流星群は生きる希望になりますか?

土砂降りの歩道橋を踏みしめて、雨が道路に流れ続ける歩道橋の上に侵入する。
死なないと。
今すぐ死なないと。
18歳の私なんて、大人になった私なんて、もう要らない。

「……——!!」

高架上の手すりに手をかける。
ここから落ちたら楽になれる?ああでも、海に行った方が確実かな。
雨が町を白く染める。私が手すりから身を乗り出そうとした瞬間、雨を切り裂く様な声が鼓膜を劈いた。

「みくる!!」

視界が反転して、足が地面から浮いた。
雨で冷えた体に熱が伝染する。斗愛が私を抱き締めて、一緒に高架上のコンクリートに倒れ込む。
両肩を掴んで上体を起こされる。肩を弾ませた斗愛が、私を鋭く射抜いた。

「何してるんだ!?」
「い、いやっ!離して!離してよ斗愛!!」

ハッと我に返った私は斗愛の腕の中でもがく。私よりも華奢な筈なのに、どうしてか斗愛の手は解けなかった。

「大人になりたくない!もう生きたくないの!!」
「みくるはそれで良いの!?」

コンクリートに叩きつける雨音よりも鋭い斗愛の声が、私の体の奥まで反響する。

「夢が見つかったんじゃないのか!?叶えられないまま、死んでも良いのかよ!?」
「……でも!でも私分かんない!!」

口の中に雨が入って来る。それにむせ返りながらも、声を限界まで張り上げた。

「夢も目標も持っちゃ駄目なら、どうやって生きたらいいか分かんないよ!!」
「分からないから大人になるんだよ!!」

その言葉を聴いた瞬間、激しい雨粒の音も感覚も、一瞬感じられなくなった。
”分からないから、大人になる”……?

「僕達は夢を叶える為に——生きる希望を見つける為に大人になるんだ!18歳は1人で自分の生き方を選べる!親なんて、周りからの評価なんて関係無い!大人は、自分の意志でなんだって出来るんだよ!!」
「私の、意志……?」

斗愛が両肩を掴む手に力を込める。
雨で冷やされた体が、斗愛の体温で熱を取り戻す。

「幸せに過ごせるはずだった何十年を、今手放して本当にいいのかよ!?」
「……っ!!」

斗愛が私を抱きしめる。
絶対に離さないと言う様に強く、強く腕の中に閉じ込められる。
痛い。熱い。それなのに——私は、斗愛の腕に震える指をひっかけていた。

「生きろ」

耳元で、斗愛の弾んだ息がかかる。

「生きろみくる」
「斗、愛……」
「僕は僕を生きる事を諦めない。だから、みくるも一緒に生きよう」
「斗愛、私……わたし……っ!」
「生き抜いて夢を叶えたら、大人になって良かったって思える日が必ず来る」
「……なんで、そんな風に言えるの?」

声が震える。私の顔から流れ落ちる水が、雨なのか涙なのか分からない。
斗愛が私の肩口に顔を寄せて口を開いた。

「言えるよ。だって僕は信じているから」

斗愛の声が体の中に染み込む。温かい吐息が、重なった体から伝わる心臓の鼓動がぬくもりを伝えてくれる。

「”良い事は、生きて明日を迎えなければやってこない”ってね」

その言葉に、私の目尻から熱い涙が一筋零れ落ちた。
喉がカラカラになって言葉が上手く出てこない。それでも、私は震える唇を開いた。

「わたし……夢、叶えられるかな?」

斗愛を抱きしめ返す両手に力を込める。
斗愛のシャツは水を含んでいて、強く握りしめれば指の隙間から雨水が滴り落ちた。

「ちゃんと、大人になれるかな?」
「みくるなら叶えられるよ。一緒に大人になろう」

斗愛がそっと体を離す。
その瞬間、叩きつける雨足がふっと弱まった。
斗愛が瞳を細める。雨粒が斗愛のショートヘアを伝って、アスファルトに弾ける。

「絶対、生きている方が楽しいんだからさ」

無邪気に笑う斗愛の後ろで、緑色の流星がきらりと光った。
雨が上がる。
豪雨が過ぎ去った夜空に、流れ星が瞬き始める。

「あ」

流星群だ。
鮮やかなエメラルドグリーンの軌道を描いて、空から幾つもの星が降って来る。
次第に空を覆っていた黒い雲が散り散りになって夜空に溶け消える。それに代わって、白い星々が空を埋め尽くし始める。その間から、ペルセウス座流星群が光跡を紡いでは溶け消える。
それは、星月夜の涙の様にも見えた。
晴れ渡る空に光る流星群を、私は呆然と見上げた。

「みくる」

ゆっくりと首を回して、高架上で座り込む斗愛を見る。
斗愛は笑っていた。少年にも少女にも見える顔で。星を反射する黒い瞳が、にっこりと弧を描いた。

「ほら、さっそく良い事あった」
「……あ」
「さっき死んでいたら、この景色は見られなかったんだよ」

斗愛の言葉に、私の頬に一筋の涙が伝う。
俯いて涙を拭うと、口角が無意識に上がった。
……ああそっか。生き続けるって、こういう事なんだね。
私は顔を上げる。斗愛に、今出来る1番の笑顔を向けて。

「ねえ、斗愛」
「うん」
「来年も再来年も、ずーっと斗愛と流星群が見たい。……一緒に、見てくれる?」
「もちろん。……これから毎年、一緒に見よう」

雨で少しふやけた手で、斗愛の手をきゅっと握りしめる。
斗愛が私の手を握り返す。その温かくて華奢な手が、今生きている事を実感させてくれる。
流星群の流れ落ちる夜空を背に、私は満面の笑みを浮かべる。
私たちを祝福する様に、エメラルドグリーンの流星が空に煌めいた——。



