あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 「あ、あの……どちらへ?」

 「少し付き合え」

 「……?」

 奈津は訳も分からないまま、紫鬼の腕の中で目を瞬く。
 しばらくして、紫鬼が口を開いた。

 「九重から聞いた」

 「何をですか?」

 「放っておくと、すぐに働こうとするとな」

 奈津の顔が引きつる。

 「……九重様……」

 「夜刀も似たようなことを言っていた」

 ますます居心地が悪くなり、奈津は小さくなる。
 紫鬼がそんな奈津を一瞥した。

 「お前は、休むということができないのか」

 思いがけない問いだった。
 奈津は少し考えてから、視線を落とす。

 「……何もしていないと、落ち着かないんです」

 「なぜだ」

 「昔から、そうだったので」

 奈津は自分の手へ目を落とした。

 「私には、浄化の力がないと思われていました。だから……せめてそれ以外のことで、役に立たなくてはいけないと思っていたんです」

 九条家でも、ずっとそう言われてきた。
 何もできないのなら、せめて働けと。

 「何かやることを探して、動いているのが当たり前だったんです」

 奈津は自嘲するように笑う。

 「だから、何もしなくていいと言われると……どうしていいのか分からなくて」

 紫鬼は何も言わなかった。
 やがて、奈津を抱いたまま一つの部屋へ入る。

 そこは、紫鬼の執務室だった。
 文机には書状が積まれ、筆や硯が整然と並んでいる。
 紫鬼は奈津を座布団の上へ下ろした。

 「紫鬼様?」

 「そこにいろ」

 「……はい?」

 紫鬼は何事もなかったかのように文机の前へ座り、書状を手に取った。
 奈津は呆然とその姿を見つめる。

 「あの……」

 「何だ」

 「私は、何をすればいいのでしょうか」

 「何もしなくていい」

 「でも……」

 紫鬼が書状から顔を上げる。

 「何かしていないと落ち着かないと言ったな」

 「……はい」

 「なら、これからはここにいろ」

 「……ここに?」

 「ああ」

 「でも、それでは何の役にも……」

 「ここにいる。それがお前の役目だ」

 奈津は目を瞬いた。

 「……いるだけで、よいのですか?」

 「俺がそう決めた」

 それ以上、反論を許す気はないらしい。
 紫鬼は再び書状へ視線を戻した。

 奈津はしばらく呆然としていたが、やがて諦めたように座り直す。

 (……本当に、いるだけでいいのかな)

 何もしなくていい。
 そんな時間を、奈津はほとんど知らない。