雨花は今日も朝早めに登校した。
職員室の前を通るとき、先生たちの話し声が聞こえてきた。
「困ったもんですねえ、二学期の始めからずっとですよ」
数学の若い男性教師、池口先生の声だ。
「昨日も、私が持ってきたおはぎがなくなっていましたよ」
とおっとりした白滝先生の声。
白滝先生は何故だか面白がっているような口調だ。
「一体誰の仕業でしょうか……」
今度は国語の少し年配の男性教師、上田先生だ。
「一応生徒たちにも聞いてみますかねえ」
池口先生がそう言ったのを聞き届けると、雨花はそっと職員室から離れ、自分の教室へ向かった。
静かにドアを開けるとやはり既にラオがいた。
「あ、おはよ!」
ラオはいつも通り窓辺に寄りかかっている。
「ん、おはよう」
雨花も挨拶を返す。
「お前いっつも朝練行ってないやろ?」
「あー、まあね」
雨花はそう答えながら苦笑いする。
鼓中学校は最初強制的に部活に入らないといけない。
しかも生徒数が少ないのもあり、ほぼ選択肢がなく、唯一運動部でない文化部という名の帰宅部に入ると、先輩達に目をつけられるという、よくわからない噂まである。
スポーツに興味のない雨花は、内心理不尽だと憤りを感じていたのもあり、三年生の怖い先輩たちが引退してからは割と自由に振る舞っていた。
ラオはニヤッと笑って茶化してくる。
「サボりやな」
「いいの! やる気ないし。そっちこそ行ってないじゃん」
「はは、まあな。だいたいオレ、死神なのになんで部活入ってるんやろな」
「そういえば確かに……なんで?」
ラオは肩を竦めた。
「オレにもわからん。まあ、剣道は生きてたときもやってたし……前からこの鼓中で死神はやってたんやけど、新学期から何故か二年B組の生徒として混ざることになったんよ。普通は死神が人間と混ざって生活することなんて、ないんやけど……。オレみたいに、まだ子供の死神とかには、たまにこういうことがあるらしい」
「へえ、じゃあ普通はずっと死神のままなんだね。本当になんでなんだろう?」
「さあな」
雨花は急にそわそわし始めた。
「あ、あのさ……ちょっと気になることがあるんだけど……」
「なに?」
雨花はチラチラとラオの表情を窺いながら、口を開いた。
「えっと……ラオはなんで、死神になったの?」
「…………」
しんと静まり返った。
雨花はしまったと内心激しく後悔した。
死神は罪を犯した人間がなるものだ。
自ら自分の犯した罪を話したがるわけがない。
「あ、あの、ごめん! すごく失礼なこと聞いて、その——」
「そんなこと聞いて、どうするん?」
ラオは死神のときのように、暗い表情でつぶやいた。
「本当に……ごめん」
雨花はしょんぼりと謝った。
自分はなんて無神経なんだろう——と罪悪感でいっぱいになった。
(なにやってんだろう……せっかく男子でも普通に話せるようになったのに……)
「すまん……」
不意にラオが悲しそうに謝った。
「え?」
雨花は驚いて、そんな彼の表情を見つめた。
「お前だって知る権利あるよな……気になるんが当たり前やし。手伝ってもらっとるわけやし。それに、最初巻き込んだのはこっちやしな……」
雨花は慌てて首を横に振る。
「いや、ラオが謝ることじゃないし! だいたい巻き込んだんじゃなくて、助けてくれたんじゃん」
今度はラオがいやいやと首を振った。
「いや、でも手伝わせて巻き込んだのはオレやん? とにかく……今はまだ話さんくてええか? 話したくなったらいつか話すけえ」
「本当に、無理に言わなくていいからね」
真剣な表情の雨花に、ラオは申し訳なさそうに笑いかけた。
「いや、いつか話すよ」
この日は席替えがあった。
そして休み時間。
「また、隣だね!」
美奈が愉しそうに雨花に声をかける。
雨花はまたもやラオと隣の席になったのだ。
「……うん」
