晴れた日でも雨傘をさして

 塚田先生は採れたての野菜を道の駅に置いてもらうために、近所の農家さんのところに出掛けて行った。
 ログハウスにはよしかずさんと、僕らだけが残った。
 早速、萱がよしかずさんに質問を始めた。

「よしかずさんは、塚田先生とはずっと前から知り合いだったんですか?」
「ん? なに? 僕に質問する気?」
「え、ダメですか」
「いいけど。面白い答えは出ないよ」
「問題ないっす。ウケを狙って欲しいわけじゃないんで」

 よしかずさんは、畑で採れたブルーベリーをジャムにするといって、砂糖と煮ていた。煮詰まったものを、ヘラでつぶしている。
 
「僕は日本の大学に留学していて、そのまま日本で就職しました。もう、日本に来て10年以上」
「えー、だからそんなに流ちょうなんですね」
「そうかな? でも発音がヘンな時もあるよ」

 ブルーベリーが段々、つぶれていくのを見るのが気持ち良い。
 僕はずっと、よしかずさんが動かすヘラから目が離せなかった。

「塚さんとは就職してから知り合って……うん、長いね」
 
 よしかずさんが『塚さん』と口にすると、何故か嬉しそうな表情を浮かべたのが不思議だった。

「じゃあ、日本の永住権を取得するんですか?」
「うーん、資格はあるけど、どうかな。でも……」

 よしかずさんの手が止まった。

「……もう戻れないんだよね」
「え? 香港にですか?」

 よしかずさんは萱の質問には答えず、口元だけで微笑んだ。
 僕はなんだか、それ以上聞いてはいけないような気持ちになっていた。

「塚田先生とはいつからここで農作業しているんですか? 僕たちそれが不思議で」
「そ、そうなんすよ。先生が休職してまだ一ヶ月も経ってないのに、すでにここで何年も生活している人に見えたんで」

 萱も僕の質問に乗ってくれた。
 よしかずさんは、さっきとは違い、全顔で微笑んでいる。

「ああ、元々このロッジは塚さんのお父さんが住んでたとこ」
「は? えー、ここは塚田先生の実家なんですか?」
「ってことは、先生はここを継いだってことですか?」
「継いだ? うーん、他の人が借りていたのを自分のものにした? ってことかな」

 塚田先生は、清里の生まれなのか。
 よしかずさんは、潰し終わったブルーベリーを小さなガラス瓶に入れ始める。

「やってみる?」
「いいんですか?」

 あまりにも僕がヘラの動きを注視していたのが気になったのか、よしかずさんが瓶詰めをやらせてくれた。
 トロトロしたブルーベリーをこぼさないように、ガラス瓶に入れていく。
 僕が作ったわけでもないのに、ガラス瓶が紫色に染まっていくのが気持ち良い。

「美味しそう」
「お家に持って帰れば? 二人の分もあるよ」

 お家と言われて、思わず僕と萱は顔を合わせた。
 そのタイミングの良さに、ちょっと笑ってしまったけど。

「あ、ありがとうございます」

 4つのガラス瓶に全てのブルーベリージャムが収まった。

「島谷くんの絵は好きだよ」

 僕が空になったブルーベリーが入っていたボウルを洗おうとすると、よしかずさんにそう言われた。

「ホントですか? え、先生は何枚ぐらいよしかずさんに見せたんですか?」
「うーん。3枚ぐらいかな。でも、あの雨傘とあじさいの絵が一番好き」
「ああ、でも暗いですよね……あじさいって本当は青とか紫とか雨に映える色だし、雨傘もカラフルにするべきなのに」

 自分でもわかっていて、あえて暗い色を塗った。
 絵に自分の心の声が反映することを、あの時初めて知った。

「でも、僕の真情にすごくマッチしたから感動した。雨傘はカラフルなものじゃない……」
「え……」

 よしかずさんは、独り言のようにつぶやくとキッチンから出ていき、萱に声を掛けた。

「じゃあ、勉強する?」
「はい、お願いします! 広東語も一緒に教えてください」
「好、好」

 僕は、よしかずさんが言った『雨傘はカラフルなものじゃない』という言葉に妙に引っかかった。
 あの絵を見て、そこに視点を向けた人は初めてだったから。
 自分の絵を見た人の感想をもっと聞きたい。
 どう捉えているのか知りたくなっていた。