カーテンを開いた。
途端に舞う埃が、太陽の光に反射して煌めいて見せる。スターダスト、そんな言葉が頭に浮かんだ。雪が太陽の光を反射してきらきらと輝く現象。きっとここは雪景色に飲まれている。
彼が今、奏でる曲はドビュッシーの雪の上の足跡。彼がピアノに触れた瞬間、一瞬にして埃は雪に変わり、煌めく反射はスターダストになる。
世界を塗り替えてしまう彼の演奏は、紛れもなく本物だった。誰だったか、どんな才能も偽物に変えてしまう天才がいる、そういった人は。
彼はまだ若いその身に、妬みや尊敬をかき集めて、それを冷めた横目で眺めてため息を吐いている。
誰にも心を開いているように見えて、誰のことも興味もない無関心な人。最初はそんなイメージだった。
木偶人形の己にとって、初めての友人。
静かに移り行く部屋の影を視線で追いながら、音楽室に響く彼の声と、ピアノの旋律を聞く時間は救いだった。
音色は時に、滴る雨の陰りを嘆くように、または走り回る無邪気な子供を表現する。覗くたび姿を変える万華鏡だ。
「ねぇ、星良さんはなんでハルがピアノを弾くと怒るの?」
演奏中の彼の世界には、誰も存在しない。俺に見向きもしない。けれど、春は手を止めて虚ろな目で応えた。
「星良は、ピアニストを目指していたんだ」
演奏に魅入られ、ピアノに骨までしゃぶられそうな彼のその瞳の澱みを見て、喉奥が引き攣った。
「……だったら、余計喜ぶもんじゃない? 血が繋がらないとはいえ、息子に才能があってさ」
「自分より秀でる奴が、仮にも息子だったら俺は嫌だな」
折れてしまいそうな細い指をピアノに置くと、静かな溜息を吐いた。透き通る彼の存在。息をひそめるだけで何もかも幻影のように、粉々に砕かれてしまう現実感。
そうじゃないだろ、お前は。握りしめた拳が痙攣するように震える。
才能に恵まれたハルが、環境に恵まれないことが腹立たしい。背筋を伸ばし、凛とした雰囲気をもつハル。それなのにどうしたことか、俺の前では色素が薄まる。
淡い光の白に負け、眩しさに目を細めた瞬間、消えてしまいそうな儚さ。きっと跡形も残りはしない。
ハルがいなくなることが怖い。優しい奴は早くいなくなるから。
窓の外の校外には、世話しなく誰かが行き来をしている。汗をかきながら、死んだような目のサラリーマンがハンカチで額を抑えていた。
笑えない冗談だろう。これがあと数年後の俺の末路だ。眺めるのも嫌になれば、俯くしかない。そうやって出来上がる、後ろ向きな人生。RPGゲームであったっけ? 「返事がない、まるで屍のようだ」ってセリフ。
三万回、同じ日々がリピートされて終わる。そうやって俺は卑下している。夢中になれるほど好きになれること一つだってない。
「お前はいいよ。才能があって。親に期待されなくても、ほかの誰かに将来に期待されてて。俺はやりたいことまだわからない」
俺には癖がある。髪を抜く癖だ。嫌な時、むかつくとき。将来にやりたいことが見つからなくて、息苦しい時。そんな時、つい頭を掻きむしって毛を抜く。
「明菫、それやめろ」
「ハルにはわかんないよ。俺のことは。星良さんだってハルの頑張りを見ていれば絶対」
許してくれるのにと言おうとして、遮るようにハルは言った。
「どうせ、死んでしまうのに?」
ぞくりと、背中が震えるのが分かった。冷たい声色は静かな怒りを露わにし、曇らせた表情には、ギラつく憎悪の眼光が嫌になるほど美しかった。形のいい唇、中世的な顔立ち、優しい顔立ちの彼が、不意に見せる凶暴性。鳥肌が立つ、そんなハルに。
「死ぬ……ってなに?」
呆然と聞き返しても、ハルはその表情を崩さなかった。
「さぁ、なんだろうな。死ぬって」
はぐらかす気などないのか、聞かれたくないのか、わかるかわからない以前の話だ。俺はハルのことを何も知らなかったのだから。
