晴れた日でも雨傘をさして

 時間通りに、バスは新宿に着いた。
 僕もいつの間にか眠っていたようで、萱に起こされるとすでに、停留所が見えていた。
 少し寝ぼけたままバスを降りると、お母さんからLINEで待っている場所を指示された。

「萱も一緒に乗っていかないか? って聞かれてるけど、どうする?」
「俺はいいよ。お前たちのバトルに参加したくないし」
「車に乗って早々、喧嘩はしないよ! でも、気を遣わせるかも……」
「俺のことは気にするな。新宿からなら電車で10分だし、車よりも早いよ」

 萱をひとりで帰らせることが、なんだか気になってはいたけど、かといって萱が僕の親に対して気を遣わせるのも申し訳ない気もしてた。

「作戦練らないとなー。休み中に作戦会議しようぜ」
「うん。絶対にやろう! 萱が空いている時間を教えてよ。萱の方が忙しいだろうし」
「了解! じゃあな」
「バイバイ」

 萱は手を振ったまま、駅の中に入って行った。
 僕は大きく深呼吸をすると、お母さんが待っているホテルに向かった。

🔸🔸🔸

 ホテルのロビーで僕を見たお母さんの顔は、呆れた顔を通り越して、嫌なものを目にしたかのような嫌悪を表していた。
 僕にとっては想定内のリアクションだったため、何の躊躇もなくお母さんの目の前に立った。

「……どこの山奥にいたのよ。はぁー、本当にこれ以上お母さんを失望させないで。勉強もしないでそんなに真っ黒になって。来年は受験なのよ? 他の同級生は今、必死で受験に備えているでしょ。どうして、あなたは……」
「これ以上、ここで続ける気? みんな見てるよ。こんな野生児がホテルのロビーにいていいの?」

 僕はお母さんの言葉を遮った。
 僕を立たせたまま人が行き交う夏休みの新宿のホテルのロビーで、延々と小言を言い続けるお母さんの姿が想像できたから。
 恥をかくのは、僕じゃなくお母さんだ。
 お母さんは苛立つように、席を立つとそのままエレベーターに向かった。
 すれ違う人が、一瞬僕の顔を二度見している。
 そんなに黒いかな?
 でも、海に行った人だってこれくらいこんがりと焼けているはずなのに。
 後ろ姿からも、お母さんがぷりぷりと怒っているのがわかった。
 なんだか、それが可笑しくて僕は声を出さずに笑っていた。

「何かホテルで食べさせてくれると思ったのに。お腹が鳴ってる」
「何を呑気なこと言ってるの! そんな姿で入れてくれるレストランなんてありません!」
「それはお母さんの偏見だよ! 僕ぐらい焼けている人なんて山のようにいるよ?」
「バケーションで焼けた人と、あなたは違うでしょ?」
「それは差別だ!」
「柚!」

 僕は車に乗り込むと、自分でも驚くほどお母さんに対して口ごたえをしていた。
 今までの自分では考えられないほど、言葉がするすると出てくる。
 お母さんが、段々ヒステリックになってくるのがわかり、僕は口を閉じた。

「いったい、何の洗脳をされてきたの? あなたこんなに反抗的な態度はしなかったでしょ!」
「……ごめんなさい」

 もっと言いたいことはあったけど、ここは素直に謝った。
 お母さんをこれ以上刺激したくなかったし、ここで一戦を交えても先がない。

「んもうっ! ああ、イライラする!」

 お母さんはブツブツ文句を言いながら、車のエンジンをかけた。

 家に着くと、すでにお父さんは会社から帰って来ていた。
 僕は荷物を置くと、リビングのテーブルにお父さんと向かい合って座った。

「勝手に、家を出てごめんなさい……」
「……高校生にもなって、嘘を吐いてまで行きたかったのか?」

 お父さんは、お母さんと違い冷静に言葉を繋いだ。
 だから、僕もなるべく言葉を選んで話そうと思った。

「僕は家出をしたんだ。だから、そもそも言うつもりはなかった」
「家出って、そんなの小学生がすることだろ! 高校生なら行き先を告げればお父さんたちも反対はしなかったぞ」
「そういう話じゃなくて……この場から逃げたかった」

 エスケープ=逃げるという言葉を使いたくはなかったけど、お父さんたちが理解できるのはこの言葉しかないと思っていた。
 お父さんはため息を吐くと、テーブルの上で組んでいた手を放した。

「逃げたかったのは、学校のことと関係しているのか?」
「え……」
「受験から逃げたかったってことなのか?」

 僕は一瞬、期待していた。
 戸谷先生のことを、少しは理解してくれたのかと。
 でも、お父さんの考えは受験というわかりやすい記号に落とし込まれていた。

「……違う。けど、お父さんたちにはわからないよ」
「あの先生に洗脳されたんでしょ? 上手い話を持ち掛けられてそれで、行ったのよね? そんな真っ黒になるまで何をされていたの!」

 お母さんの声がウルさい。
 僕は、お父さんと静かに話したかった。

「塚田と言ったかな? あの人のことは校長先生にも伝えておいたから、何かしら処分が下されるだろう」
「処分って何だよ……」
「さあ、それは学校側の事情だからお父さんたちには関係ない」
「言ったよね、塚田先生は僕が無理やりお願いしたから……」
「お前がお願いしようが、なにしようが、職を追われている教師が受け入れていい話じゃない。そこは、断るのが大人のすることだ!」

 冷静に話そうと思っていた僕の心臓の鼓動が早くなった。
 理不尽なことも受け入れようと思っていたけど、でもこれは反論しないと。
 だって、僕は塚田先生を守るんだから。

「……大人という都合の良いワードで全部を括らないでよ。それぞれの事情は違うのに……そんな大人のルールなんてクソくらえだ!」
「柚!」

 いきなり頬が熱くなり、目がチカチカする。
 目の前のお父さんが震えていた。
 お父さんに叩かれた、僕の右頬はジンジンと脈を打っていた。