夏にほどける

 その日の帰り、二人はいつもの川沿いを歩いた。
 八月の終わりが近いせいか、陽が落ちるのが以前より早い。

「小説、どうですか」

 沙波が尋ねると、瑠夏は鞄の肩紐を持ち直した。

「書けたよ。あと全体の直し」
「すごい」
「沙波に言われて書き直したところ、結構大変だったけどね」
「私のせいにしないでください」
「嘘。書き直してよかったと思ってる」
「ならよかったです」

 しばらく歩いてから、沙波は横目で瑠夏を見る。

「東京に戻っても書くんですよね」
「もちろん」
「図書館は?」
「向こうにもあるよ」
「空は?」
「東京にもある」
「……そうでした」

 自分でも可笑しくなり、沙波は笑った。
 東京という場所を、急に瑠夏を連れていく遠い世界のように考えていた。
 同じ国にあり、電車で行けるうえ、見上げる空まで途切れているわけではない。

「はい」
「会えなくなるわけじゃないよ」

 考えていたことを見透かされたようで、沙波は少し黙った。

「でも、今みたいには会えないでしょう」
「それはそうだね」
「図書館に行ったら瑠夏さんがいる、とか。公園で変なことしてる、とか」
「変なことは余計だな」
「空を見たいから芝生に寝転んでた人ですよ」
「あれがなかったら沙波とも会ってないでしょう」
「それは、そうですけど」

 言い返せなかった。瑠夏があの日、空を見ようと思わなければ、そもそも二人は出会っていない。

 沙波が予定もなく家を出ようと思わなければ。倒れているのかと勘違いして声を掛けなければ。二人はたぶん、今も知らない人同士だった。
 人生には、そういう偶然がいくつあるのだろう。

「瑠夏さん」
「うん?」
「東京、行ってみたいです」

 瑠夏が足を緩めた。

「東京に?」
「はい。今まで学校行事くらいでしか行ったことないので」
「何したい?」
「それはまだ分かりません。でも、瑠夏さんが普段いるところを見てみたい」

 言ってから、告白に近い響きを持ってしまった気がして頬が熱くなる。
 瑠夏も少し驚いていた。

「来ればいいよ。一人でも、友達とでも。来るなら僕が案内するし」
「本当に?」
「うん」

 沙波は少し笑った。

「その時は、私が行きたいところに付き合ってください」
「もちろん」
「瑠夏さんが決めないでくださいね」
「そこまで念押しする?」
「大事なので」

 瑠夏も笑った。東京へ行く予定はまだ何も決まっておらず、いつ行くのかも、何を見るのかも分からない。
 それでも「いつか会いに行くかもしれない」と思えるだけで、八月三十一日が人生の終わりのようには感じなくなった。