学校の死神

 次の日、雨花は朝早くからラオのところへ訪れた。
 そして一緒にご飯を食べたり、他愛のない話をしながら楽しく過ごした。
 
 今は昼下がり。
 ラオがいってしまうまで、まだ時間がある。
 雨花はマフラーを首に巻くと、ラオの頭を後ろからポンと叩いた。
 
「せっかくだし……外も行こ?」



 
 雨花は途中で自分の家に寄った。
 
「どうしたん?」
 
 ラオは不思議そうに、戻ってきた雨花を見つめている。
 彼女の手には、茶色い袋が大事そうに抱えられていた。
 
「なに? それ?」
 
「ふふ、いいから行こう!」


 

 二人は近くの海に来ていた。
 傾斜堤の大きな岩の上に並んで座る。
 雪が降り始めている。
 
「わあ、ホワイトクリスマスって初めてかも!」
 
 雨花は嬉しそうに空を見上げた。
 
「ていうか、お前、案外ひょいひょい行くよな。こんな岩の上を……」
 
「まあ、慣れてるから。それより……」
 
 雨花は、さっきまで大事に持っていた茶色の紙袋に、手を入れた。
 
「はい、これ!」
 
 それは鯛焼きだった。
 中身はカスタードだ。
 ラオは戸惑いながらそれを受け取る。
 すると、雨花は自分の分を取り出して、頭から鯛焼きにかぶりついた。
 
「お前、バカか? なんでこんなクソ寒い海で鯛焼き?」
 
「なら、返して」
 
 雨花がムッとして鯛焼きに伸ばす手を避けながら、ラオは腹を抱えて爆笑している。
 
「いやあ、やっぱお前って面白いわ。アホくて!」
 
「……うざっ」
 
 雨花は今更ながら、とても恥ずかしくなった。


 
 もう夕方だ。
 二人は学校に帰って、なんとなく自分たちの教室の二年B組に来ていた。
 
「やっぱ最後はここやろ!」
 
 ラオは明るくそう言いながら、一番最初に雨花と出会った席に座った。
 真ん中の一番後ろだ。
 今はもうラオの席ではない。
 雨花も無言でその隣に腰を下ろした。
 
 しばらく二人は黙って昔の席に座っていたが、ラオはふと立ち上がって教室を見回した。
 
「はあ、死神の仕事も大変だったけど、お前が手伝ってくれるようになってからは、まあまあ楽しかったなあ……」
 
「……私も」
 
 雨花がポツリとつぶやいたとき、ラオの身体が光に包まれ始めた。
 
「ラオ!」
 
 雨花は勢いよく立ち上がった。
 
「そろそろかあ。はは、そんな顔すんなって!」
 
 ラオは相変わらず明るく笑っている。
 雨花は指先が白くなるほど、拳をぎゅっと強く握りしめた。
 
「ねえ、あのさ……」
 
「なに?」
 
 ラオはなにもわかってない。
 胸が苦しくなるほど心臓が高鳴る。
 でも、どうしても言葉が出てこない。
 
 ——悔しい……。
 
「やっぱ、なんでも、ない……!」
 
 雨花は必死に笑顔を作った。
 頭が真っ白だ。
 もうなにも、言葉が出てこない。
 
「……そうか?」
 
 ラオは不思議そうな表情を浮かべたが、すぐにあのお得意の笑顔でニカッと笑った。
 
「根岸……なんて言うか、とにかくありがとな。元気でやれよ!」
 
「……う、うん!」
 
 もうとてもじゃないが、笑ってなどいられなかった。
 ラオは光の塊になっていく。
 
 雨花が思わず手を伸ばした瞬間、それは触れる直前に、ことさらに眩い光を放って——ふっと、消えてしまった。
 
 その場に座り込んで教室で独り、雨花はボロボロと涙を流して泣いた。
 
 そして、何故か新学期に見た、あの夢のことを思い出していた。
 なにかに追われていた雨花を助けてくれたあの影は、ラオだったのだろうか……。

 

 今日から三学期がスタートした。
 雨花は朝早くに部活の朝練にも行かず、独りで教室にいた。
 ラオの机はまだそのままの位置に置いてある。
 いつもラオがもたれかかっていた場所に、同じようにしてぼーっと宙を見つめる。
 
