あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 奈津は、しばらく言葉を返せなかった。
 嫌な予感はしていた。
 けれど、まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。

 「……何を、おっしゃっているんですか」

 「綾乃とは、もう終わった。あいつから別れを告げられたんだ」

 宗一は苦々しげに言う。

 「だから今度こそ、僕たち――」

 「それで」

 奈津は静かに遮った。

 「私が戻ると、思ったのですか?」

 宗一の表情が固まる。

 「奈津?」

 「あの日で、全て終わっています」

 雨の中。結界の森へ捨てられ、遠ざかっていった馬車。
 あの光景は、今でも鮮明に覚えている。

 「あれは……綾乃が勝手に――」

 「綾乃だけのせいではありません」

 奈津は、まっすぐ宗一を見た。

 「宗一様も、私を置いていったでしょう?」

 宗一が言葉に詰まる。

 「私は戻りません」

 今度は、はっきりと言えた。
 宗一の眉が寄る。

 「……あの鬼に何か言われてるのか?」

 「違います」

 奈津はすぐに否定した。

 「紫鬼様は、私に何も強いていません」

 「だったら、なおさらおかしいだろう」

 「……え?」

 宗一が苛立ったように言う。

 「お前が、堂目道家当主の花嫁だなんて。
 お前には浄化の力もない。それなのに、あれほどの鬼がお前を選ぶなんて――」

 奈津の胸が、わずかに痛んだ。
 けれど、もう俯かなかった。

 「……あなたから、どう思われようと構いません」

 奈津は宗一をまっすぐに見つめる。

 「私が、ここにいたいと望んでいるんです」

 そして、はっきりと言った。

 「これは、私が決めたことです」

 宗一が目を見開いた。
 以前なら、こんなふうに自分の意思を口にすることなどできなかったかもしれない。

 「ですから、もう私のことは放っておいてください」

 奈津はそれだけ告げると、宗一へ背を向けた。

 「奈津!」

 呼び止める声が聞こえたが、もう振り返らなかった。

 ◇

 少し離れた場所から、その一部始終を見ていた綾乃は、ゆっくりと目を細めた。  

 (急に視察へ同行したいと言い出したと思ったら……そういうだったのね)

 宗一の視線は、去っていく奈津の背を追ったままだ。
 綾乃は小さく笑う。

 なら、ちょうどいい。

 (お姉様のことは、宗一様に引き取っていただけばいいのよ)

 もともと二人は婚約者だったのだ。
 元いた場所へ戻るだけ。
 そうすれば、奈津が紫鬼のそばにいる理由もなくなる。

 綾乃は何事もなかったように踵を返した。