夏にほどける

「……分かりません」
「そっか」
「また、それだけなんですね」
「何が?」
「私が分からないって言うたびに、瑠夏さん、すぐ受け入れるから」
「分からないものは、分からないんでしょう?」
「そうですけど」

 瑠夏は少し考え、それから書架へ目を向けた。

「じゃあ今日は、一冊選んでみる?」
「一番好きな本を?」
「まだ読んでない本から一番好きなものを選べたら、そっちの方がすごいよ」
「じゃあ何を選ぶんですか」
「沙波が気になったもの。表紙でもタイトルでも、最初の一頁でも、理由は何でもいいんじゃないかな」
「面白くなかったら?」
「返せばいいでしょう」
「図書館だから?」
「そう。無料で失敗できる」

 思わず笑ってしまった。

「瑠夏さん、さっきから私に失敗させようとしてません?」
「失敗しても困らないものを選んでるだけだよ」
「私のために?」

 訊くと、瑠夏は少し意外そうな顔をした。

「そこまで考えてなかった。僕も普通にやるから」
「知らない本を?」
「表紙だけで選んだりするよ」
「外れます?」
「かなり」
「それでもやるんですね」
「次は別のものを選べばいいし、本なら途中で閉じても怒られないでしょう」

 その答えが、いかにも瑠夏らしかった。

 人生まで同じようにやり直せるとは言わない。
 けれど、飲み物一本や本一冊なら、少しくらい失敗しても構わない。

 沙波は一人で書架の間へ入った。
 恋愛小説、青春小説、ミステリー、海外文学、エッセイ。背表紙を順番に眺めていく。

 誰かに薦められれば、どれでも読むことはできる気がした。
 今日は、自分の目が止まるものを探してみる。

 しばらく歩いているうち、淡い青色の表紙が目についた。
 題名にも、作者の名前にも見覚えはない。
 手に取ると、水辺へ一人の少女が立っている絵が描かれていた。派手な装丁ではないのに、棚へ戻そうとしたところで少し惜しくなり、沙波はもう一度表紙を見た。
 裏返してあらすじを読み、面白いかどうかはまだ分からないまま、それでももう少し知りたいと思った。
 沙波は棚へ戻しかけた手を止め、その本を胸元へ抱えた。

 今日は、この一冊にする。

「決まった?」

 書架の外へ出ると、瑠夏は廊下の壁際で待っていた。

「これにします」
「いいね」
「知ってる本ですか?」
「知らないよ」
「じゃあ何がいいんですか」
「沙波が選んだ顔してるから」
「どんな顔ですか、それ」
「少し嬉しそう」

 指摘され、沙波は思わず本を口元近くまで持ち上げた。

「見ないでください」
「顔なんだから見えるでしょう」
「そういう意味じゃなくて」

 瑠夏が笑う。
 笑うと目尻が少し下がり、さっき光の中で見た瞳が柔らかく細くなる。 その変化へ気づいた自分にまた少し戸惑い、沙波は本の表紙へ視線を逃がした。

「からかわないでください」
「からかってないよ。ちゃんと選べたんだなと思っただけ」

 瑠夏はそう言って、二階へ続く階段へ向かう。
 沙波も本を抱え直して、そのあとを追った。