二人は薄暗い廊下を歩いた。
帰り際に見回りをする義務がある部活のキャプテンたちが、しっかりしていなかったようで、窓が開いていて涼しい風が吹き込む。
僅かに風になびく真っ黒な死神姿のラオの後ろに続きながら、雨花はその、どこまでも黒い背中を見つめた。
なんだか、葬式や喪服を思い出す。
「お前、怖くないか?」
不意にラオが口を開いた。
「え? まあ、そりゃ怖いけど、ちゃんとやっつけてくれるんでしょ?」
「そうじゃなくて、オレのこと」
そう言うと、ラオは雨花の方を振り返った。
死神姿の彼は気のせいか、瞳の中まで果てしなく黒くて暗いように見えた。
普段のときの明るさとのギャップに、雨花は少し戸惑った。
「別に? そりゃあ最初はちょっと怖かったけど、今は全然!」
雨花は努めてなるべく元気に答えた。
二人はいつの間にか階段に差し掛かり、声が反響していた。
「そうか」
ラオは少し嬉しそうに表情を緩めると、前を向いてそうつぶやいた。
階段を一番下まで下りると、あの大きな鏡の前に行き着いた。
昨日の件もあり、雨花は怖くなって、気づかれないようにそっとラオの後ろに隠れた。
昨日の件で思い出したのだが、この鏡にも、音楽室ほど具体的ではないにせよ、なにかしらの様々な怪談話が囁かれているのだ。
鏡には彼の姿が映っておらず、雨花一人だけが映し出されているので、妙な動きがバレバレだった。
「んー……もう出た後か?」
ラオは少し考え込むように、自分が映らない鏡をじっと見つめた。
「どういうこと?」
「んー、なんかようわからんけど、この鏡からよく霊とか妖怪? とか出てくるんや。なんか別の空間に繋がってたりして……? まあ、わからんけど、よく夕方に出てくるから、ちょうど出て来たところを仕留められんかなって思ったんやけど……そう上手くはいかんか」
雨花は改めて、古びた大きな鏡を上から下まで眺めた。
確かに、ここからお化けが出てくる、なんて噂話(事実だったが)も前からあった。
それにしても、ラオが前にいるのに、自分だけが見つめ返してきて変な感じだ。
「へえ、そうなんだ。……気になるね、この鏡。ところで霊とか妖怪ってみんな前みたいな悪い奴ばっかなの?」
「いや……そんなわけじゃないと思うけどな。よーわからんけど」
二人は再び霊や妖怪を探して歩き出す。
職員室にはまだ先生がいるようで、気づかれないように静かに通り過ぎた。
その後、美術室や音楽室の前まで来たが、中には入らず、再び来た廊下を戻って行った。
そして二階の廊下に辿り着いたそのとき、雨花は急に悪寒がして身体をブルッと震わせた。
「なんか……寒い」
「やっぱりわかるか?」
ラオはそう言って三年B組の教室の前まで来ると、ガラッと勢いよくドアを開けた。
そこには、青白い火の玉がふよふよと浮いていた。
「あっ、火の玉!」
雨花が見つけたとばかりに声を上げた反面、ラオは溜息をついた。
「あー、違ったみたいやなあ」
「え? 成仏させないの?」
「ああ、人に危害を加えん程度なら、ほっといても自然と成仏する可能性が高いし、その方がいいらしい」
ラオが言い終わると同時に、雨花はまた身体中に悪寒が走った。
「なんか、また?」
「ああ、三-Aの方っぽい」
ラオは短く答えると、くるっと向きを変えて三年B組の教室から足早に出た。
雨花も慌てて後を追う。
三年A組の教室に入った途端、雨花は思わず小さく悲鳴を上げた。
恐怖で自然と足が震え出す。
