学校の死神

 その日の掃除の前にも、あの女の子の霊は姿を現した。
 
「ねえ……生きてるって楽しい?」
 
 ふと女の子は問いかけてくる。
 
「え? うーん、どうだろう……疲れるし、結構面倒くさいことも多いかな……」
 
 最近疲れていたので、雨花はついついそう答えてしまった。
 
「そっか……」
 
 女の子はなにか考えるように、視線を落とした。
 
「あのね……今日の放課後、話したいことがあるから、ちょっと来てくれないかな……?」
 
「え? 今じゃダメ?」
 
「うん。ゆっくり話したいから……」
 
 女の子は必死に頼んでくる。
 雨花は少し不思議に思いながらも、その様子を見てにっこりとうなずいた。
 
「うん、わかった!」



 
 前もってラオには、今日は用事があるから行けないかもしれないと断っておき、その日の放課後は、音楽室へと向かった。
 
 音楽室へ入り、ドアの横に荷物を置いて、例の穴が塞がれたポスターへ近づく。
 女の子の霊はいつも通り、姿を現した。
 
「本当に来てくれたんだ」
 
 女の子は嬉しそうに笑った。
 
「うん、それで、話って?」
 
「うん、それなんだけどね……まず、このポスターを剥がしてくれないかな」
 
「え?」
 
 雨花が怪訝な表情を浮かべたのを見て、女の子は悲しそうな顔をした。
 
「私、誤解されてて……私は関係ないのに、変な噂あるでしょう? そのせいで、悪霊とか関係なく、どんな霊でも弱らせちゃう御札が、このポスターの裏に貼られてて……すごく、苦しいの」
 
 女の子は本当に苦しそうに胸を抑えて、雨花に訴えかけた。
 
「お願い……! 私、ずっと独りぼっちで耐えてて……雨花ちゃんにしか、頼めなくて」
 
 涙を浮かべて懇願する女の子を見て、雨花は心を揺さぶられた。
 
(ラオも、この子も、私しか気づいてあげられないんだ。だから、私が助けてあげなきゃ──!)
 
 雨花は拳を握りしめると、ポスターに手をかけ、ゆっくりと剥がした。
 裏側には、確かに真っ黒になった御札が貼られていた。
 そして、その下には、拳より一回り大きな穴が、ぽっかりと空いていた。
 真っ暗で中は見えない。
 女の子は涙を流して喜んでいる。
 
「ありがとう……! あとね、もう一つだけお願いがあって」
 
「うん、なに?」
 
 雨花もその様子につられて笑顔で尋ねた。
 女の子も笑顔のまま答えた。


 
「私と……換わってほしいの」


 
「……え?」
 
 雨花は意味がわからず、その子を見つめた。
 
「だって——私もっと生きたかったんだもん。面倒くさいって思いながら生きるより、私みたいに、生きたいって思って生きてる方がいいでしょ?」
 
 その子は相変わらずニコニコと笑っているが、雨花は突然恐ろしくなって、ゆっくりと後退った。
 
「ね? だから換わってあげるよ!」
 
 真っ白な笑顔。
 
「い、いや、それは遠慮しとくよ」
 
 その子から遠ざかりながら、手が震え始める。
 
「なんで? せっかく換わってあげるのに……」
 
 女の子が急にうつむく。
 ユラリと身体が歪み始める……。
 
「でも、もう遅いよ——私、自由に動けるように、なったんだモン——だから、アナタの軀(からだ)——ワタシがもらうワ——!」
 
 顔を上げたその子の形相は、恐ろしいものだった。
 身体は酷く歪み、もはやそれは原形を留めていないほどだ。
 今までの霊の中でも、一番ゾッとする姿をしている。
 耳まで避けた真っ赤な口は不気味に開き、目はぽっかりと大きな穴が空いており、その中には赤い光が宿っていた。
 
「きゃはははははは!」
 
 その子は狂喜に満ちた笑い声を上げながら、雨花の方へ飛びかかってきた。
 雨花は必死に足を動かしてドアの方へ走った。
 震える手でドアを開けようとするが、何故かどうしても開かない。
 