途端に舞う埃が、太陽の光に反射して煌めいて見せる。スターダスト、そんな言葉が頭に浮かんだ。雪が太陽の光を反射してきらきらと輝く現象。きっとここは雪景色に飲まれている。
彼が今、奏でる曲はドビュッシーの雪の上の足跡。彼がピアノに触れた瞬間、一瞬にして埃は雪に変わり、煌めく反射はスターダストになる。
世界を塗り替えてしまう彼の演奏は、紛れもなく本物だった。誰だったか、どんな才能も偽物に変えてしまう天才がいる、そういった人は。
彼はまだ若いその身に、妬みや尊敬をかき集めて、それを冷めた横目で眺めてため息を吐いている。
誰にも心を開いているように見えて、誰のことも興味もない無関心な人。最初はそんなイメージだった。
木偶人形の己にとって、初めての友人。
静かに移り行く部屋の影を視線で追いながら、音楽室に響く彼の声と、ピアノの旋律を聞く時間は救いだった。
音色は時に、滴る雨の陰りを嘆くように、または走り回る無邪気な子供を表現する。覗くたび姿を変える万華鏡だ。
「ねぇ、星良さんはなんでハルがピアノを弾くと怒るの?」
演奏中の彼の世界には、誰も存在しない。俺に見向きもしない。けれど、春は手を止めて虚ろな目で応えた。
「星良は、ピアニストを目指していたんだ」
演奏に魅入られ、ピアノに骨までしゃぶられそうな彼のその瞳の澱みを見て、喉奥が引き攣った。
「……だったら、余計喜ぶもんじゃない? 血が繋がらないとはいえ、息子に才能があってさ」
「自分より秀でる奴が、仮にも息子だったら俺は嫌だな」
折れてしまいそうな細い指をピアノに置くと、静かな溜息を吐いた。透き通る彼の存在。息をひそめるだけで何もかも幻影のように、粉々に砕かれてしまう現実感。
そうじゃないだろ、お前は。握りしめた拳が痙攣するように震える。
才能に恵まれたハルが、環境に恵まれないことが腹立たしい。背筋を伸ばし、凛とした雰囲気をもつハル。それなのにどうしたことか、俺の前では色素が薄まる。
淡い光の白に負け、眩しさに目を細めた瞬間、消えてしまいそうな儚さ。きっと跡形も残りはしない。
ハルがいなくなることが怖い。優しい奴は早くいなくなるから。
窓の外の校外には、世話しなく誰かが行き来をしている。汗をかきながら、死んだような目のサラリーマンがハンカチで額を抑えていた。
笑えない冗談だろう。これがあと数年後の俺の末路だ。眺めるのも嫌になれば、俯くしかない。そうやって出来上がる、後ろ向きな人生。RPGゲームであったっけ? 「返事がない、まるで屍のようだ」ってセリフ。
三万回、同じ日々がリピートされて終わる。そうやって俺は卑下している。夢中になれるほど好きになれること一つだってない。
「お前はいいよ。才能があって。親に期待されなくても、ほかの誰かに将来に期待されてて。俺はやりたいことまだわからない」
俺には癖がある。髪を抜く癖だ。嫌な時、むかつくとき。将来にやりたいことが見つからなくて、息苦しい時。そんな時、つい頭を掻きむしって毛を抜く。
「明菫、それやめろ」
「ハルにはわかんないよ。俺のことは。星良さんだってハルの頑張りを見ていれば絶対」
許してくれるのにと言おうとして、遮るようにハルは言った。
「どうせ、死んでしまうのに?」
ぞくりと、背中が震えるのが分かった。冷たい声色は静かな怒りを露わにし、曇らせた表情には、ギラつく憎悪の眼光が嫌になるほど美しかった。形のいい唇、中世的な顔立ち、優しい顔立ちの彼が、不意に見せる凶暴性。鳥肌が立つ、そんなハルに。
「死ぬ……ってなに?」
呆然と聞き返しても、ハルはその表情を崩さなかった。
「さぁ、なんだろうな。死ぬって」
はぐらかす気などないのか、聞かれたくないのか、わかるかわからない以前の話だ。俺はハルのことを何も知らなかったのだから。
