《会いたいです》
送信すると、数秒後に《僕も》と返ってきた。たった二文字なのに、沙波はスマートフォンを胸元へ抱えそうになり、さすがに自分でも恥ずかしくなって机へ戻した。
沙波はスマートフォンを胸元へ抱えそうになり、さすがに自分でも恥ずかしくなって机へ戻す。
それでも、口元に浮かんだ笑みまでは消せなかった。
二十八日、二人は図書館ではなく、最初に会った公園へ行った。
瑠夏の原稿は最後まで書き上がり、あとは提出するだけだという。
「新人賞に出したら教えてくださいね」
芝生広場を歩きながら沙波が言うと、瑠夏は曖昧に笑った。
「うん」
「結果も」
「それは言いたくないかも」
「落ちた時?」
「落ちた時」
「教えてください」
「どうして」
「瑠夏さん、隠しそうだから」
図星だったのか、瑠夏は黙った。
「落ちても、私読んでますから」
「まだ読んでないでしょう」
「完成したら読む約束です」
「覚えてるよ」
「じゃあ、賞を取らなくても作品がなくなるわけじゃないでしょう」
瑠夏はしばらく何も言わず、芝生の先へ目を向けた。
「沙波、ほんと変わったね」
「みんなに言われます」
「嫌?」
少し前ならどう答えただろうと考えた末、沙波は首を横へ振った。
「今は、あんまり」
「そっか」
二人は、最初に瑠夏が寝転んでいた辺りまで来た。
夏休み初日に見た芝生と、大きく変わっているわけではない。
同じ木と同じ空があるのに、ここへ来た自分は以前とは少し違っている。その隣で、瑠夏が芝生へ腰を下ろした。
「今日は空見ないんですか」
「見る?」
「見ましょう」
沙波も少し離れて座る。寝転ぶかどうか迷った末、今日は瑠夏の真似をして芝生へ背中を預けた。
「服、汚れるよ」
「洗えば落ちるんでしょう」
最初の日に自分が言われた言葉を返すと、瑠夏が笑った。
二人で仰向けになる。
八月の空は高く、白い雲がゆっくり流れていた。
最初の日ほど大きな入道雲はない。
「何に見えます?」
沙波が尋ねる。
「今日は何にも見えない」
「私も」
「じゃあ、今日は正解一緒だね」
「何にも見えないのが正解なんですか」
「違う?」
沙波が笑うと、しばらく二人のあいだから言葉が消え、代わりに風が芝生を一斉に鳴らした。
瑠夏と一緒にいられる残り時間を数えないようにしていたのに、こうしていると余計に意識してしまう。
「瑠夏さん」
「うん」
「夏、終わりますね」
「終わるね」
「嫌です」
自分でも驚くほど素直に言えた。
「学校始まるから?」
「それもあるけど」
隣を見ると、瑠夏もこちらを向いていた。
「瑠夏さんが東京に戻るから」
風が二人の間を通り過ぎても、瑠夏は何も言わずに沙波を見ていた。
「前なら、こんなこと言わなかったと思います」
「どうして?」
「言ってもどうにもならないから。困らせるだけだと思ってたから」
「今は?」
「どうにもならなくても、嫌なものは嫌だって言っていいのかなって」
瑠夏の表情が少し和らぐ。
「いいんじゃない」
「瑠夏さんは困りません?」
「困るよ。でも、嬉しい」
沙波は目を瞬いた。
「どっちなんですか」
「両方。僕も東京には戻りたいし、沙波と離れるのは寂しいから」
どちらか一つに決めなくていいことは、この夏に何度も知ってきた。
「沙波」
「はい」
「夏が終わっても、僕が沙波を忘れるわけじゃないよ」
胸の中に、静かに言葉が落ちる。
「私も忘れません」
「それなら、今はそれでいいんじゃないかな」
「今は?」
「先のことは、先の僕らに考えてもらえば」
またその話だと思い、沙波は笑った。
「未来の自分に押しつけすぎですよ」
「最近、今の僕も結構頑張ってるから」
「小説?」
「それもある」
瑠夏は空へ目を戻した。
「今の僕にしか書けないものを書いてる気がするから」
「早く読みたいです」
沙波が身体を起こしても、瑠夏はしばらく空を見ていた。
頭上には、夏の終わりへ向かう空が広がっていた。
この夏がずっと続けばいいとは思わなかった。瑠夏は東京へ戻り、沙波は二学期を迎える。それでも季節が変わることと、今ここにあるものがすべて消えることまでを、同じ意味にはしたくなかった。


