晴れた日でも雨傘をさして

 夕飯を食べて、食器を洗っている時に塚田先生に声を掛けた。

「先生、お話できますか?」
「おー、とうとう俺に順番が回ってきたか」
「え?」
「インタビューだろ、やろう、やろう」

 塚田先生は、僕が何も言っていないのにすでにウキウキしているようで、大きな身体を揺らしていた。
 それを見ていたよしかずさんが、呆れたような声を出した。

「塚さんは、しゃべるのも好きだけど、人に自分のことを聞かれるのも好きなんだよ。だから、僕が島谷くんにインタビューされていたことに少し嫉妬していた」
「よしかずー、それをバラすなよー」
「嫉妬ですか?」

 よしかずさんから出てくる言葉は、良い意味で塚田先生のイメージを変えた。
 大らかで、ガサツな面もあるから、些細なことは気にしないのかと思っていたけど、意外と嫉妬深くて、拗ねたりもする。
 なんだか、大型犬みたいだな。

「俺はいつでも準備万端だぞ」
「じゃあ、これを洗い終わったらお願いします」
「おー!」

 クスクスと、よしかずさんが笑っていた。
 
🔸🔸🔸

 塚田先生はソファに座っている僕の目の前にアイスクリームを出した。

「近くの農家さんの手作りだ。夕飯食った後に食べると、よしかずから怒られるから内緒な」

 塚田先生は、アイスのカップを嬉しそうに持って隣に座った。
 僕もカップの蓋を外して、スプーンですくうと口に入れた。
 ねっとりとした柔らかさと、バニラの優しい甘さが口の中に広がった。

「美味しい! 手作りなんですか? すごいですね。でも、どうして夜に食べちゃダメなんですか?」
「ん? これ以上体重を増やすなってことだろ。小姑並みにうるさいんだよ、あいつは」

 口では悪く言ってるけど、なんだか嬉しそうに見えた。
 よしかずさんも、塚田先生のことを話すたびに嬉しそうにしている。

「どういう関係なんだ? って思ってるだろ」
「え! なんでわかるんですか……」
「島谷は心の中で思っていることが、わりと顔に出やすいよなー」
「……よく言われます」

 先生は「ああ、終わっちゃった」と言って名残惜しそうにカップの中を丹念にスプーンですくっていた。
 僕はまだ、ふたくちしか食べてないというのに。

「……同志かな? どっちも故郷を捨ててきたという共通項はある」
「同志……。よしかずさんの香港の話は聞きました。先生も故郷を捨てたんですか? でも今はここに戻ってきてますよね?」
「まあ、俺しか残ってないからな。親父が死んでから貸し出していたけど、そろそろ過去を断ち切ろうと思ってな。で、戻って来た」
「過去ですか?」

 先生はソファにもたれかかりながら、リビングの端から端までぐるっと顔を回すと、立ち上がり、空になったアイスのカップを持ってキッチンに行った。
 僕もそれに釣られて、目で追ってしまった。
 ここは、先生が生まれ育った家。
 先生は、僕と自分用にグラスに入った麦茶を持ってくると、隣に座った。

「親父とは中学の頃から上手く意思疎通ができなくなった。親父は自分の思い通りに俺をコントロールしたがったが、俺はことあるごとに反発していた。絵を描くということが、最も揉めた原因でもある。それに……」
「それに?」

 先生は音を鳴らして、麦茶を飲んだ。

「……もっとも大きな原因は俺のセクシャリティだ」
「え?」

 やっぱり、僕は隠したいことについて踏み込み過ぎていると焦った。
 先生が全てを僕に話す必要はない。
 話している先生の表情は、いつもと変わらない。
 でも、それが僕を余計に不安にさせた。

「まあ、この話はいいか。そんなこんなで音信不通になって早、二十年って感じなんだよ」
「は、はあ」

 僕は早々に、話題を切り上げられて内心ホッとしていた。
 だって、先生の話を僕はきっと掘り下げることはできないから。

「だから、島谷が戸谷とご両親の間で葛藤していることは、俺は理解しているつもりだ。親がこうであって欲しいと思う息子像を、お前に無意識に植え付けようとしているなら、それは間違っていると思う」

 先生の言葉に、僕の心臓がトクんと鳴った。
 僕がずっと言語化できなかったことを、先生が言ってくれた。

「そう、そうなんです。本当の僕を親は見ようとはしないんです。僕は、顔が好みで大人しいからといって、セクハラをされたくないし、勉強するよりも絵を描いていたいし、ちゃんと生徒のことを見守ってくれている塚田先生を休職させるような学校を信用してないし、だから……」

 言いたいことが溢れているのに、言葉が追い付いていかないことがもどかしい。

「だから、家出してきました!」

 言い放った僕は、ソファの背もたれに深く沈んだ。
 このタイミングで言うはずじゃなかったけど、理性よりも感情が勝った結果だった。