「うーん……?」
ひとみは、斜め上を見て首を傾げた。
『出口』
そう、大きく書かれた標識があるから、とりあえずこのまま改札を出ることに問題はなさそうだ。
だが、悩むのはその先。
右方面にはサクラなんちゃら、という大きな施設があり、左方面にもストリーム、という何かがある。
いや本当に、「何か」と表現するしか無いくらい、何も分からないのだ。
それもそのはず。
ひとみは仕事の一環で、今日、福岡から東京にやってきたのだ。
それも、今回降り立ったのは、渋谷。
池袋や浅草なら、別件で訪れたことはあるのだが、渋谷は学生の頃に一度訪れたっきり。
「もう何年前のことよ……」
スクランブル交差点の人の多さにたじろぐばかりで、ろくにショッピングも出来なかった当時のことを思い出す。
ひとみはふう、と小さく息を吐くと歩き出し、スマートフォンを改札にかざした。
ピッ、と小気味よく音は鳴ってくれて、つつがなく狭い通路を通り抜ける。
さて、時刻は午前11時。
長時間の移動で、お腹も空いてきた頃合いだ。
「ちょっと早いけれど、お昼ご飯にしようかな」
ひとみはキャリーケースを傍に引き寄せ、出口正面の案内板とにらめっこをする。
だが、ぱっと見て知ってる建物の名前はない。
ひとまず右手側、サクラなんとかの方に顔を向ける。
ネオンサインが煌々と輝く、いかにも「若者向け」の雰囲気が満ちていた。
──ちょっと気が引けちゃうな。
ひとみは諦め、反対方向に顔を向けた。
全体的にダークな色合いで、落ち着いた様子が覗える。
直感で、こちらの方が居心地が良さそうだった。
「こっちに行ってみよう」
ひとみはキャリーケースを転がしながら、改札口から左手に向かって歩き出す。
しばらくして。
「わあ……!」
ひとみは感嘆のため息を漏らした。
どうやらひとみが抜けた改札口は、開発されたばかりの新し目のスポットらしく、向かった先もとても綺麗な商業施設だった。
グレーの壁が、シックで落ち着いた空気を醸し出している。
さらに、至る所に観葉植物やベンチが設置されていて、吹いていく風を心地よく感じられた。
「渋谷ってこんな風になってたんだ……!」
数年前の記憶とは幾分異なる呼吸のしやすさに、ひとみはテンションを上げた。
周囲を見渡せば、海外の旅行客も沢山居て、そのおかげで飲食店の種類も豊富である。
何を頂くか、とても迷うが────。
「先にお手洗い、行っとこう」
時間的に、食事の後だと混みそうだと判断して、『Toilet』の表記目指して歩を進める。
用を済ませ、手を洗ったあとは、手直し用のコーナーで、ほんの少し乱れた髪を手直しする。
手で漉くと、少し透け感のある茶色の髪が、するりと指の隙間から抜けていった。
今日は前日入りで、ホテルに一泊。
明日から仕事のため、今のひとみは私服だ。
せっかく都会に出るのだからと、きれいめの茶色のワンピースに、黒いカーディガンを羽織り、小さな石のついたサンダルを履いている。
すらりとした体型のひとみがヒールのある靴を履けば、それだけで存在感が増す。
ラメやアイラインが落ちていないかをチェックするひとみに、何人かの女の子が視線を注いだ。
「よし、大丈夫!」
自身の万全の状態に幾らか満足すると、ひとみはトイレを後にし、本格的にお店を探し始めた。
見れば見るほど、どこも美味しそうで、大層食欲が刺激される。
「どこにしようかな……」
飲食店ばかりが並ぶ通りを一通り練り歩き、昼食を真剣に吟味した。
結果、ひとみはとある店へと真っ直ぐに向かって行く。
お洒落な雰囲気のパスタ専門店?今流行りの韓国チゲ?それとも優雅に、高級雑炊も良いな。
そしてひとみは、一つのお店のドアをくぐった。
目の前にある券売機で、一番売りの商品を押し、お金を入れて店員さんに渡す。
「三種のラー油入り味噌ラーメン一丁!!」
店員さんが、大きな声を張り上げる。
「うぇーい!」
厨房の中からも、威勢のいい返事。
カウンターの一人席に案内されたひとみは、一番奥を選び、スツールに腰を掛けた。
そう。ひとみが選んだのは、味噌ラーメン屋。
──だってトンコツ以外、食べてみたいじゃん!?
コップに入ったお水を飲みながら、ひとみはワクワクと厨房内を眺める。
東南アジア系の店員さんが多いが、手際が良い。
前の客の注文の麺が、茹で上がったことを知らせるタイマーの音に、ひとみは期待を膨らませた。
しばらくして。
「お待たせしました」
目の前に、ラーメンが運ばれてくる。
ことり、と器を置いて去っていく店員さんを見送って、ひとみは箸を手に取り、呟いた。
「いただきますっ!」
茶色の濃いスープに、チャーシューが幾つか。
それに、変わっているのは玉ねぎとわかめのトッピングだ。
中央に山のように盛られた七味と、スープに広がるラー油の赤いカラーリングが、一気に食欲を促進させる。
堪らず、ずずず、と少し太い麺をすすり込んだ。
スープが絡んで、しっかり味噌の味がする。
「美味しい……!」
思わず呟いた直後、あ、と思い出して、レンゲでスープを掬う。
一口飲むと、味噌の濃い味が口いっぱいに広がった。
束の間、シンプルな風味を楽しんだひとみは、次は、山盛りになっている唐辛子たちとラー油を一気に混ぜ込んだ。
辛味の追加だ。
芳醇な味噌スープにピリッとした辛さが加わり、旨さが倍増する。
「うーん、おいしすぎる……」
汗が出たって、ひとみは箸を止めない。
というより、止められないのだ。
トッピングの玉ねぎもシャキシャキとして歯ごたえがあるし、わかめも口直しに丁度良い。
食べれば食べるほどに、お腹が空いてしまう。
と、ここで、ひとみはあるものに気が付いた。
──きくらげ、あるやん……!
テーブルに置かれた、追加トッピング用の瓶。その中には、ひとみの大好きなきくらげが入っていたのだ。
遠慮なく、小さなトングできくらげを摘み、器のなかに放り込む。
そして、麺と一緒に頬張った。
「…………!」
きくらげのこりこりとした食感と、味噌スープの絡んだ麺が絶妙にマッチしている。
きくらげって味噌ラーメンにも合うんだ。このコンビなら、きくらげ界の覇権取れるんじゃない?
そんなことを考えている内に、とうとう麺もトッピングも、目の前の器から消失してしまった。
「きっと、ご飯と一緒に食べたら美味しいんだろうなあ……」
が、胃袋的に、限界だ。
ひとみは名残惜しそうに残ったスープを眺める。
そして、グラスにお水を注いで一息に飲み干すと、咳をたった。
「ありがとうございましたー!」
少しぎこちない日本語でお見送りをしてくれる店員さんに、ひとみは笑顔を向ける。
そして、言った。
「ごちそうさまでした」
店を出ると、外が涼しく感じた。
きっと、ファンデーションやハイライトは、汗で幾らか落ちてしまっていることだろう。
でも、それでいい。
それでも、いいのだ。
キャリーケースをごろごろと引き、ひとみはぴんと背筋を伸ばして、宿泊先のホテルへと足を向けた。