雨花が苦笑いしながらうなずくと、美奈が声を潜めて囁いてきた。
「私、思うんだけど、雨花には種沢よりラオの方が似合ってると思うんだよね!」
「だーかーらー、そういうのいいって言ってるじゃん!」
雨花は毎度のことに呆れながら、鬱陶しそうに答えた。
すると美奈は口を尖らせて肩を竦めた。
「えー? 面白くなーい! それに二人最近仲良いし、ラオってよく雨花のこと見てるじゃん」
「いや、それは違うんだって! なんで美奈に決められなきゃならないの?」
雨花が彼女のあまりのしつこさに声を荒げたので、美奈は慌てた。
「そんな怒んないでよ。だって楽しいじゃん?」
「自分の中だけで楽しんでください」
チャイムが鳴りそうなので、雨花はぴしゃりとそう吐き捨てて席に戻った。
(だいたいまだ中学生でしょ? そういうの、まだよくわかんないよ……)
雨花は独りそう考えながら、顔をしかめた。
それからは、毎日が文化祭の準備で忙しくなった。
特に、毎年恒例である学年別の劇の準備は大変だ。
雨花は役者ではなく、劇で使う道具を作る係になった。
今年の二年B組の劇はどういう縁か、『猫の恩返し』になった。
「んで、猫の耳はどうやって作る?」
美奈の憧れの陽太がみんなに問いかける。
みんな円になって床に座っている。
ちなみにラオは役者の方だ。
「布とか?」
と千代子。
「画用紙とか……?」
今度は種沢と仲の良い秋美が提案した。
種沢の件とは関係なく、雨花は秋美がなんとなく苦手だった。
雨花は居心地が悪くて、気配を消すように黙っている。
「材料用意すんのがダルいわ……も、新聞紙でいいんじゃね?」
陽太は面倒くさいらしく、投げやりな提案だ。
「そりゃないよー」
千代子が笑って突っ込む。
「ていうか──あんたら、ちゃんと考えなよ!」
秋美は教室や廊下で走り回っている男子たちを、怒鳴りつけた。
「は、ほっとけよ、あんな奴ら」
陽太は溜息交じりにそう言った。
「太陽、あんた大人だよね」
と秋美。
太陽とは陽太のあだ名だ。
ただひっくり返しただけだが……。
「雨花、どうしたん?」
ずっと押し黙ったままの雨花を不思議に思って、千代子が声をかけてきた。
「え? いや、なんでもないよ」
雨花が笑って答えると、千代子が抱きついてきた。
「あめちゃーん、元気だしなー!」
「わっ、いや、本当にただ眠いだけだよ」
雨花は抱きつかれて少し困りながら言った。
そこまで仲が良いわけでもない友人に抱きつかれると、どうしていいかわからない。
ちなみに雨花にも色んなあだ名がある。
「なんか決まったあ?」
今までどこに行っていたのか、道具係担当の内の一人、早野が突然現れた。
「てめえも考えろ、遅ーんだよ! 遅野!」
陽太は早野をぎろりと睨んだ。
そんな陽太に身じろぎもせず、早野は彼の隣にどしっと腰を下ろした。
「遅野っていうのやめてくんない?」
「うっせ! あーもー全部面倒い」
陽太はそう言って、後ろにあるロッカーに背中を投げ出した。
「頑張れ、太陽」
早野はまるで人事だ。
「お前に言われたくない。俺はもうやる気も元気もない」
「お前年寄りみたいだなあ」
早野はやれやれといった感じで、陽太に視線を送る。
「だから、遅野に言われたくないって」
すると、秋美が騒いでいる男子を睨みつけながらこう言った。
「ふん、幼稚園児並みに騒いでる奴らよりましじゃん」
「ほんと、元気だなあ……」
陽太はぼんやりと、騒いでいる男子たちを眺めながらつぶやいた。
早野はそんな陽太の肩をしばく。
「見てみろ、あの有り余った元気を! お前も元気だせ! まあ、あれは元気過ぎるけど」
「あー? だから遅野に言われたくな——」
「はい、もうそれ言うなー!」
早野はすかさず陽太の言葉を遮る。
「もう! とにかくやろうよ!」
秋美の一喝で、ようやくみんなは作業を開始した。