そこには長い髪を振り乱し、身体が妙に細く下半身のない女の化け物が立っていたのだ。
一番不気味なのはその異様に長い腕と、細長く鋭い爪の生えた大きなその手で、自立している姿だった。
「妖怪、か……?」
ラオはそうつぶやくと大鎌を構えた。
「だだ、大丈夫なの?」
雨花が真っ青になって震えながらそう発した瞬間——その化け物が、二人目掛けて手で這ってきた。
「うわあああ!」
雨花が絶叫して咄嗟に避けると、化け物はそのまま教室から出て行ってしまった。
「なんか、あれみたいだな、ほら、よく都市伝説とかに出てくる……えーっと」
パニック寸前の雨花と違って、ラオは呑気に腕を組んで頭をひねる。
「な、な、なにかなあ?」
「あ! テケテケ!」
「あ、ああ、確かにねえ」
雨花は初めて妖怪らしいものを見て、茫然としていた。
教室から出ると、ラオは廊下の真ん中に立っている、テケテケのような化け物を見据え、
「よし!」
と掛け声と共に、大鎌を振りかざして駆け出した。
テケテケもどきも彼に向かってくる。
ガリガリと、化け物の爪が床に擦れて嫌な音が響く。
雨花は教室のドアから恐々と見守った。
ラオはテケテケもどきが目の前に迫ってきた瞬間、大鎌を素早く振り上げた。
「ギエェエエ!」
校舎全体を揺らさんばかりに、テケテケもどきの恐ろしい悲鳴が響く。
その時、長い髪で隠れていた化け物の顔が、一瞬露わになった。
恐ろしい顔だった。
異様なほど大きな赤い目と、鋭い歯が覗く耳元まで裂けた大きな口……。
傷を負ったテケテケもどきはラオから逃れ、雨花の方へ向かってくる。
「うひゃあ!」
雨花は情けない声を上げて教室に引っ込むが、足が竦んでしまい、その場から動けずに混乱している。
「根岸、伏せろ!」
ラオの叫び声に、慌てて雨花は頭を抱え込むようにしてしゃがみ込んだ。
——ザクッと、なにかを切り裂く音がした。
雨花が目を開けると、目の前でテケテケもどきの姿が光に包まれ始めていた。
テケテケもどきはじわじわと光の塊になり、フッと溶けるように消えてしまった。
消える直前に、誰かの穏やかな顔が見えた気がした。
「大丈夫か?」
ラオが静かに雨花に声をかけた。
「うん……」
雨花は、なんとか立ち上がりながらうなずいた。
(こんな妖怪も元は人間だったのかな……)
下駄箱まで来ると、ラオは不意に立ち止まった。
「お疲れさん……。なぁ、ごめん……お前やっぱり危ないし、手伝うのなしでええよ?」
ラオは申し訳なさそうに頭を掻いて、視線を泳がせた。
雨花はそんな彼が、ふと寂しそうに見えた。
——もしかしたら手伝えというのは、単なる口実だったのではないだろうか。
彼は、ずっと独りであんな化け物と戦ってきたのだ。
おそらく雨花と同じ、まだ十三、十四歳の少年なのに……。
雨花は息を吸い込むと笑顔を見せて、元気に答えた。
「いや、手伝うよ? 恩返しなんだし!」
ラオは目を丸くする。
「本当にいいんか?」
「うん」
「本当に?」
「うん、でも……ちゃんと守ってね?」
雨花はなんとなく照れくさくなって、急いで靴を履くと、荷物を持って彼に背を向け歩き出した。
「もちろん……根岸、ありがとな」
そんな彼女の背中に、珍しく、ラオの優しい声が返ってきた。
雨花は学校から出ると、ぎゅっと鞄を抱きしめた。
曇っていた空には、いつの間にか星が顔を覗かせて輝いていた。
(死神かあ……怖いけど、なんか、こんなにワクワクするの初めてかも。違う世界を知れるなんて、なんか嬉しい……!)
