午後三時を過ぎた頃、沙波は図書館へ向かった。
借りた本を返すにはまだ早いし、夏休みの課題をするなら家でも構わない。それでも部屋にこもってグループチャットを気にしているより、外へ出た方がよいと思った。
図書館の二階へ上がると、窓際の閲覧席に見覚えのある後ろ姿があった。
瑠夏はイヤホンを片耳だけにつけ、ノートパソコンへ向かっている。
会えるかもしれないとは思っていた。
実際に見つけると、それとは別の嬉しさが込み上げ、沙波は足音を立てないよう近づいた。
画面を覗かない位置まで来たところで、瑠夏が顔を上げる。
「沙波」
瑠夏は笑ってイヤホンを外し、パソコンの画面を閉じた。
「今日は本?」
「それもありますけど、家にいても暇だったので」
「海は今日だったよね」
覚えていたらしい。
「はい。みんな今頃、遊んでます」
「楽しそう?」
「楽しそうですよ。写真がずっと送られてきてます」
「そっか」
それ以上を尋ねられなかったので、沙波は向かいの席へ座った。
瑠夏がパソコンを開くのを見て、沙波も鞄から本を取り出し、しばらく二人とも言葉を交わさずに過ごした。
キーボードを叩く小さな音と、ページをめくる音だけが続く。
こうして誰かと同じ場所にいながら、別々のことをしている時間を、沙波はあまり経験したことがなかった。
友達といれば会話をする。沈黙が続けば、何か話した方がいいような気がしてスマートフォンを見せたり、学校の話をしたりする。
けれど瑠夏は、沙波が黙っていても気にしない。
瑠夏も黙ったまま小説を書いており、その静けさが思いのほか心地よかった。二十分ほど経った頃になって、キーボードの上を走っていた指が止まる。
彼は画面を見つめたまま、しばらく何かを考えている。
「書けないんですか」
沙波が小声で尋ねると、瑠夏は椅子の背へ身体を預けた。
「少し詰まった」
「この前、進んだって言ってませんでした?」
「進んだら次の書けないところが来るから」
「大変ですね」
「うん。でも好きだから」
迷いのない答えに、沙波は本から目を上げた。
「そんなに好きなんですか。小説を書くの」
「好きだよ」
「どうして?」
瑠夏はすぐには答えず、考えるように窓の外へ視線を向けた。
「僕が見たものとか、思ったこととか、誰にも言わなかったことまで、形にできるからかな」
「日記じゃ駄目なんですか」
「日記でもいいと思う。でも僕は、誰かの物語にした方が書ける」
「自分のことなのに?」
「自分のことだから、直接書けないこともあるでしょう」
沙波には、その感覚が少しだけ分かる気がした。
母に「普通でいい」と言われて苦しかったことを、そのまま母へ言うのは難しい。母を嫌いなわけではなく、間違っていると責めたいわけでもないから、なおさら言葉にしづらかった。
借りた本を返すにはまだ早いし、夏休みの課題をするなら家でも構わない。それでも部屋にこもってグループチャットを気にしているより、外へ出た方がよいと思った。
図書館の二階へ上がると、窓際の閲覧席に見覚えのある後ろ姿があった。
瑠夏はイヤホンを片耳だけにつけ、ノートパソコンへ向かっている。
会えるかもしれないとは思っていた。
実際に見つけると、それとは別の嬉しさが込み上げ、沙波は足音を立てないよう近づいた。
画面を覗かない位置まで来たところで、瑠夏が顔を上げる。
「沙波」
瑠夏は笑ってイヤホンを外し、パソコンの画面を閉じた。
「今日は本?」
「それもありますけど、家にいても暇だったので」
「海は今日だったよね」
覚えていたらしい。
「はい。みんな今頃、遊んでます」
「楽しそう?」
「楽しそうですよ。写真がずっと送られてきてます」
「そっか」
それ以上を尋ねられなかったので、沙波は向かいの席へ座った。
瑠夏がパソコンを開くのを見て、沙波も鞄から本を取り出し、しばらく二人とも言葉を交わさずに過ごした。
キーボードを叩く小さな音と、ページをめくる音だけが続く。
こうして誰かと同じ場所にいながら、別々のことをしている時間を、沙波はあまり経験したことがなかった。
友達といれば会話をする。沈黙が続けば、何か話した方がいいような気がしてスマートフォンを見せたり、学校の話をしたりする。
けれど瑠夏は、沙波が黙っていても気にしない。
瑠夏も黙ったまま小説を書いており、その静けさが思いのほか心地よかった。二十分ほど経った頃になって、キーボードの上を走っていた指が止まる。
彼は画面を見つめたまま、しばらく何かを考えている。
「書けないんですか」
沙波が小声で尋ねると、瑠夏は椅子の背へ身体を預けた。
「少し詰まった」
「この前、進んだって言ってませんでした?」
「進んだら次の書けないところが来るから」
「大変ですね」
「うん。でも好きだから」
迷いのない答えに、沙波は本から目を上げた。
「そんなに好きなんですか。小説を書くの」
「好きだよ」
「どうして?」
瑠夏はすぐには答えず、考えるように窓の外へ視線を向けた。
「僕が見たものとか、思ったこととか、誰にも言わなかったことまで、形にできるからかな」
「日記じゃ駄目なんですか」
「日記でもいいと思う。でも僕は、誰かの物語にした方が書ける」
「自分のことなのに?」
「自分のことだから、直接書けないこともあるでしょう」
沙波には、その感覚が少しだけ分かる気がした。
母に「普通でいい」と言われて苦しかったことを、そのまま母へ言うのは難しい。母を嫌いなわけではなく、間違っていると責めたいわけでもないから、なおさら言葉にしづらかった。


