夏にほどける

「小説を書いてるって言うと、どうして書くのとか、本気で作家になりたいのとか、見せてとか、いろいろ聞かれるでしょう。だから、自分から話さなくなっただけだと思う」
「大学の友達も知らないんですか?」
「知ってる人はいるけど、そんなに多くはないかな」
「恥ずかしいから?」
「それも少しはあるけど、説明するのが面倒なんだと思う。好きだから書いてる、で終わらないことも多いし」

 沙波は、公園で瑠夏へ「ちょっと変わってますね」と言ったことを思い出した。
 あの時は平気そうに受け流していたので、本当に何とも思っていないのだと考えていた。

「私も言いましたよね」
「何を?」
「変わってるって」
「ああ」
「嫌じゃなかったですか?」
「沙波は馬鹿にしてなかったから」

 瑠夏はそこで少し笑った。

「それに、たぶん本当に少し変わってるんでしょう。空を見るために芝生で二十分寝てたくらいだから」
「それは、少しどころじゃないと思います」
「そんなに?」
「倒れてると思って声掛けたんですよ」
「じゃあ、あれはやっぱり反省した方がいいね」

 二人で小さく笑う。
 けれど沙波の中には、先ほど聞いた話が残った。
 変わっている。言う側に悪意がなくても、何度も言われれば、そのたびに自分の好きなものを説明しなければならないような気持ちになるのかもしれない。
 それでも瑠夏は小説を書くことをやめていない。

「私、いいと思います」

 気づけば、そう言っていた。

「何が?」
「瑠夏さんが小説を書くの」

 瑠夏の目が少し見開かれた。
 沙波は急に恥ずかしくなったものの、もう一度言葉を選ぶ。

「私にはできないから、すごいと思います。何もないところから、何万字も話を作るんでしょう?」
「何もないところからではないよ」
「そうなんですか?」
「見たものとか、聞いたこととか、人と話して考えたこととか、いろんなものが混ざるから。だからこの前も空を見てたんだと思う」
「ああ」

 公園で寝転がっていた姿が、ようやく小説を書くことへ繋がった。

「じゃあ、あの空も小説に出るんですか?」
「出るかもしれないし、結局使わないかもしれない」
「使わないこともあるんですか?」
「むしろ、使わない方が多いと思う」
「二十分も見たのに?」
「使わなかったからって、見た時間までなくなるわけじゃないでしょう」

 瑠夏は書架へ視線を移しながら、少し笑った。

「それに、面白かったからいいよ。沙波は犬って言ったのに、僕にはワニに見えたし」

 役に立たないかもしれないことへ時間を使い、それを無駄だったと思わず「面白かったからいい」と言えることが、沙波には少し眩しかった。

「沙波は、どんな本を読むの?」

 尋ねられ、沙波は周囲の書架を見渡した。

「何でも読みますよ」
「何でも?」
「学校で薦められたものとか、友達が面白かったって言ってたものとか。SNSで話題になってた本も読むし」
「じゃあ、一番好きな本は?」

 そこで返事が止まった。面白かった本ならいくつも思い浮かぶのに、「一番好き」と言われると急に難しくなる。
 授業で読んだ作品にも好きなものはあったし、友人に借りて夢中になった小説もある。それでも「一番好き」と言われた途端、どの一冊を選べばよいのか分からなくなった。