学校の死神

 ある日、掃除が終わって雨花が音楽室から階段を下りていると、階段の一番下に白滝先生が立っていた。
 
「こんにちは」
 
 雨花はいつも通り挨拶をして、通り過ぎようとした。
 
「こんにちは。根岸さん、楽しそうね」
 
「えっ? いや、そうでもないですけど……」
 
 なんのことだろうと雨花は困惑する。
 
「音楽室を掃除してくれたのはいいんだけれど、こっちの掃除もお願いしますね? 最近埃が溜まってきてるから……草山くんにも、よろしく」
 
 白滝先生は箒を指差して、意味あり気にニコッと笑うと行ってしまった。
 雨花は驚いて、その場に立ち尽くしていた。
 
(え……? 白滝先生って一体……?)



 
 今日から十二月だ。
 雨花はいつものように、朝早くに登校していた。
 寒さに思わず身体を震わせる。
 蓮田の横を早足で歩いているとき、フワフワと空から白いものが舞い降りてきた。
 
(雪だ……!)
 
 雨花は嬉しくなって空を見上げ、笑顔をこぼした。
 
(もう十二月か……もうすぐ冬休みになるのに……本当のこと、ラオにいつ言おう……)
 
 立ち止まったまま手の平を広げ、雪がその上にふわりと落ちてくるのを見つめる。
 雪は雨花の手の平の上で、ふっと溶けて消えてしまう。
 雨花は目を逸らしていた絶望的な事実に、改めて思考を巡らせた。
 
(本当のことを知ったら、もしかしたら、ラオの無念が晴れるかもしれなくて……そんで、死神からも解放されるかもで——そしたら、ラオはきっと成仏して……もう一生……)
 
 雨花は開いていた手の平を、ぎゅっと握りしめた。



 
 学校では月が変わったので、席替えがあった。
 そして、その日の昼休み……。
 
「あーあ。とうとう離れちゃったね」
 
 美奈は大袈裟に言いながら、雨花の前の椅子に腰かけた。
 
「別にいいし」
 
 素っ気なく言ったものの、雨花は内心とてもへこんでいる自分にも気づいていた。
 
 今回は逆に、一番遠くに離れてしまったのだ。
 
「ふふん、まあ、四回連続だしね♪」
 
 美奈はニコッと笑った。
 
「別に、そういうことでもないんだけど……」
 
 そのとき不意に、教室の隅で、千代子とその友人の沙也加が、こそこそと話しているのが目に入った。
 
「今日、部活終わった後に——」
 
「頑張ってね! 大丈夫——」
 
 あまりよくわからなかったが、沙也加がなにか千代子を励ましているようだった。


 
 放課後、雨花が教室へ向かおうと下駄箱の前を通ったとき、そこに人だかりができていた。
 
「?」
 
 雨花は、なんとなく気になって覗いてみた。
 千代子が泣いている。
 それを沙也加が慰めている。
 雨花はそばにいた美奈に声をかけた。
 
「どうしたの?」
 
 美奈は声を潜めて教えてくれた。
 
「私も今来たばっかで詳しくはわかんないけど、千代子がラオに振られたみたいよ」
 
「えっ!」
 
 驚く雨花に美奈はこっそり笑いかけた。
 
「チョコちゃんには悪いけど、雨花、チャンスあるじゃん?」
 
「ちょっと……」
 
 美奈の無神経な言動に少し不快感を覚えながらも、雨花は自分が内心安心していることに、後ろめたさを感じてもいた。


 
 教室へ行くと、すでに死神姿のラオが、窓辺から外を眺めながら待っていた。
 
「おう」
 
 ラオは、いつもの調子で雨花の方を振り向いた。
 けれど、なんとなく、気まずい。
 雨花は少し躊躇いがちに口を開いた。
 
「あの……千代子のこと振ったんだね」
 
「なんで知っとるん?」
 
 ラオは少し驚いて目を丸くした。
 
「え、だって、下駄箱のところで泣いてたよ? なんか、結構みんないたし……」
 
 ラオは煩わしそうに、ふうっと溜息をついた。
 
「女子ってすぐグループ作って、なんでも話すよな」
 
「うーん……確かに面倒くさいよね……」
 
 雨花はラオから目を逸らし、思い切って聞いてみた。
 
「あの……ラオって好きな人とか、いないの?」
 
 それを聞いて、ラオは馬鹿にしたように鼻で笑った。
 
「は? お前、オレ死んどるんやぞ? しかも死神やし。まあ、あいつのことは、本当になんとも思ってなかったし」
 
「ああ、それもそうだよね! ごめん、馬鹿なこと聞いて……」
 
 雨花は慌てて謝った。
 
「いや、別に気にしてないけどな。お前は生きとるけど、オレは死んどるし……本当、なんでオレは生きとる人間の中に放り込まれたんかな……」
 
 ラオはどこか寂しそうに苦笑した。


 
 それからある日、今日は久しぶりに美術の授業があった。
 外の風景を描く課題で、寒い中みんなはそれぞれの場所へ絵を描きに行った。
 雨花は間抜けなことに、筆箱を教室に忘れてきたので、独り美術室へ戻った。
 教室に入ると、中には白滝先生だけがいた。
 
「どうしたの? 根岸さん?」
 
「あ、すみません、ちょっと忘れ物を……」
 
 筆箱を取って教室を出ようとすると、不意に白滝先生が呼び止めてきた。
 
「根岸さん!」
 
「はい?」
 
「最近元気ないようですけど、なにかあったんですか?」
 
 先生はおっとりした声で、問いかけてくる。
 
「い、いや、別にそんな……」
 
 雨花は驚いてどもりながら、はぐらかそうとした。
 
「本当に?」
 
 白滝先生は優しく微笑むと、雨花のそばへやって来た。
 
「いえ、ちょっと……まあ」
 
 うつむきながら言葉を濁す。
 昔から追求されると隠し切れない。
 
「良ければ、相談乗りますよ?」
 
 先生の優しい表情を見て、雨花は躊躇いがちに口を開いた。
 
「あの、それじゃあ……その、もし親しいっていうか、大切に想ってる人が、あることで苦しんでて、自分はその人の悩みの原因の本当のことを知ってて——でも、そのことを話したら、その人はもう二度と会えないようなところへ行ってしまうとしたら……先生だったら、本当のことを話しますか?」
 
 白滝先生は少し考え込むと、静かにこう答えた。
 
「そうですね……私は、話します」
 
 雨花は先生の目を見つめ、黙って耳を傾けた。
 
「大切な人が隣にいてくれても、その人が苦しんでる姿は見たくないですよね。それに、自分がその人を助ける術を持っているなら、尚更です……その人は、いずれは本当のことを知らなければならなくなるはずですよ」
 
 先生はそこで、少し表情を和らげて続けた。
 
「それに、自分がその大切な人を助けてあげられるだなんて、素敵なことじゃないですか。他の人にそのチャンスを横取りされたら悔しいでしょう? 確かに、その人を失うのは怖いけれど……あなたがその人を救うことで、その人の心にはあなたが強く刻まれるはずです……」
 
 そして、不意に苦笑いして先生は付け足した。
 
「まあ、その勇気を出すことが一番難しいんですけどね……私もその立場になったら、自信ないです」
 
「そうですよね……先生、ありがとうございます……!」
 
 先生の話を聞き終えると、雨花は目をぎゅっと瞑って、下を向いたままお礼を言った。
 目を瞑ったのは、もちろん、涙がこぼれないようにするためだ。
 白滝先生は、雨花の肩に優しく手を置いた。
 
「どういたしまして……あなたの大切な人、あなたが助けてあげてください……」