「いただきますっ!」  ひとみの一人出張ご飯


 都内、某ビルの会議室の中。


「今回の打ち合わせは、以上となります。お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


 取引先の言葉に、ぺこり、とひとみ──人見ひとみは頭を下げる。
 途端に、それまで引き締まっていた空気が、一気に緩んだ。


「いやあ人見さん、遠くからわざわざありがとうございます」


 にこにこと口を開いたのは、相手企業のチームリーダーだ。ひとみも笑顔で手を横に振り、応じる。


「いえ、私も現物をこの目で見てみたかったものですから」


 福岡にあるひとみの会社と、東京にある某企業とでタッグを組み、新商品を作ることになったのは半年前のこと。

 それから紆余曲折、森羅万象あったものの、とうとう実際に制作段階に移ったのだ。

 そうして試作品が出来たとの知らせを受け、急遽ひとみは飛行機で東京は新宿まで飛んできたのだ。


「それにしても、人見さんは若いのにしっかりしてらっしゃる。博多美人は皆、そうなのかなあ」


 ひとみより20は歳上であろう相手方の男性は、嬉しそうにそう言う。



 ──普通にセクハラやないか!


 
 ひとみは内心で怒声を上げるが、表ではにこやかに対応した。


「いえいえ、私なんてまだまだです。これからもご指導ご鞭撻を頂けたらと思います」


 にっこりと微笑む。
 すると、周囲の男性陣は見惚れたかのように、ぼうっとした顔つきになった。






 ビルを出て、先方に見送ってもらった頃には、既に空は茜色になっていた。
 途端、胃が空腹を訴え始める。

 打ち合わせがうまくいったのも相まって、今はとても開放的な気分だ。


「何か食べてから、ホテルに戻ろう」


 ひとみは一人決心すると、駅の方に向かって歩き始めた。

 カツカツカツ、と、少し高いヒールの音が鳴る。
 だがそれも、周囲の喧騒に紛れて、すぐに消えていった。

 しかし、若者や旅行客が多い中、ネイビーのスーツをびしっと着こなしたひとみの存在感までは、消せなかった。

 歩くたびに揺れるポニーテールを見送る男性が、何人いたか、ひとみは知らない。


 今、ひとみにとって大事なことは、どこで、何を食べるか、ということだけだった。


 スマートフォンでおすすめの店を探せば、山のように情報が出てきた。
 何度か画面をスクロールし、そしてひとみはある一点に目を輝かせる。



 ──ここにしよう。



 ひとみは迷いなく、その店に向かって歩を進める。


 新宿駅の近くには、多くのお洒落な店がある。
 ルミネの中には勿論、その周囲にも、大人向けの店舗が無数に存在する。

 イタリアンか、フレンチか。はたまた落ち着いた料亭か。

 きっとひとみにふさわしいのは、その辺りだろう。


「ここだ……!」


 ひとみは頭上に掲げられた看板に、思わず感嘆の声を発した。
 そこに書かれていたのは。


──『思い出横丁』。


 ほんの少し萎縮しながら、でもやっぱりわくわくとしながら、煙と掛け声が立ち込める店群の中に足を踏み入れる。


「いらっしゃいませー!いらっしゃいませー!」


「お姉さん、席空いてるよ!二階席もあるよ!」


「ハイボール注文入りましたあー!!」


 そこは、居酒屋通り。

 お客さん同士の話し声、笑い声もさることながら、店員たちの威勢がとても良く、賑やかさに一役買っている。

 活気に満ちた狭い通りを、ひとみは一店舗ずつ吟味しながら歩いた。

 どの店も、代わり映えはしない焼き鳥屋さん風だが、よく見ると、店内の雰囲気が異なる。



 ……どこにしようかな。



 ひとみが眉を下げた時だ。


「お席空いてますよー!」


 一人の女性従業員が、大きな声と共にひとみへと笑いかけた。
 その笑顔につられて、思わず尋ねる。


「一人ですけど良いですか?」


「大丈夫です!」


「じゃあ……、お願いします」


 女性の勢いに乗せられて入店し、カウンター席へと案内してもらう。
 
 かなり忙しそうなお店だ。
 ほぼ満席で、キッチンもホール担当も、慌ただしく動き回っている。

 なるべく店員さんの時間を取らないようにと、ひとみはメニューを開いた。

 そして、数分悩んで決めた料理を、最初のドリンクを訊きに来た店員さんに、一緒に告げる。



 しばらくして。

「失礼します!生ビールです!」

 目の間にどん、と置かれた黄金の液体。きめ細やかな泡が絶妙なバランスで注がれており、ひとみはもう待ちきれなかった。


「いただきますっ!」


 冷えたグラスを手に取り、ぐびりぐびり、と生ビールを煽る。
 強い炭酸と麦の苦味が、頑張った自分を最高に褒め称えてくれている気分だった。

 と、すかさず。


「もつ煮込みと、煮玉子です」