それから家に帰って、私は進路希望に家から通える美容の専門学校の名前を書いた。
夏休みの内に、伊坂先生の所に行って奨学金の申請方法も教わった。1人で奨学金を借りてでも叶えたい夢が出来たから。18歳になった私には、それが出来るから。
お母さんには反対された。でもこれだけは、譲れない私の夢だ。

夏が終わった季節はあっという間に過ぎ去った。
私は美容の専門学校に、斗愛は都内の理系学部に進学した。
高校を卒業して、進学してまた卒業して。
桜の季節に就職した私たちは、しがみつく様にがむしゃらに仕事に打ち込んだ。

そして、大人になった私はお盆休みにこの地元に戻って来た。
8月11日の深夜。私は斗愛と流星群を見たあの歩道橋を目指して歩いていた。
白のシャツブラウスに黒のセミタイトスカート。ハイヒールを控え目に鳴らしながら星がまばらに散る夜空を見上げる。
海から潮風が吹いて、磯の香りと一緒に湿った空気を流していく。
ワンハンドルバッグの中からスマホを取り出して、ディスプレイをタップする。
そのまま耳元に宛がえば、すぐに繋がった。

「もしもし?そろそろ着くよ~」
『僕はもう上に居るよ』
「え、もう上がってるの?」
『うん。今日は格別に星が綺麗だから』

電話越しの中性的な声は相変わらずで、私は小走りで歩道橋を上って高架上に足を踏み入れた。
……あ、見つけた。

「斗愛!」

通話を切って斗愛に向かって手を振る。
手すりに頬杖を突いて夜空を見上げていた斗愛が、スマホの電源を落として私に体を向けた。

「みくる。……やっと会えたね」

久しぶりに会う斗愛は、黒のパンツスタイルのスーツ姿だった。夜風にさらりと流れるショートカットと、月に照らされた瞼に塗られたグレーのアイシャドウが繊細な輝きを宿している。
私は駆け寄って、斗愛の隣で微笑んだ。

「久しぶり!あ~、なんだかんだ3年くらい会えなかったよねえ」
「でも、離れていてもこの日は空から流星群を見ていたよ」
「……うん。私も」

社会人になって、休みの日もなかなか会わなくて学生時代とは比べ物にならないくらい会えない時間が長くなった。
でも、連絡はずっと取り合っていた。
会えなくても、8月12日にはお互いの空を見上げながら通話していた。
いつの間にか、斗愛とペルセウス座流星群を見る事が私の生きる希望になっていたから。
2人並んで、澄んだ空気の中で満天の星空を見上げる。

「今年は帰省の時期が被って良かったよ」
「ほんとだよね!あーやっぱりさ、夏は夜に会うに限るよ~」
「もう深夜に歩いていても補導される年じゃないからね」
「あ!あったあった!2人乗りして青切符切られてさ~、生徒指導室まで呼び出されちゃったよね」
「そうそう。思い返せばあれも良い思い出だよね」

斗愛がくしゃりと笑う。
電話越しだとよく話していたけど、直接会うのは久しぶり。それなのに、話が弾んで思わず時間を忘れそうになってしまう。
うだる様な暑さの中でも、海から吹く潮風が髪を靡かせるくらいの丁度良い強さで吹いてくれる。
ふと会話が途切れたタイミングで、斗愛が袖をまくって時計を見る。そして、私を見てふっと微笑んだ。

「みくる、そろそろだよ」
「あ、本当だ」

時計を確認すると、長針と短針が12の場所でぴったりと重なった。
私の頭より少し高い場所から、柔らかい声が降って来る。

「28歳の誕生日おめでとう、みくる」
「ありがとう!斗愛」

だから私は、満面の笑みでお礼を言った。
空にエメラルドクリーンの星が瞬いて、一筋の星が滑り落ちる。それを合図に、星空の溢れる空に流星群が幾重も重なる。
空の涙の様なペルセウス座流星群は、やっぱり私のお気に入りだ。
私は手すりから両腕を伸ばして、ぐぐっと伸びをする。

「あ~この年になってさあ、やっと大人の実感が湧いてきたよお」
「そうなの?もっと前から、みくるは大人っぽかったけど」
「私にそんな事言うの斗愛だけだよ」
「そんな事ないよ」

学生の時と変わらない真っすぐな目で見つめられれば、頬を掻いて照れ笑いを浮かべてしまう。

「えへへ。……ありがとう」

体勢を戻して、斗愛の視線を受け止める。

「斗愛、私ね——」

これを言うのはちょっと恥ずかしいけど、あの日私を救ってくれた斗愛に今、伝えたいって思った。
海風を含んだ空気を肺に流し込んで、流星群を瞳に反射させながら弾ける様に笑った。

「大人になれて、夢を叶えられて本当に良かった!」

大人は私の想像以上にずっと大変で、苦しい事も辛い事も、数えるのが嫌になっちゃうくらいあった。
でも、夢に向かって大人としてもがいていた時間は、確かに私の生きる希望だった。
斗愛が目を三日月みたいに細めて笑う。
流星群から降り注ぐ艶を纏って、凛としながらも無邪気に。
私たちはペルセウス座流星群の下で微笑み合って、夏の夜の再会を喜んだ。

これからも私は、”大人の私”を謳歌する。
大切な人と、胸の中で光る夢と一緒にずっと——。

END.