学校の死神

 いよいよ夕暮れが迫ってくる。
 ラオは部屋の隅でうずくまったまま、動かない。
 辺りが次第に暗くなる。
 すると、ラオの身体がフッと黒い霧に包まれたかと思うと、次には真っ黒な死神姿になっていた。
 ラオはうずくまった姿勢で、いつの間にか死神の大鎌を抱え込んでいた。
 
「……ラオ?」
 
 雨花がおずおずと声をかけると、ラオはゆっくりと立ち上がった。
 そして、はっきりとした口調で言った。
 
「行こう」



 
 再び空き家に着くと、ラオは迷わず中へ入って行った。
 その後へ雨花も続く。
 すぐにラオの兄が現れた。
 
「来たか」
 
「おう」
 
「父さんは二階の奥の部屋だ。でも……もう父さんじゃなくなってる。そこには母さんもいる……」
 
 ラオの兄は悲しそうに、そう教えてくれた。


 
 二人は無言で階段を上がり、その部屋へ向かった。
 ラオは少し躊躇うと、ドアノブを捻った。
 日が落ちるのが早いせいもあるが、その部屋は特に薄暗かった。
 
 二人はゆっくりと足を踏み入れる。
 
「誰だ……?」
 
 部屋の隅の方で声がする。
 そして、ゆらりと男の霊が浮かび上がった。
 やはり、どことなく、ラオとその兄に似ている。
 ラオの父親だ。
 
「久しぶりじゃないか……ラオ」
 
「父さ——」
 
 ラオは怯えたように、か細い声でつぶやいた。
 雨花は心配そうに、ラオに視線をやった。
 
「お前のことは……そりゃあもう……恨んでるよ……」
 
 不意にラオの父親の背中が、ボコボコと不気味に蠢き始めた。
 
「……っ」
 
 ラオは思わず一歩下がった。
 手が震えている。
 こんなラオは初めて見る。
 
「ラオ! しっかりして!」
 
 雨花はラオの服を引っ張った。
 その間にも、ラオの父親は身体が変形している。
 
「よくも父親を殺したな……今度こそ、お前を殺してやる……!」
 
 そう言い終わった頃には、ラオの父親は恐ろしい姿に変貌を遂げていた。
 異様な姿だ。
 背中が大きく腫れ上がり、そこには悪霊に取り込まれてしまったのか、無数の人の顔がへばりついている。
 ラオの父親は白目を剥いて、不気味な笑みを浮かべている。
 背中にへばりついている無数の顔は皆、悲痛なすすり泣きや、呻き声を上げている。
 
 そして、その中には——
 
「か、母さん?」
 
 ラオは恐怖に目を見開いた。
 
「えっ? なに? どういう——?」
 
 雨花も震えながら、ラオとその化け物になってしまった父親を交互に見た。
 
「……ラ、オ?」
 
 背中の無数の顔、その中の一人の女性が、苦しそうにラオの名を呼んだ。
 
「はははははは!」
 
 ラオの父親は恐ろしい笑い声を上げながら、こっちへ向かってくる。
 
「ラオ!」
 
 雨花は声を張り上げ、ラオを力いっぱい引っ張って避けさせた。
 
「しっかりして!」
 
「!」
 
 雨花の呼びかけで、ラオはようやく我に返った。
 しかし、その顔は今にも恐怖に押しつぶされそうだった。
 
「うお゙あ゙あ!」
 
 ラオの父親は容赦なく襲ってくる。
 しかし、ラオは避けるだけで、決して切りつけようとはしない。
 
「うわあ!」
 
 怯えきった叫び声を上げ、息を乱しながら必死に逃げている。
 
「なにやってるの! やらなきゃ、やられるよ!」
 
 雨花は必死にラオに声をかける。
 それでも、ラオは逃げるだけだ。
 とうとうラオは、隅に追い詰められてしまった。
 ラオは震える手で大鎌を握りしめ、今にも壊れてしまいそうだった。
 
「ラオ! しっかりしてよ! そいつは悪霊なんだよ?」
 
 ラオの父親は恐ろしい顔で笑いながら、迫っていく。
 
「お父さんとお母さんを、助けてあげて!」
 
 鋭い爪のついた大きな手を振り上げる。
 
「ラオにしか、助けてあげられないんだよ!」
 
 そして、その手を勢いよく振り下ろす。
 
「ラオ——!」


 
 ——ザクッ——


 
 鈍い音が響いた。
 ラオは、自分の父親に大鎌を突き立てていた。
 
「……あ……と、父さんっ」
 
 大鎌が手から滑り落ち、ラオはその場に膝をついた。
 ラオの父親の背中からは、取り込まれていた無数の魂が解放され、天へ還っていく。
 ラオの父親は元の人間の姿に戻っていた。
 