 料理が乗った小皿がことり、と置かれた。
 ひとみが注文した3つの料理のうちの2つ。


「やっぱり東京といえばもつ煮込みだよねえ」


 ひとみはくたくたになるまで煮込まれたもつを摘み上げながら、独りごちる。

 煮込みに煮込まれたもつは、口のなかに入れるとあっという間に消えていった。


「おいし……」


 次に、ひとみはころりと皿の中で鎮座している煮玉子に箸をのばす。
 煮玉子はどこでも食べられるが、何よりひとみの大好物なのだ。

 しかも。


「同じ味だ……!」


 半分に割った玉子を口に入れたひとみは、目を見開いた。
 もつと同じ出汁で煮込まれているのだろう。
 九州に居ては、なかなか味わえない煮玉子となっていた。


「おいしいーーー!」


 悶えつつ、再びビールを一口。
 次にぷるぷるのもつを食べては、さらにビールを決め込む。

 そうこうしていると、ビールのグラスが空っぽになってしまった。



 ──次、何飲もうかな。



 そんなことを考えていると、タイミングを見計らったようにホールのお兄さんが声をかけてきてくれる。


「お次、何にしますか?」


 一瞬だけレモンチューハイと悩んだひとみだが、


「梅ハイボール、お願いします」


 と、告げた。

 間もなくお兄さんが持ってきてくれた透明な焼酎ハイボールの中には、何かが沈んでいる。

 梅干しだ。

 紀州南高梅が一つ、丸ごとごろりと入っていた。
 どうやらそれを、自分で崩しながら飲むようだ。

 梅肉が浮かぶまでマドラーで梅干しを刺し、ハイボールを啜る。

 シンプルな焼酎と、これまたシンプルな梅のしょっぱさが、さっぱりとした飲みやすさを演出していた。


「うま……っ」


 ビールと梅ハイボールのおかげで、みるみると煮込みと玉子を食べ終えてしまう。

 そうしてとうとう、お待ちかねのメインがやってきた。


「お待たせしました、リブステーキです!」


 表面はしっかりと、だが中心は赤身の、塩コショウがまぶされたリブのステーキ。
 ひとみはメニューを見たときから、何となく、これを食べたいと思ったのだ。

 わさびににんにく、そしてソースまでついていて、味変し放題。

 わずか6切れしかないステーキを、どの味で食べるか悩みに悩む。

 だが結局、濃い肉の味と、かつ、丁度いいバランスの塩コショウがかかったそのままの状態が最も美味しいという結論に至り、半分はそのまま頂いてしまう。

 こうして、ひとみが注文したものは全て食べ終わってしまった。


 だが。



 もうちょっと食べたいかも……。



 そう考えてしまった矢先、従業員のお姉さんが他のテーブルに持っていったメニューに目が吸い寄せられた。


 焼きおにぎりだ。


 こんがりと網目がついたそれは、シメを欲していたひとみの胸を見事に射抜いた。


「焼きおにぎり、お願いします」


 ホールの店員さんを呼び、追加注文をする。

 10分ほど待つと、焼きおにぎりは運ばれてきた。
 焼き立てのおにぎりに、すぐに箸をつける。

 案の定、パリパリに焼けたお米が醤油の香りを放って、美味しいのなんの。
 締めだというのにもう一杯、追加でお酒を頼みたいくらいだ。
 しかし、スープも付いているので、それは一旦我慢。あんまり飲み過ぎると、カロリーが心配だ。

 なんの変哲もない中華スープだが、ほろ酔いの身体にはとんでもなく染みた。

 夢中になって焼きおにぎりを堪能していると、隣の席に外国人の女性が新たに座った。

 あまり日本語に慣れてないのか、たどたどしく注文をしている。
 しかし、従業員のお兄さんはそれでも困ることなく、慣れた様子で会話をしていた。



 東京のホール担当さんたちは、英語もできなきゃダメなんだな。



 などと、ひとみが感心していると、


「……and, riceball」


 と、聞こえた。
 指でも一瞬、ひとみの焼きおにぎりを指していたので、間違いない。

 ひとみの食べている焼きおにぎりを見て、彼女もまた、焼きおにぎりが食べたくなったのだろう。

 ひとみはそれがなんだか嬉しくて、頬を緩める。

 ぐい、とスープを飲み干すと、


「ごちそうさまでした」


 と、手を合わせた。
 お会計をして、店を出る。





 まだまだ思い出横丁は、沢山の人で賑わっていた。


 様々な人種の方達とすれ違いながら、ひとみはふと思う。



 これだけ、多くの人がいれば考え方も信じる物も、異なって当然だろう、と。
 
 でも今日、隣の女性と同じ物を食べたいと思ったように。

 きっと世界は、些細なことで繋がれるのではないだろうか。


 そう、例えば、焼きおにぎりみたいな。





 ひとみのポニーテールの髪は、吹いていく風に揺れた。
 その風は、思い出横丁の焼き鳥を焼く煙とともに、世界中を旅するのだろう。