あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 その後、奈津は紫鬼の執務室にいた。
 紫鬼は机に向かい、積み上げられた書類に目を通している。
 奈津も少し離れた場所で、本を開いていた。

 ――ここにいる。それがお前の役目だ。
 そう言われてから、こうして紫鬼の執務室で過ごすことは、いつの間にか日常になっていた。

 奈津は本から顔を上げる。
 朝から感じている違和感。
 紫鬼に話せば、何かが分かるかもしれない。

 「あの、紫鬼様――」

 そう声をかけた時だった。

 「紫鬼様」

 襖の向こうから、鬼の声がした。

 「何だ」

 「お客様が紫鬼様にご用があるとのことで、お連れしました」

 奈津が目を瞬く。
 襖が開き、そこに立っていたのは屋敷の鬼と――綾乃だった。

 「お姉様」

 綾乃が奈津を見て、目を見開く。

 奈津も驚いていた。紫鬼の執務室へ人間の客人を通すなら、通常は九重を通して許可を得るはずだ。
 この鬼が独断でここまで連れてくるなど、普段なら考えられない。

 紫鬼も同じことを思ったのか、眉を寄せた。

 「紫鬼様、よろしければ私と――」

 綾乃が笑顔のまま、一歩部屋へ踏み入れようとする。

 「入るな」

 低い声が、ぴたりとその足を止めた。

 「……え?」

 「部外者の入室は許可していない」

 紫鬼は冷ややかに綾乃を見る。

 「用があるなら、そこで言え」

 「……っ」

 綾乃の頬が、かっと赤く染まった。

 「……失礼、いたしました」

 どうにか笑みを保ったまま、一歩下がった。

 「お茶でもご一緒できればと思ったのですが……またの機会にいたしますわ」

 「用はそれだけか」

 「……はい」

 紫鬼はそれ以上、綾乃へ興味を示さなかった。
 綾乃は室内にいる奈津へ視線を向ける。
 その口元が、引きつった。

 「……失礼いたしますわ」

 笑みを貼りつけたまま、踵を返した。
 その背を見送ることもなく、紫鬼は綾乃を連れてきた鬼へ目を向ける。

 「お前」

 「は、はい」

 「なぜここへ通した」

 鬼が、はっとしたように目を見開いた。

 「……申し訳ございません。自分でも、なぜこんなことをしたのか……」

 紫鬼が眉を寄せた。

 「もういい。下がれ」

 「……はい」

 鬼は困惑したまま頭を下げ、襖を閉めた。
 奈津は、閉じた襖を見つめていた。

 やはり、何かがおかしい。