 悪霊は——消滅した。
 
 母親もその傍らに立って、穏やかな表情をしている。
 
「ラオ……お前には、いっつも助けられてばっかやな……」
 
 父親は先ほどとは全く違う、優しい声でラオに話しかけた。
 
「なに言って……! オレは父さんを、殺したのに……っ」
 
 ラオは戸惑って、悲痛な声を上げた。
 
「お前があのとき止めてくれんかったら、俺は自分の息子をこの手で殺してたことになる……その後は、どうせあいつに支配されとった……家族二人を失っとる上に、お前まで手にかけとったら、俺自身の魂が悲しみに支配されて、化け物になっとったかもしれん……またこの姿に戻れたのは、お前のお陰や」
 
 父親は優しくそう言うと、ラオの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 
「父さん……」
 
 ラオの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
 
「それに……いくら悪霊に取り憑かれとったとはいえ、本当に悪かった。謝って済むようなことじゃないけど、俺の心の弱さに責任がある」
 
「父さん……もう、いいよ」
 
 ラオは目をこすりながら、そう言った。
 
「私も……弱いばっかりに、二人を置いてっちゃって、ごめんね? それに、ありがとう……。ラオを生んでよかったよ!」
 
 ラオの母親は優しくそう言って、ラオそっくりの笑顔でニカッと笑った。
 
「母さん……でも、オレあのとき、母さんを支えてあげられんかった……」
 
 ラオは、後ろめたそうにつぶやく。
 
「なに言ってんの! 男がいつまでもうじうじせんのよ!」
 
 母親はぽんとラオの肩を叩いた。
 
「うん……ありがとう! 父さんも母さんも……」
 
 ラオは涙で濡れた顔を上げると、二人にニカッと笑いかけた。
 そのとき、二人の身体が光に包まれ始めた。
 
「そろそろ行かんとな……お前も早く来いよ! お前が死神になったのは、多分俺を殺したからじゃない……自分の命を、自分で捨てたからだ。俺が言えたことじゃないけど、そんなのただ逃げただけやしな。生きてたら、楽しいこともある! 死んだら美味いもんも食えなくなるしな!」
 
「そうよ! ラオも早くおいで?」
 
「俺もそう思うな」
 
 母親に続いて、ラオの兄も光に包まれながら現れた。
 
「兄ちゃん! ずっと独りにして、ごめん……」
 
「母さんも言ったろ? 男がうじうじすんな。根岸さん、本当にありがとうな!」
 
 兄も弟と同じように、ニカッと笑った。
 雨花もそれに笑い返す。
 
「お前は良い弟だった! まあ、いっぱい喧嘩もしたけどな……ま、それが兄弟ってもんやろ?」
 
 ラオの兄がそう言い終わると、家族三人はまばゆい光に包まれ、互いに笑いあって、抱き合い、光の塊となって消えていった。


 
 ——無事に、成仏したようだ。


 
 後に残された二人はしばらくの間、沈黙した。
 
「……根岸」
 
 ラオが不意に口を開く。
 
「なに?」
 
「本当に、ありがとな……」
 
「うん……」
 
 そのとき、ラオの身体が再び黒い霧に包まれたかと思うと、人間の姿に戻っていた。
 
「ラオ! 死神から、解放されたの?」
 
 思わずラオに駆け寄る。
 
「多分な……」
 
 ラオが静かに答えると、突然彼の右の手がぽうっと光を発した。
 
「ん?」
 
 ラオが不思議そうに自分の手の平を開くと、黒い文字で『二十四時間』と記されていた。
 文字はすぐに、先ほどの黒い霧のように消えてしまった。
 
「二十四時間後に還るってことかな……?」
 
 ラオもよくわからない様子で首をひねる。
 そしてやはり、一向に身体が光に包まれる気配はない。
 
「多分そうやな……ってことは明日の夕方か……」
 
「明日の夕方……」
 
 雨花はラオの目の前に座り込むと、静かに繰り返した。


 
 長い沈黙が流れる……。
 
 雨花は静かに口を開いた。
 
「明日……ラオが行くまで一緒にいていい?」
 
「ああ、ええよ……」