夏にほどける

「変わってますね、瑠夏さん」

 沙波が言うと、瑠夏は苦笑した。

「今その話したばかりなんだけど」
「違います。今のは悪い意味じゃなくて」
「変わってるねって言う人、だいたいそう言うよ」
「じゃあ……」

 沙波は少し考えた。

「私は、いいと思います」
「何が?」
「瑠夏さんが小説を書くの」

 瑠夏の表情から、ほんの一瞬だけ笑みが消えた。
 沙波は言葉を続ける。

「新人賞を取れるかどうかは分からないし、小説家になれるかも私は知らないです。でも、瑠夏さんが書いてる時、すごく楽しそうなので」
「僕、そんな顔してる?」
「さっき書けないって困ってましたけど、それでも嫌そうじゃなかったです」

 瑠夏は閉じかけていたパソコンへ目を落とした。

「そっか」
「だから、好きなら書けばいいと思います」

 口にしてから、沙波は少し恥ずかしくなった。
 まるで偉そうに許可したように聞こえる。

「すみません。私が言うことじゃないですね」
「ううん」

 瑠夏は静かに首を横へ振った。

「嬉しかった」

 その声が思いのほか真面目だったので、沙波は本へ視線を落とした。
 しばらくして、キーボードの音が再び始まる。
 沙波も読みかけのページへ戻った。
 けれど先ほどまでとは少し違って、その音が耳に入るたび、瑠夏の秘密を一つ預かったような気持ちになった。

 図書館を出る頃には、夕方の空に薄い雲が広がっていた。
 まだ日は高いものの、昼間の熱は幾分やわらぎ、建物の影も長くなっている。

「何か飲んで帰る?」

 瑠夏に尋ねられ、沙波は頷いた。

「今日は違うのにします」
「レモンスカッシュ卒業?」
「卒業じゃないです。ほかにも試すって言ったでしょう」

 二人でコンビニへ入り飲料棚の前へ立つと、沙波は前回ほど長く迷わず、桃の果汁が入った紅茶を選んだ。

「それ?」
「はい。今日はこれが飲みたいです」
「いいね」

 会計を済ませ、店の外へ出た。
 沙波が蓋を開けて一口飲むと、桃の甘い香りが先に広がり、あとから紅茶の渋みが残った。

「どう?」
「好きです」
「また当たりだ」
「私、意外と選ぶの上手なのかもしれません」
「それはまだ二本だから分からないね」
「そこは褒めてくださいよ」

 笑いながら歩き出したところで、沙波のスマートフォンが震えた。
 海へ行った友人たちからだった。

《帰りまーす》
《日焼けやばい》
《次は絶対全員ね!》

 写真には、夕方の海を背にした四人が映っている。
 昼に見た時と同じように、楽しそうだと思った。
 けれど今度は、取り残されたような感覚が少し薄れていた。

「友達?」

 隣から瑠夏が尋ねる。

「はい。海から帰るみたいです」
「楽しかったって?」
「みたいです」

 沙波はスマートフォンをしまった。

「行けばよかった?」

 訊かれ、今度はきちんと考えてから答える。

「行ったら楽しかったと思います」
「うん」
「でも、今日ここに来たのも楽しかったです」

 瑠夏がこちらを見る。

「じゃあ両方正解?」
「正解って決めなくてもよくないですか」

 自分の口から出た言葉に、沙波自身が驚いた。
 瑠夏は一瞬黙り、それから声を立てないように笑った。

「そうだね」
「瑠夏さんが言ったんでしょう。正解を決めるのやめた方がいいって」
「そこまでは言ってないよ」
「似たようなものです」
「沙波、結構勝手に解釈するね」
「駄目ですか?」
「いいんじゃない。僕の言葉をどう受け取るかは沙波のものだから」

 そう言われると、また何か教えられたようで悔しい。

「瑠夏さんって、たまに先生みたいです」
「十九歳の先生は頼りないでしょう」
「十九歳なんですね」
「言ってなかった?」
「大学一年生としか聞いてません」
「八月で十九」

 大学生というだけでずっと大人に見えていた人が、今は自分より一つ年上でしかないことを改めて知る。
 瑠夏だって、将来の答えを持っているわけではない。
 それでも自分の好きなものについてだけは、好きだと言える。
 そのことが、沙波には少し羨ましかった。