 しばらくすると、美奈がやって来た。
 
「おはよう、雨花!」
 
「あれ、おはよう! 美奈も今日はサボり?」
 
「うん!」
 
 美奈は相変わらず元気だ。
 そのいつもの元気に、なんとなくほっとする。
 美奈は荷物を置くと、雨花の隣にもたれかかった。
 
「この席、なんで誰も座らないのに、置いてあるんだろうね?」
 
 美奈はふと、窓際の一番後ろに視線をやった。
 そこはラオの最後の席だった。
 
「えっ?」
 
 雨花は驚いて美奈を見つめた。
 
「この席、ラオが座ってたじゃん!」
 
「えっ……誰? ラオって……?」



 
 どうやら、みんなの記憶の中からは、ラオの存在が消えているようだった。
 誰もラオのことなど、知らない。

 雨花は虚しい気持ちでいっぱいで、放課後の廊下をとぼとぼと歩いていた。
 すると、向こうの美術室の方から、白滝先生がこちらに向かって手招きしているのが目に入った。
 雨花は白滝先生の方へ歩いて行った。
 
「……なんですか?」
 
 どんよりした声で尋ねると、白滝先生はニコッと微笑んでこう言った。
 
「草山くんを、助けてあげられたんですね」
 
「ラオのことわかるんですか?」
 
 雨花は驚いて目を丸くした。
 
「ふふ……はい! 実は私も昔、あなたと同じような経験をしましたから」
 
「同じような経験……?」
 
「はい。どうやら、死神が視える人は、死神が生まれ変わった魂だけらしくて」
 
「え……? じゃあ私も、白滝先生も……? でも、なんでですか?」
 
「これはとても珍しいことなんですが、魂にも稀に記憶の残骸が残ることがあるんです。そしてそれは、自分が自覚してなくても、死神の魂と同調することがあるんです。そうすることで、死神の魂がその感覚を呼び起こし、死神の存在を認識することで、霊や妖怪までもはっきりと認識できるようになるんです」
 
「先生、詳しいんですね……」
 
 雨花は関心して、先生を見つめたままつぶやいた。
 ふと、ラオが以前言いかけてた言葉が過る。


 
『——でも、普通の奴には死神の姿は、基本的に視えんはずなんやけどなぁ……。あ……もしかしたらお前——』


 
「私も、死神の男の子に聞きましたから」
 
 白滝先生はそう言うと、ニコッと意味有り気に笑った。
 
「先生が……? じゃあ、なんでラオは、生きた人間の生活に入り込んでたんですか?」
 
 白滝先生は穏やかな表情を浮かべて、静かにこう言った。
 
「……私もはっきりとはわかりませんが……きっと、やり直すチャンスを与えられたんじゃないかな、と思います……」



 
「雨花ー! 遅ーい!」
 
 下駄箱へ行くと、何故かいつもの集合場所ではないのに、美奈が待っていた。
 
「え? どうしたの、美奈?」
 
 美奈は勢いよく立ち上がると、大袈裟に話し出す。
 
「大変、雨花! さっき種沢と秋美が二人っきりで、仲良さそうに帰って行ったよ!」
 
 雨花は呆れて苦笑した。
 
「はあ? なに、まだそんなこと言ってんの? 別にもういいのに」
 
 そうして独りでニヤニヤしながら、上履きから靴に履き変えて歩き出す。
 雨花の晴れやかな表情を見て、美奈は驚いてその後を追った。
 
「えー! なにそれえ?」



 
 あれから数週間が過ぎた。
 もうすぐ冬も終わりだ。
 雨花は今日は遅めに登校していた。
 彼女は今、あの出来事が本当にあったことなのか、わからなくなり始めていた。
 白滝先生も急に他校へ転勤してしまい、ラオの存在を知っているのは、雨花だけになってしまったのだ。
 今ではあれは、夢の出来事のようにさえ思える。

 教室にはもう随分人がいる。
 雨花は小さく溜息をついて、自分の席に鞄を置いた。
 実はなんの縁なのか、また真ん中の一番後ろの席になっていたのだ。
 
 そして、隣には誰も座らない空席……。
 
「あっ、雪!」
 
 外を眺めていた美奈が声を上げた。
 
「本当だー!」
 
 一斉にみんな窓の方へ集まる。
 雨花も外を見ようと椅子から立ち上がったが、ふと、なにかがどこからともなく転げ落ちた。
 
「?」
 
 雨花は、隣の机の下に転がり落ちた物に目をやった。
 
「あっ、これ……」
 
 それはあのとき、ラオが雨花にくれた綺麗な水色の御守りだった。
 そう、見ると悲しくなるから、机の奥底にしまっておいたのだ。
 しかしそれは紛れもなく、ラオの存在、今までの出来事が現実であったことの証だった。
 雨花はそれを拾い上げると、両手でぎゅっと包み込んだ。
 
「雨花、どうしたん?」
 
 美奈がいつの間にかそばに立って、不思議そうに声をかけてきた。
 雨花は美奈の方を振り向くと、あいつのお得意の笑顔でニカッと笑い、こう答えただけだった。
 
「別に? なんも!」