職員室の前を通るとき、先生たちの話し声が聞こえてきた。
「困ったもんですねえ、二学期の始めからずっとですよ」
数学の若い男性教師、池口先生の声だ。
「昨日も、私が持ってきたおはぎがなくなっていましたよ」
とおっとりした白滝先生の声。
白滝先生は何故だか面白がっているような口調だ。
「一体誰の仕業でしょうか……」
今度は国語の少し年配の男性教師、上田先生だ。
「一応生徒たちにも聞いてみますかねえ」
池口先生がそう言ったのを聞き届けると、雨花はそっと職員室から離れ、自分の教室へ向かった。
静かにドアを開けるとやはり既にラオがいた。
「あ、おはよ!」
ラオはいつも通り窓辺に寄りかかっている。
「ん、おはよう」
雨花も挨拶を返す。
「お前いっつも朝練行ってないやろ?」
「あー、まあね」
雨花はそう答えながら苦笑いする。
鼓中学校は最初強制的に部活に入らないといけない。
しかも生徒数が少ないのもあり、ほぼ選択肢がなく、唯一運動部でない文化部という名の帰宅部に入ると、先輩達に目をつけられるという、よくわからない噂まである。
スポーツに興味のない雨花は、内心理不尽だと憤りを感じていたのもあり、三年生の怖い先輩たちが引退してからは割と自由に振る舞っていた。
ラオはニヤッと笑って茶化してくる。
「サボりやな」
「いいの! やる気ないし。そっちこそ行ってないじゃん」
「はは、まあな。だいたいオレ、死神なのになんで部活入ってるんやろな」
「そういえば確かに……なんで?」
ラオは肩を竦めた。
「オレにもわからん。まあ、剣道は生きてたときもやってたし……前からこの鼓中で死神はやってたんやけど、新学期から何故か二年B組の生徒として混ざることになったんよ。普通は死神が人間と混ざって生活することなんて、ないんやけど……。オレみたいに、まだ子供の死神とかには、たまにこういうことがあるらしい」
「へえ、じゃあ普通はずっと死神のままなんだね。本当になんでなんだろう?」
「さあな」
雨花は急にそわそわし始めた。
「あ、あのさ……ちょっと気になることがあるんだけど……」
「なに?」
雨花はチラチラとラオの表情を窺いながら、口を開いた。
「えっと……ラオはなんで、死神になったの?」
「…………」
しんと静まり返った。
雨花はしまったと内心激しく後悔した。
死神は罪を犯した人間がなるものだ。
自ら自分の犯した罪を話したがるわけがない。
「あ、あの、ごめん! すごく失礼なこと聞いて、その——」
「そんなこと聞いて、どうするん?」
ラオは死神のときのように、暗い表情でつぶやいた。
「本当に……ごめん」
雨花はしょんぼりと謝った。
自分はなんて無神経なんだろう——と罪悪感でいっぱいになった。
(なにやってんだろう……せっかく男子でも普通に話せるようになったのに……)
「すまん……」
不意にラオが悲しそうに謝った。
「え?」
雨花は驚いて、そんな彼の表情を見つめた。
「お前だって知る権利あるよな……気になるんが当たり前やし。手伝ってもらっとるわけやし。それに、最初巻き込んだのはこっちやしな……」
雨花は慌てて首を横に振る。
「いや、ラオが謝ることじゃないし! だいたい巻き込んだんじゃなくて、助けてくれたんじゃん」
今度はラオがいやいやと首を振った。
「いや、でも手伝わせて巻き込んだのはオレやん? とにかく……今はまだ話さんくてええか? 話したくなったらいつか話すけえ」
「本当に、無理に言わなくていいからね」
真剣な表情の雨花に、ラオは申し訳なさそうに笑いかけた。
「いや、いつか話すよ」
この日は席替えがあった。
そして休み時間。
「また、隣だね!」
美奈が愉しそうに雨花に声をかける。
雨花はまたもやラオと隣の席になったのだ。
「……うん」