毎日同じことの繰り返しの日々の中、彼との出逢いは、雨花にはあまりにも新鮮な体験だった。
まるで、積み重なっていくだけの色のないキャンバスに、鮮やかな一滴の絵の具が落とされたかのように……。
帰り際に見回りをする義務がある部活のキャプテンたちが、しっかりしていなかったようで、窓が開いていて涼しい風が吹き込む。
僅かに風になびく真っ黒な死神姿のラオの後ろに続きながら、雨花はその、どこまでも黒い背中を見つめた。
なんだか、葬式や喪服を思い出す。
「お前、怖くないか?」
不意にラオが口を開いた。
「え? まあ、そりゃ怖いけど、ちゃんとやっつけてくれるんでしょ?」
「そうじゃなくて、オレのこと」
そう言うと、ラオは雨花の方を振り返った。
死神姿の彼は気のせいか、瞳の中まで果てしなく黒くて暗いように見えた。
普段のときの明るさとのギャップに、雨花は少し戸惑った。
「別に? そりゃあ最初はちょっと怖かったけど、今は全然!」
雨花は努めてなるべく元気に答えた。
二人はいつの間にか階段に差し掛かり、声が反響していた。
「そうか」
ラオは少し嬉しそうに表情を緩めると、前を向いてそうつぶやいた。
階段を一番下まで下りると、あの大きな鏡の前に行き着いた。
昨日の件もあり、雨花は怖くなって、気づかれないようにそっとラオの後ろに隠れた。
昨日の件で思い出したのだが、この鏡にも、音楽室ほど具体的ではないにせよ、なにかしらの様々な怪談話が囁かれているのだ。
鏡には彼の姿が映っておらず、雨花一人だけが映し出されているので、妙な動きがバレバレだった。
「んー……もう出た後か?」
ラオは少し考え込むように、自分が映らない鏡をじっと見つめた。
「どういうこと?」
「んー、なんかようわからんけど、この鏡からよく霊とか妖怪? とか出てくるんや。なんか別の空間に繋がってたりして……? まあ、わからんけど、よく夕方に出てくるから、ちょうど出て来たところを仕留められんかなって思ったんやけど……そう上手くはいかんか」
雨花は改めて、古びた大きな鏡を上から下まで眺めた。
確かに、ここからお化けが出てくる、なんて噂話(事実だったが)も前からあった。
それにしても、ラオが前にいるのに、自分だけが見つめ返してきて変な感じだ。
「へえ、そうなんだ。……気になるね、この鏡。ところで霊とか妖怪ってみんな前みたいな悪い奴ばっかなの?」
「いや……そんなわけじゃないと思うけどな。よーわからんけど」
二人は再び霊や妖怪を探して歩き出す。
職員室にはまだ先生がいるようで、気づかれないように静かに通り過ぎた。
その後、美術室や音楽室の前まで来たが、中には入らず、再び来た廊下を戻って行った。
そして二階の廊下に辿り着いたそのとき、雨花は急に悪寒がして身体をブルッと震わせた。
「なんか……寒い」
「やっぱりわかるか?」
ラオはそう言って三年B組の教室の前まで来ると、ガラッと勢いよくドアを開けた。
そこには、青白い火の玉がふよふよと浮いていた。
「あっ、火の玉!」
雨花が見つけたとばかりに声を上げた反面、ラオは溜息をついた。
「あー、違ったみたいやなあ」
「え? 成仏させないの?」
「ああ、人に危害を加えん程度なら、ほっといても自然と成仏する可能性が高いし、その方がいいらしい」
ラオが言い終わると同時に、雨花はまた身体中に悪寒が走った。
「なんか、また?」
「ああ、三-Aの方っぽい」
ラオは短く答えると、くるっと向きを変えて三年B組の教室から足早に出た。
雨花も慌てて後を追う。
三年A組の教室に入った途端、雨花は思わず小さく悲鳴を上げた。
恐怖で自然と足が震え出す。
