晴れた日でも雨傘をさして

 僕は昼食を食べずに、二階に上がった。
 まともに、塚田先生やよしかずさんと顔を合わせることができなかった。
 萱も後に続いて上がってくると、おもむろにデイバックやボストンバッグに、部屋にあるものを仕舞いだした。

「萱……」
「もう無理だよ。俺たちはここに居る資格はない」

 淡々と話しながら、荷物を詰めていく萱を僕はただ、見ていた。
 萱は怒っているようにも、呆れているようにも見えて、僕は何も言えなかった。
 窓の外が急に暗くなっていた。
 さっきまで、あんなに晴れ渡っていたのに。
 そのうち、ゴロゴロと雷が遠くで鳴り始めると、窓にポツポツと滴が当たりだした。
 ここに来て一週間、初めて雨が降っている。
 僕は、林に帽子を置き忘れたことを思いだして、一階に駆け降りた。

「島谷くん、どこに行くの?」
「林に、帽子を忘れてきたので」
「そんなのいいよ。今出ちゃダメだよ。雷が鳴ってるし、ここでは高い建物がないから、落ちることもあるんだ。だから、絶対に出ないで!」

 よしかずさんに強い口調で止められた。
 でも、明日帰らなければいけないなら、二人に借りた帽子は返したかった。

「それに、こういう雨は一時間もすれば止むから。ちょっと待っていればいいよ」
「はい……」

 リビングにはよしかずさんしかいなかった。
 塚田先生は部屋にいるのかな……
 僕は、よしかずさんにも謝りたかった。
 今回の件で、関係ないのに一番迷惑をかけたのはよしかずさんだと思うから。

「お騒がせして、すみませんでした……」
「僕のことは気にしなくていいよ。ちょっと話ができる?」

 僕は一瞬躊躇したが、よしかずさんと話す機会ももう無いかもしれないと思い、頷いた。

「それぞれの立場で言い分が違うとは思うけど。僕は萱くんが言ったことが一番ピンときた」
「ピンときた?」
「ああ、言い方違うかな。納得できた」
「そうなんですか?」

 よしかずさんは、口角を上げたまま頷いている。

「萱らしい突き放した言い方でしたけど、僕もそうだよなとは思いました」
「うん。あれは塚さんの悪い点をズバって言いあてたよね。スゴイね、17歳なのにね」

 雷は鳴り響き、窓の外は雨の勢いで真っ白に見える。
 でも、壁や天井に当たる雨粒の音は、自分の家よりも優しく聞こえた。

「僕は塚さんにはもう逃げてほしくないんだよね。だから、島谷くんが言ったまだエスケープするんですかは、僕の胸にずしーんと重く響いたよ。ホントにその通りだから」
「エラそうなこと言ってすみません」
「島谷くんだから言える言葉だったんじゃない? 僕とのことで塚さんが学校を休職しなければならなかったことは、僕自身納得できないし、怒りが湧いてくる。何がどう伝わったのか知らないけど、でもそれは明らかに差別だよ。だけど、僕も塚さんと同じ立場になろうと思って、会社を辞めたんだ」
「え!」

 僕の驚きの声と同時に今までで一番大きな雷の音がして、思わず僕は首をすくめた。
 まるで、僕の真情を代弁してくれるようなタイミングに、ちょっと笑えた。

「すごい雷だったね、どっかに落ちたかな? そう、辞めて、ここに移り住んで本格的に農業を始めた。でもね、僕は塚さんには先生に戻って欲しいと思ってる」
「はい。僕もずっと先生が戻って来るのを待ってます」
「なんでも逃げればいい話じゃない。自己犠牲なんて自己欺瞞と同じだよ」

 自己欺瞞……それはそれで厳しい例えだと思った。
 でも、塚田先生とよしかずさんの間だからこそ、言える言葉なのだろうか。

「だから、萱くんも島谷くんも、正しいことを塚さんに言ってくれて嬉しかった。彼は先生職が大好きなんだよ。愛する生徒にそれだけ言われたら、奮起しないとね」
「……でも、それを妨害する人達がいます。僕の親を筆頭に……だから、僕が謝るしかないんです」

 よしかずさんは、一点を見つめて口を閉じた。
 僕は次に、よしかずさんが何を言うかをじっと待った。

執迷不悔(ヅァッマイバッフイ)
「え?」
「中国の四字熟語。物分かりが悪いとか頑固とかわりとネガティブに使われるんだけど、逆に、自分の信念に後悔せずに進むというポジティブな捉え方もあって。僕は塚さんにぴったりな言葉だなと思ってるんだ」
「……確かに。人から見た自分と自分自身との乖離ですね」

 執迷不悔……よしかずさんがチラシの裏にボールペンで書いてくれた。それは僕にも、美瑛ちゃんにも、萱にも当てはまる言葉だと思った。

「だから、塚さんにはエスケープせずに闘って欲しいんだ。島谷くんや萱くんが、ここまで塚さんのことを思ってくれているなら」
「はい。僕も大して戦力にならないかもしれませんが、援護射撃はします!」
「頼もしいね!」

 よしかずさんの、塚田先生への思いに、胸が熱くなった。
 妨害する人がいるなら、闘うまでだ。
 それが負け戦だとしても、やらない後悔はしない。

「あ、雨あがったよ!」

 真っ白だった窓の外に、オレンジ色の光が射していた。