晴れた日でも雨傘をさして

 お父さんに叩かれてから、親子の会話はなくなった。
 一方的に僕が会話をすることを拒否しているとも言える。
 学校がある日は、三人で朝ご飯は一緒に食べたけど、夏休み中の僕はひとりだけ朝早く起きてパンをトーストして食べた。
 すっかり、清里での早起きが習慣化してしまったのか、朝の5時に起きてくる僕に二人ともわかりやすいほど唖然としていた。
 パンを焼き、よしかずさんのブルーベリージャムをつけ、牛乳を沸かしてホットミルクにして飲む。
 ベーコンや目玉焼きがないのが寂しいけど、でも自分で出来ることはした。
 食べ終わったら洗って、拭いて仕舞う。
 全てそのまま再現している。
 僕が片付け終わった頃に、お母さんが起きてくる。
 僕は言葉を交わさないまま、自室に籠る。
 塚田先生からもらった野菜は冷蔵庫に入れてある。
 時々覗くと、減っているからお母さんは料理に使っているみたいだ。 

 昼間は図書館に行くといって、家を出て近所の区立の図書館に入り浸っている。
 家にいたら、いやでもお母さんと顔を合わさないといけないから。
 夏休みの図書館は人で溢れている。
 自習室にもなっている席を確保するには、開館直後に来ないとすぐに埋まってしまう。
 僕は扉の前に出来ている列に並ぶ。
 学生が大半だけど、サラリーマン風な人や、お年寄りも、みんな無言で図書館が開くのを待っている。
 一応、図書館で勉強はしていた。
 無駄に一日を過ごすことができなくなっていたのも、成長したうちのひとつかもしれない。
 昼食は、無駄遣いしないために食べたり、食べなかったり。
 それでなくても、清里での一週間で僕は痩せたみたいで、いつも履いていたジーンズが少しゆるくなっていた。
 
 夕方に家に戻り、部屋に籠って絵を描いた。
 まだまだ、迷っている部分もあり完成までには時間がかかりそうだった。
 夕飯は、お父さんが帰って来ると三人で食べた。
 そこでも、僕は黙々と箸を進めるだけで会話をするつもりはなかった。
 お父さんも、自分から話しかけるという努力をしなくなった。
 お母さんがイライラしているのは見ていればわかる。
 家の中で僕は透明人間になっていた。

🔸🔸🔸
 
「久しぶり! 柚、焼けてるなー」
「お前もな!」

 水曜日、萱と一週間ぶりに会った。
 僕と同じぐらい焼けてるくせに、開口一番軽口を叩く、いつもの萱だった。
 学校の最寄り駅にある図書館。
 いつも僕が入り浸っている図書館よりも、新しくて広い。
 僕らは、フリースペースに陣取り作戦会議をするつもりでいた。

「予備校行ってるのか?」
「うん、まあな。何にも変わらない生活に戻ってる。お前は?」
「……僕は近所の図書館で一日を過ごしてる」
「マジか? なら、予備校入ればいいのに」
「そういう話を親とするのが面倒くさい」
「まだ、喧嘩中か?」
「会話なんてしてないよ」
「ひょー! 遅れてきた反抗期!」
「萱!」

 萱は僕をからかうのが楽しくてしかたないみたいだ。
 でも、面と向かって誰かと会話をしていなかった僕の口は、今とても喜んでいた。
 珍しく、フリースペースにはサラリーマンやお年寄りの姿はなかった。
 ほとんど貸し切りのように、僕たち二人しかいない。
 萱はわざとらしく、大きく伸びをすると長いベンチに横になった。

「萱、行儀悪いぞ!」
「はぁ? いや、ここのベンチのクッションが気持ちいいなーってずっと思っててさ。これ、家にも欲しいわ」
「わかる! ベンチなのにこの座面のフワフワ感はなんなんだろうね」

 椅子やテーブルなどすべてがおしゃれで、快適だ。
 座り心地が良いから、サボりたいサラリーマンやお年寄りに人気なのもわかる。
 身体を起こすと、萱はバッグの中からタブレットを取り出した。

「そういえば、どうしてこのタブレットを清里に持っていかなかったんだ? 学校にも持っていってるのに」
「失くしたら嫌だなーって思ってさ。それにアナログに浸るのもいいと思って」

 確かに、僕たちはアナログな生活を送っていた。
 スマホも持っていたけど、ほとんど使うことなく一日を過ごしていた。

「でだ。ちょっと耳寄りな話が入ってきてさー」

 萱がニマニマと今まで見たことがない、悪い顔をした。

「なんだよ、その顔。何が耳寄りなんだ?」
「うん? あ、そういえば美瑛ちゃんとは上手くやってるか?」
「なんで急にその話になるんだよ! う、上手くやってるよ……毎日電話してるし……」
「うわー。ホントにお前らアオハルなんだな」
「ウルさい!」

 美瑛ちゃんとはLINEで連絡をすると、その後すぐに通話に切り替えてずっと話している。
 お互いのことは、まだまだ知らないことが多くて、幾らでも話せることはあった。
 美瑛ちゃんは、高校の担任の先生に連絡して夏休み明けに登校したいという気持ちを打ち明けた。親身になって、寄り添ってくれる良い先生らしい。
 それだけでも、僕は羨ましかった。
 っていうか、担任ってそういうもんじゃないのか?
 生徒の話を聞かずに、自分の思い通りにさせたり、頬を触ったり、二人だけになろうとしないはずだ。
 僕は美瑛ちゃんに、いかに戸谷先生がヒドイかを訴えていた。
 だから、萱が言うほど彼氏、彼女みたいなラブラブな感じでもないのかもしれない。

「ふーん。まあ、仲良くしとけよ。予備校でさ、戸谷を知っているやつがいたんだよ」
「どういうこと? ウチの生徒?」
「いや、その子のお兄さんがウチの生徒だったらしい」
「え! 卒業生ってこと?」
「そう。俺が海津高に行ってるって話したら、戸谷っている? って聞かれてさー」

 萱はタブレットに何かをタイピングすると、画面を僕に見せた。
 そこには、2022年、四年前の卒業写真が表示されていた。
 3年3組の生徒全員と校長に、戸谷先生が写っていた。
 萱は、最後列の一人を指さした。

「これが、その子の兄さん。清水川(しみずかわ)くん。今は東大生らしい」
「え……」

『以前もあったらしい。程度はわからないが、気に入った生徒に対して過剰な接触をしていたってことが。……結局、東大に入ったらしいから。ある程度受け入れてたのかもな』

 塚田先生が僕に話してくれた人がこの人?
 僕は、何かを手繰り寄せられた気持ちになっていた。