晴れた日でも雨傘をさして

 萱とはあれ以上、親の事については話をしていない。
 僕が何か言える立場でもなかった。
 だから、萱が何かを言わない限り僕から口を出すのはやめようと思っていた。
 でも、いつこの家出を止めるかということは話し合う必要はありそうだ。

「さっき、下でよしかずさんと何話してたんだ?」

 テーブルで中国語のノートに何かを書きながら、萱が僕に聞いた。
 萱はいつでも、どこでも勉強する時間を作るのが上手いなと感心する。

「うん。よしかずさんがどうして香港に帰らずに日本にいるのかって話。すごく気軽に聞いちゃったのが間違いだってぐらい、重い話だった」
「そっか。俺もちょこっと聞いた。デモの話だろ?」
「そうそう。僕たちの『エスケープ』とよしかずさんの『エスケープ』の定義とでは雲泥の差があるなって思った」

 萱は、シャーペンの芯を出したり、戻したり、カチカチ鳴らしながら何かを考えているように見えた。

「でも、俺たちの『エスケープ』だって俺たちにとっては深刻なものだぞ。誰かの定義に当てはめる必要はないだろ。人それぞれ事情は違うんだからさ」
「……確かに」
「じゃあ、塚田先生の『エスケープ』って何だろうな? 休職するほどの理由があるってことだろ?」

 僕もそれが一番気になっていた。
 萱もそこは知りたいのかな?

「教えてくれるかな?」
「そうだなー。教え子としては教えてくれないかもしれないけど、一人の人間としてなら教えてくれるかもな」
「そんなに、選別必要か?」
「休職中といっても、まだ教師だぞ。そこは天秤に掛けるだろうよ」

 萱の大人びた分析に、僕はあまり同意が出来なかった。
 塚田先生の性格からして、相手の立場で駆け引きをするようには思えなかった。

「まあ、お前と先生の仲ならそんなもん、全部取っ払うかもなー」

 そう言うと、萱はノートに目を移した。
 どちらにしても、塚田先生は最後に回そうと思った。
 
🔸🔸🔸

 農作業に休日はない。
 今日は日曜日だけど、休むことなく毎日のルーティンが始まる。
 すっかり、僕も萱も野菜の収穫の選別も、野菜の泥落としも、草刈りも、たい肥を撒くことにも慣れていた。
 もうすぐ、一週間になる。
 そろそろ、萱の家に泊まっているという理由にも無理が出てきそうだ。

 午後の作業が終わって、ログハウスに戻ると美瑛ちゃんが手作りのお菓子を持ってきていた。
 僕はチャンスとばかりに、インタビューが出来るか正面突破した。

「え……インタビューって何?」
「……みんなにしてるんだけど」
「島谷は、女子の気持ちがわかってないなー」
「え、どういう意味ですか?」

 塚田先生に突っ込まれると、美瑛ちゃんが足早に家を出て行ってしまった。

「え、ちょっと待って」
「ほら、追いかけろ! アオハルしに行け!」
「先生―、言い方古いですよー」
「そうか?」

 萱と先生が笑っている中、僕はとりあえず追いかけることにした。
 正直、こんな青春ごっこをするつもりはないんだけど……
 美瑛ちゃんは、細くて小さいのに、驚くほど足が速い。
 運動が苦手な僕は、ぜーぜー言いながら走っていた。
 いきなり、美瑛ちゃんの足が止まったので僕はなんとか追いつけた。
 ちょっと、カッコ悪いかも……

「足速いね……」
「……中学の時陸上部だったから」
「そうなの? いやー、キッつ……」

 僕は情けないけど、林の中の草むらに座り込んだ。
 涼しい風が吹いてくる。
 草がちょっと湿っていて、お尻が濡れそうだけど。
 美瑛ちゃんは少し離れた、大き目な石に座った。
 それにしても気持ちが良い。
 ゆさゆさと風で木が大きく揺れて、鳥の鳴き声しか聞こえない。
 ずっと、畑とログハウスの往復しかしてなかったから、ここが清里の高原だということを忘れていた。
 美瑛ちゃんは、黙ったまま上を向いて木が揺れるのを見ている。

「立ち止まってくれたってことは、インタビューしていいのかな?」
「……嫌なことじゃなければ」

 正直、そこは微妙だった。
 そもそも、隠したいことを聞くわけで、それはイコール嫌なことかもしれない。

「話したくなかったら、話さなくていいよ。僕には聞く権利はないから」

 美瑛ちゃんはこくんと頷いた。

「この前、僕の傘の絵を見て隠したいことがあるから傘を描くんでしょって言ったよね。美瑛ちゃんにも隠したいことはあるの?」

 美瑛ちゃんは僕のことをじっと見ていた。
 いや、実際にはキャップに隠れて目は見えないから、見てるかどうかわからないけど、それでも僕に顔は向けてくれている。

「……どうしてそれを島谷くんに言わないといけないの」
「うん、そうだね。だから、言いたくないなら言わないでいいよ。このインタビューは終わらせる」

 もっともな返答をされて、僕はこれ以上立ち入ることはやめた。
 立ち上がろうとすると、美瑛ちゃんが小さくため息をつくと、口を開いた。

「……善意で言われたことが、自分にとって悪意に満ちた言葉でしかないって思ったことある?」
「え?」

 美瑛ちゃんの声に力が入っていた。
 今まで、ささやくような弱い声しか聞いたことがなかった僕は、そのギャップに驚いた。