流星群は生きる希望になりますか?

それから、私はバイトしたり、たまに思い出した様に宿題をしながら夏休みを過ごした。
斗愛とは連絡先を交換して、暇があったらチャットを投げ合った。
2人で話すのは楽しいし、夢に向かって勉強している斗愛は画面越しでもキラキラしているのが伝わってくる。

「……私もキラキラしたいな」

斗愛とのチャットを開く。

『お母さんに美容の専門学校行きたいって言ってみようかな』
『良いと思う。オープンキャンパスとかさ、行ってみるのもアリだよ』
『私が行きたいって言ったらさ、斗愛一緒に行ってくれる?』
『もちろん』
『本当!?じゃあさ、私予約してみる!ここの近くにある専門学校なんだけど、日程合わせようよ!』

私はベッドから起き上がってスマホで美容の専門学校のサイトを検索して、オープンキャンパスの日程を調べ始めた。

『いつに無く積極的だね』
『オープンキャンパスはタダだからね~!』

そう打ち込んで、私はハッとした。
今までの私だったら、自分で検索して予約なんてしようとも思わなかった。
でも今、自然に体が動いている。……夢が見つかったから?
だったら嬉しい。今なら、私なりの大人への一歩を踏み出してみたいって思える。
壁に掛けられた時計を見る。

8月11日。
最後の子供の日に、私は意を決して部屋から廊下に繋がる扉を開いた。
空には暗雲が立ち込めて、分厚い雲が今にも雨を降らしそうに日の光を覆っていた——。



『今夜は広範囲に雨雲が接近する予報になっております。警戒区域以外も、外出をしないようにお願いいたします。なお、洪水の心配は今の所ありません——』

今日もリビングで頬杖を突いて小さいテレビを見つめるお母さんに向かって、私は声を掛けた。

「お、お母さん」

お母さんが振り返る。その下がった睫毛の隙間から覗く暗い瞳に心臓がドクリと跳ねる。喉の渇きをつばを飲み込んで抑えて、お母さんに向かって1歩踏み出した。

「し、進路希望書かなきゃいけないの。夏休みの間に」
「それで?」

お母さんから発される声は掠れて乾いている。お母さんは掛け持ちで働いてくれているからいつも疲れている。でも、今だけはそれを無視して口を開いた。

「私、美容の専門学校に行ってみたいの」

なるべく声が震えない様に、胸の前の服をキュッと掴んで空気を震わせた。
お母さんの黒い瞳が私を捕らえる。カサついて切れた唇を蠢かせて、はあ、と大きくため息を吐いた。

「それで生計が立つと本気で思っているの?」
「が、頑張るから!」
「そんな甘い考えなら今すぐ捨てなさい」

急に肩が重くなって、目の前がちかちかし始める。
無意識に、一歩後退る。
肌の奥で心臓がうるさく鳴り始める。怖い。それでも勇気を振り絞って、私はたどたどしく唇を開いた。

「で、でもお母さん。私やっと、やりたいかもって思える夢が出来て……っ!」
「進学したいって?あんた、うちにそんな余裕あると思ってんの?」
「そ、それは……」
「奨学金を申請して、家を出て全部自力でやるっていうなら勝手にしなさい」
「……っ」
「あんたは私に似て馬鹿なんだから。身の丈に合った普通の生き方をすれば良いの」

突き放す様な物言いに、唇を噛んで黙り込む。
お母さんの言葉が頭の中をぐるぐると巡る。

「あんたも明日で18歳なんだから、いい加減大人になりなさい」

大人。その言葉が私の胸を深く抉る。
カチコチと鳴る時計の音が嫌に耳に付く。私が子供で居られる時間が、ジリジリと削られる。
お母さんが椅子から立ち上がってテレビの電源を切り落す。
静寂のリビングを覆う様に外から雨音がする。そのままリビングを出て行こうとするお母さんに向かって、声を張り上げる。

「待って!ねえ、お母さんにとって……大人って何?」

お母さんは着古された薄い上着を羽織って、視線だけを私に投げた。

「諦める事よ」
「あきら、める……?」
「夢も理想も諦めて妥協して、周りの顔色を窺って身の丈に合った生活をする事」
「……っ」
「夢なんて現実の邪魔になるだけなんだから、今の内に捨てなさい」

錆びたシャフトのビニール傘を持って、お母さんは玄関扉を開けた。
星の見えない空には雨が叩きつけている。それにため息を吐きながら、お母さんは夜勤のバイトに向かって行く。

「戸締りだけちゃんとして、大人しく寝てなさいね」

私を見もしないで、お母さんはガチャリと扉を閉めて出て行った。
私はその場に立ち尽くした。何も、言えなかった。
薄暗い電灯の下で俯けば、肩から黒髪が流れて蛍光灯の僅かな光も遮断した。

「何もかも、諦める……?」

明日になったら、私はそんな大人になるの?
諦めて、自分の出来る事だけやって、誰が決めたか分からない"普通"を目指してもがき続けるの?……いつか死ぬまで、ずっと?