「えっ? そんなっ!」
 
 そうこうするうちにも、あいつが迫ってくる。
 雨花はドアから離れてポケットをまさぐり、御守りを掴んで、女の子の化け物に向かって投げつけた。
 しかし、御守りは僅かに光っただけで、虚しく地に落ちてしまった。
 
「ヒヒヒヒヒ!」
 
 その子は全く動じない。
 音楽室の隅まで逃げたところで、雨花は突然身体が動かなくなってしまった。
 
「えっ!」
 
 身体を動かそうともがくが、反対に情けなくその場にへたり込んでしまう。
 
 そこは、あの穴の目の前だった。
 女の子はゆっくりと近づいて来る……。
 そして、雨花の前に立つと、
 
「フフフ……これで、やっと生きられるよォ!」
 
 と恐ろしい声で叫び、口をがばっと開けて迫ってきたのだ。
 
「!」
 
 もうなす術がなく、雨花は恐怖に目を見開いたままだ。
 その子の恐ろしい真っ赤な口が、もう目の前だ。
 そして、驚いたことに——その真っ赤な口から、赤黒い歪んだ手がずるりと這い出てきて、雨花の頭を鷲づかみにした。
 
「あ……」
 
 恐怖のあまり悲鳴すら上げられず、雨花の目からは涙がこぼれた。


 
 しかし、そのとき——


 
「なにやっとんや、お前!」
 
 どこからともなくラオの声がした。
 
「ウゥ——クソォ!」
 
 そいつは雨花から離れると、慌てて穴の中へ逃げ込もうとした。
 間髪を入れず、ザクッと雨花の目の前で、大鎌がそいつを貫いた。
 その子は小さく悲鳴を上げると、元の姿に戻り、消えゆきながら最後に悲しそうにつぶやいた。


 
「……もっと……生きたかったのに……」


 
 そうして、跡形もなく、少女は姿を消した。
 
 震えながら座り込んだままの雨花を、ラオは厳しい表情で見下ろした。
 
「なにやっとんや! なんで独りで放課後にこんなところ来たんや! お前、あの霊となんか関わっとったやろ? だいぶ精気を吸われとるやないか! 最近様子がおかしいと思ったら」
 
「……ごめん」
 
 雨花は未だ小さく震えながら、しょんぼりとして謝った。
 
「まあ……でも無事で良かった! うん!」
 
 そんな彼女の様子に、ラオは表情を緩めると明るくうなずいた。
 
「ありがとう……」
 
 雨花はほっとして目頭が熱くなり、慌てて目をゴシゴシと擦った。
 そして、ふらふらと立ち上がると、霊に投げつけた御守りを拾い上げた。
 
「ねえ、これ、今回効果なかったんだけど……」
 
「ああ、そりゃ二回も助けてくれたしな。多分もう効果ないと思うぞ」
 
「そっか」
 
 雨花は少し残念に思いながら、御守りをポケットにしまった。
 すると、ふとラオが自身のポケットから別の御守りを取り出して、雨花に差し出してきた。
 
「ああ、それで、これ——渡そうと思っとったの、忘れとった」
 
「え? あ、ありがとう?」
 
 雨花は遠慮がちに、その御守りを受け取った。
 少し年季が入ってはいるが、あまり見たことがないような、綺麗な水色をしたその御守りには、『昊乃鞘神社』とあった。
 
(なんて読むんだろう……?)
 
「これ、どうしたの?」
 
「宿直室の机の中から見つけた」
 
「へえ、綺麗な御守りだね」
 
「そうやろ? 古いけど、まだ効果ありそうなんよ。きっと、かなりいいところの神社なんやと思う。なんて読むかは、知らんけど」
 
 ラオはそう言って軽く笑った。
 
「そっか……ありがとうね」
 
 雨花はそれをジャージのポケットに突っ込んで、中でいじりながら、おもむろに口を開いた。
 
「ねえ……死神って苦しい?」
 
「んー、まあな。なんかなあ、胸が重い」
 
 ラオは言葉とは裏腹に軽く答える。
 
「早く、解放されたいと思う?」
 
「うーん、まあな……」
 
 遠くを見るような目で、ラオはつぶやくようにそう答えた。