バラバラになること多くなったしな」
「うん」
駅の反対側にある、区立の図書館に向かった。
ここは、フリースペースがあり、飲み物を飲みながら話が出来る。
昼間はお年寄りや、疲れたサラリーマンが居座っていた。
「あー。涼しいー。生き返る!」
「夕方なのに、なんでこんなに暑いんだ? はい、コーラ」
「お! お前のおごりか?」
「うん。話を聞いてもらうから、おごってやる!」
「サンキュ!」
萱は喉を鳴らしながら、コーラを飲んだ。
そんな勢いで飲んだら、絶対ゲップが出るはず!
「げふっ」
「やっぱり、出たな」
「おお、気持ちよく出した」
二人で笑ってしまった。
こういうくだらない会話が楽しい。
「で、なんだよ」
「うん……」
あらたまると、どう話すべきか迷ってしまった。
あまり刺激的な話にはしたくないし、自分がいかに傷ついたかを主張したくもなかった。
一人で、逡巡していると萱が口を開いた。
「……戸谷のことだろ?」
「え! なんで!」
「……聞いてた。でも、お前が自分で言うまで黙ってた」
萱が知っていた?
でも、どうして?
「戸谷の何を知ってるんだよ」
「お前がセクハラに遭ってたこと」
「マジか……」
味方はすぐ目の前にいた。
萱は落ち着かないのか、ペットボトルを宙に一回転しては掴む動作を繰り返した。
「……コーラの蓋を開けたら炭酸が噴き出るぞ」
「ん? そうかー」
僕の言葉を気にするわけでもなく、続けていた。
「どうして知ったんだ」
「……塚田に聞かされた。お前と友達なんだから、助けてやれって」
「塚田先生が!」
思いがけない名前が出て、僕は持っていたペットボトルを落とした。
「でもさあ、どう助ければわかんなかったし。そもそも、お前は何も言わないのに、こっちから言うのもさ……」
「ディベート得意なくせに、そういうのは苦手なのかよ」
「おまっ……まあ、そうだな。基本、ディベートは対等なところから始まるからな。それとは違うだろ……。だから、ごめん。力になれなくて」
萱が謝ったことに、僕は鼻の奥がツンとした。
別に萱は悪くない。
僕が、心を開かなかっただけだ。
「謝るなよ。萱は何も悪いことしてないし。そもそも、僕が言いださなかったわけだし。あー、でもなんか安心した」
「何が?」
「味方がちゃんといてくれたことに」
僕の言葉に、萱は照れ臭そうな顔をした。
こんな顔、初めて見たかも。
「だから、昨日親が来てたんだろ? 俺、お前たちが校長室入っていくの見てたんだ」
「そう……。でも、上手く大人たちにやり込められた。子供ひとりじゃ太刀打ちできなかったよ」
「あいつは、シレっとしてんのか?」
「大げさな芝居を打って、お母さんたちはまんまと騙されてたよ」
今思い出しても、笑っちゃうほど下手な芝居だった。
でも、大人はそれを受け入れることで、深く考えることを放棄したんだ。
「進学校に、スキャンダルは困る。一生徒の訴えなんて、何百人もいる生徒たちからしたら迷惑でしかない。だから、無かったことにする。どうせ、あと一年半我慢すれば、厄介な生徒は卒業していく。大事なのは残っている生徒、これから受験してくる生徒だ。ってことだよ」
自分で言っていて、情けなくなっていた。
そのひとりの生徒を大事に出来なくて、何百人もの生徒を大事に出来るのだろうか?
「俺も戸谷を監視するよ。お前、呼び出しくらったら、俺に言えよ。一緒について行ってやる」
萱の声のトーンが少し変わった。
「マジで? そんなに男気あったっけ? 萱って?」
「戸谷ぐらいなら、俺は軽く論破できるぜ!」
「言ったな―。まあ、でもその通りだな」
僕は少し、恥ずかしくなってからかってしまった。
でも、もっと早く伝えれば良かったと後悔した。
僕は、友達でさえ信用していなかったということだ。
これも、全て塚田先生のおかげだ。
案の定、蓋を開けた途端、泡が溢れて慌てている萱を、僕は笑いながら見ていた。