「やだ」

無意識に否定の言葉が口から滑り落ちる。言葉はカーペットに吸い込まれて、消えてなくなった。
そんなのが大人なら、大人になんてなりたくない。
夢を持っちゃいけないなら、私はどうやって生きていけばいいの?

バッと振り返って階段を駆け上る。
自室に滑り込むと、充電ケーブルに差しっぱなしのスマホを掴んで斗愛のスマホに電話した。でも。

『お掛けになった電話番号は電波の届かない所にあるか、電源が入っていない為、繋がりません』

「……あ」

力無く通話終了のアイコンをタップする。
そういえば、夜は塾だよね。斗愛は夢に向かって、頑張ってるんだよね。
私は……。私は?

「教えて」

誰か教えて。
大人になるってどういう事?
外は風が吹き付け、部屋の薄い窓をガタガタと容赦無く叩く。
だんだん雨音が激しくなって、濁流の様な雨の矢が私の心にも突き刺さる様な錯覚を起こす。
目に映る床が滲んでよく見えない。浅い呼吸を繰り返して、縋る様にスマホを握る手がカタカタと小刻みに震え出す。
カチカチと時計の針が進む。

「やめて」

明日にならないで。8月12日に……私の誕生日にならないで。
そんな思いとは裏腹に、時計の針が12の数字に重なった。

「あ」

その瞬間、スマホが着信音を鳴らした。
ゆっくりとスマホを眼前に持ってくる。クラスの友達のグループチャットだ。ピコピコと軽い音を立てて、何個もメッセージが更新される。
私は、震える手でそれをタップした。

『みくる~~!誕生日おめでとう!!』

その文字列に、思わずスマホを取り落としそうになった。
手の平に汗が滲む。

『大人の仲間入りだねみくる!』
『大人デビューおめでとう!』
『大人になったんだから、そのぽわぽわした態度も直さなきゃダメだぞ~笑』
『そうそう(笑)。天然が許されるのなんて子供だけなんだからさ』
『もう大人になっちゃったんだから、自覚持ってしっかりね!』

「ヒッ……!!」

手からスマホが零れ落ちる。ガシャン!とフローリングの床に通知の鳴り止まないスマホが跳ねた。
嫌だ、嫌だ、いやだ……!!
スマホのロック画面は8月12日の0:01を示している。見たくなくて、強引に私服のポケットにスマホをねじ込む。
私、18歳になっちゃった。
大人になっちゃった。

「返して!!」

1分前の、ああもう3分前?
返して、子供の私を返して。
頭の中が真っ白になる。
外に打ち付けているはずの土砂降りの雨音も、部屋を満たしていた冷たい秒針の音も、体の中心から激しく脈打つ心臓の音にかき消される。
視界が暗くなって、フローリングの床の目地が歪んで見える。
五感が無くなってしまいそうな感覚を振り払う様に、髪をぐしゃりと掴みながら叫んだ。

「私を大人って言わないで!!」

がくがくと震える足を無理矢理動かして、衝動のままに部屋から出て階段を駆け下りる。
力任せに玄関扉を掴んで開ける。
漆黒の夜空に雨が叩き付ける歩道に向かって、私は駆け出した。



肌を刺す様な豪雨の中をがむしゃらに走る。
強いペトリコールの匂いが地面から飛んで来る。叩き付ける雨の隙間から、ポケットの中のスマホから受信音が鳴る。
歩道橋の前で立ち止まって、スマホを取り出す。
斗愛だ。
私は、通話アイコンをタップして耳に宛がった。

『あ、もしもしみくる?ゴメン塾で電源切ってた。……何かあった?』
「斗愛……」
『みくる?ゴメン、ちょっと雨風の音が強すぎてよく聴こえない』
「私、やっぱり無理」
『ねえ、雨音強すぎない?今どこに居るの?……まさか、外じゃないよね?』
「斗愛。私の夢、無くなっちゃった」
『……え?』
「お母さんが駄目だって。大人になって、現実見てって」

大粒の雨がとめどなく降り注ぐ空を振り仰ぐ。
黒髪が肌にへばりつく。服が水分を吸って、私の体に重く纏わりつく。

「ねえ斗愛、空が暗いの。高架上からも、流星群が見えないよ」
『みくる?……みくる!?どこに居るの!?高架上?』
「——流星群も生きる希望も、見えないの」

私は歩道橋の階段の端にスマホを滑り落とした。
スマホがコンクリートに跳ねた音も、何も、聴こえなかった。

To be continued——