雨花が苦笑いしながらうなずくと、美奈が声を潜めて囁いてきた。
「私、思うんだけど、雨花には種沢よりラオの方が似合ってると思うんだよね!」
「だーかーらー、そういうのいいって言ってるじゃん!」
雨花は毎度のことに呆れながら、鬱陶しそうに答えた。
すると美奈は口を尖らせて肩を竦めた。
「えー? 面白くなーい! それに二人最近仲良いし、ラオってよく雨花のこと見てるじゃん」
「いや、それは違うんだって! なんで美奈に決められなきゃならないの?」
雨花が彼女のあまりのしつこさに声を荒げたので、美奈は慌てた。
「そんな怒んないでよ。だって楽しいじゃん?」
「自分の中だけで楽しんでください」
チャイムが鳴りそうなので、雨花はぴしゃりとそう吐き捨てて席に戻った。
(だいたいまだ中学生でしょ? そういうの、まだよくわかんないよ……)
雨花は独りそう考えながら、顔をしかめた。
それからは、毎日が文化祭の準備で忙しくなった。
特に、毎年恒例である学年別の劇の準備は大変だ。
雨花は役者ではなく、劇で使う道具を作る係になった。
今年の二年B組の劇はどういう縁か、『猫の恩返し』になった。
「んで、猫の耳はどうやって作る?」
美奈の憧れの陽太がみんなに問いかける。
みんな円になって床に座っている。
ちなみにラオは役者の方だ。
「布とか?」
と千代子。
「画用紙とか……?」
今度は種沢と仲の良い秋美が提案した。
種沢の件とは関係なく、雨花は秋美がなんとなく苦手だった。
雨花は居心地が悪くて、気配を消すように黙っている。
「材料用意すんのがダルいわ……も、新聞紙でいいんじゃね?」
陽太は面倒くさいらしく、投げやりな提案だ。
「そりゃないよー」
千代子が笑って突っ込む。
「ていうか──あんたら、ちゃんと考えなよ!」
秋美は教室や廊下で走り回っている男子たちを、怒鳴りつけた。
「は、ほっとけよ、あんな奴ら」
陽太は溜息交じりにそう言った。
「太陽、あんた大人だよね」
と秋美。
太陽とは陽太のあだ名だ。
ただひっくり返しただけだが……。
「雨花、どうしたん?」
ずっと押し黙ったままの雨花を不思議に思って、千代子が声をかけてきた。
「え? いや、なんでもないよ」
雨花が笑って答えると、千代子が抱きついてきた。
「あめちゃーん、元気だしなー!」
「わっ、いや、本当にただ眠いだけだよ」
雨花は抱きつかれて少し困りながら言った。
そこまで仲が良いわけでもない友人に抱きつかれると、どうしていいかわからない。
ちなみに雨花にも色んなあだ名がある。
「なんか決まったあ?」
今までどこに行っていたのか、道具係担当の内の一人、早野が突然現れた。
「てめえも考えろ、遅ーんだよ! 遅野!」
陽太は早野をぎろりと睨んだ。
そんな陽太に身じろぎもせず、早野は彼の隣にどしっと腰を下ろした。
「遅野っていうのやめてくんない?」
「うっせ! あーもー全部面倒い」
陽太はそう言って、後ろにあるロッカーに背中を投げ出した。
「頑張れ、太陽」
早野はまるで人事だ。
「お前に言われたくない。俺はもうやる気も元気もない」
「お前年寄りみたいだなあ」
早野はやれやれといった感じで、陽太に視線を送る。
「だから、遅野に言われたくないって」
すると、秋美が騒いでいる男子を睨みつけながらこう言った。
「ふん、幼稚園児並みに騒いでる奴らよりましじゃん」
「ほんと、元気だなあ……」
陽太はぼんやりと、騒いでいる男子たちを眺めながらつぶやいた。
早野はそんな陽太の肩をしばく。
「見てみろ、あの有り余った元気を! お前も元気だせ! まあ、あれは元気過ぎるけど」
「あー? だから遅野に言われたくな——」
「はい、もうそれ言うなー!」
早野はすかさず陽太の言葉を遮る。
「もう! とにかくやろうよ!」
秋美の一喝で、ようやくみんなは作業を開始した。