そこには長い髪を振り乱し、身体が妙に細く下半身のない女の化け物が立っていたのだ。
一番不気味なのはその異様に長い腕と、細長く鋭い爪の生えた大きなその手で、自立している姿だった。
「妖怪、か……?」
ラオはそうつぶやくと大鎌を構えた。
「だだ、大丈夫なの?」
雨花が真っ青になって震えながらそう発した瞬間——その化け物が、二人目掛けて手で這ってきた。
「うわあああ!」
雨花が絶叫して咄嗟に避けると、化け物はそのまま教室から出て行ってしまった。
「なんか、あれみたいだな、ほら、よく都市伝説とかに出てくる……えーっと」
パニック寸前の雨花と違って、ラオは呑気に腕を組んで頭をひねる。
「な、な、なにかなあ?」
「あ! テケテケ!」
「あ、ああ、確かにねえ」
雨花は初めて妖怪らしいものを見て、茫然としていた。
教室から出ると、ラオは廊下の真ん中に立っている、テケテケのような化け物を見据え、
「よし!」
と掛け声と共に、大鎌を振りかざして駆け出した。
テケテケもどきも彼に向かってくる。
ガリガリと、化け物の爪が床に擦れて嫌な音が響く。
雨花は教室のドアから恐々と見守った。
ラオはテケテケもどきが目の前に迫ってきた瞬間、大鎌を素早く振り上げた。
「ギエェエエ!」
校舎全体を揺らさんばかりに、テケテケもどきの恐ろしい悲鳴が響く。
その時、長い髪で隠れていた化け物の顔が、一瞬露わになった。
恐ろしい顔だった。
異様なほど大きな赤い目と、鋭い歯が覗く耳元まで裂けた大きな口……。
傷を負ったテケテケもどきはラオから逃れ、雨花の方へ向かってくる。
「うひゃあ!」
雨花は情けない声を上げて教室に引っ込むが、足が竦んでしまい、その場から動けずに混乱している。
「根岸、伏せろ!」
ラオの叫び声に、慌てて雨花は頭を抱え込むようにしてしゃがみ込んだ。
——ザクッと、なにかを切り裂く音がした。
雨花が目を開けると、目の前でテケテケもどきの姿が光に包まれ始めていた。
テケテケもどきはじわじわと光の塊になり、フッと溶けるように消えてしまった。
消える直前に、誰かの穏やかな顔が見えた気がした。
「大丈夫か?」
ラオが静かに雨花に声をかけた。
「うん……」
雨花は、なんとか立ち上がりながらうなずいた。
(こんな妖怪も元は人間だったのかな……)
下駄箱まで来ると、ラオは不意に立ち止まった。
「お疲れさん……。なぁ、ごめん……お前やっぱり危ないし、手伝うのなしでええよ?」
ラオは申し訳なさそうに頭を掻いて、視線を泳がせた。
雨花はそんな彼が、ふと寂しそうに見えた。
——もしかしたら手伝えというのは、単なる口実だったのではないだろうか。
彼は、ずっと独りであんな化け物と戦ってきたのだ。
おそらく雨花と同じ、まだ十三、十四歳の少年なのに……。
雨花は息を吸い込むと笑顔を見せて、元気に答えた。
「いや、手伝うよ? 恩返しなんだし!」
ラオは目を丸くする。
「本当にいいんか?」
「うん」
「本当に?」
「うん、でも……ちゃんと守ってね?」
雨花はなんとなく照れくさくなって、急いで靴を履くと、荷物を持って彼に背を向け歩き出した。
「もちろん……根岸、ありがとな」
そんな彼女の背中に、珍しく、ラオの優しい声が返ってきた。
雨花は学校から出ると、ぎゅっと鞄を抱きしめた。
曇っていた空には、いつの間にか星が顔を覗かせて輝いていた。
(死神かあ……怖いけど、なんか、こんなにワクワクするの初めてかも。違う世界を知れるなんて、なんか嬉しい……!)
毎日同じことの繰り返しの日々の中、彼との出逢いは、雨花にはあまりにも新鮮な体験だった。
まるで、積み重なっていくだけの色のないキャンバスに、鮮やかな一滴の絵の具が落とされたかのように……。
