あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 堂目道家の屋敷に、紫鬼が戻っていた。

 「紫鬼様!」

 九重が駆け寄る。
 その表情が、紫鬼の姿を認めた途端に強張った。

 「……紫鬼様」

 白銀の髪は乱れ、もともと青白い顔からは、さらに血の気が失せている。
 何より異様なのは、その身を覆う穢れだった。
 黒い靄が全身から立ちのぼり、抑え込むことすらできないのか、足元へ絶え間なく零れ落ちている。

 紫鬼が一歩、足を踏み出す。
 その身体が大きく揺れた。

 「……っ」

 九重が咄嗟に腕を支える。

 「触るな」

 「そのお身体で何を仰います」

 紫鬼は九重の手を振り払おうとしたものの、その動きにもいつもの力はなかった。
 呼吸は浅く、額には薄く汗が滲んでいる。
 それでも何事もないかのように、背筋を伸ばそうとしていた。

 「……随分とお早いお戻りで」

 「……ああ」

 掠れた声で、紫鬼は短く答える。

 「どれほど引き受けられたのです」

 「大したことではない」

 「そのお姿で言われましても、説得力がございませんよ」

 九重は小さく息を吐くと、すぐに周囲へ目を向けた。

 「癒し子様を。急いでください」

 「はい」

 そばに控えていた鬼が頭を下げ、奈津を呼びに向かう。
 その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。

 「紫鬼様!」

 駆けてきたコマが、紫鬼の姿を見た途端に息を呑む。

 「……そんな……」

 その後ろから、夜刀も姿を現した。

 「紫鬼様……!」

 夜刀の表情が険しくなる。

 紫鬼は柱へ手をついた。
 その指先が、僅かに震えている。
 九重はそれを見逃さなかったが、何も言わなかった。
 今は、奈津を呼ぶのが先だ。

 ところが――。
 しばらくして戻ってきた鬼の顔には、困惑が浮かんでいた。

 「九重様」

 「癒し子様は?」

 「それが……お部屋にいらっしゃいません」

 九重の表情が変わる。

 「……いない?」

 「はい。お部屋にも、その周辺にもお姿がなく……」

 紫鬼が僅かに顔を上げた。

 「いつからいない」

 「それが……」

 鬼が言葉に詰まる。
 いつの間にか、周囲には何人もの鬼が集まっていた。
 紫鬼が穢れを引き受けていることは知られていても、その直後の姿を目にする者は少ない。
 紫鬼が屋敷へ戻るのは、皆が寝静まった頃になることがほとんどで、いつも翌朝には、何事もなかったかのように当主として振る舞っているからだ。

 だからこそ。
 全身から黒い穢れを滲ませ、柱に身体を預ける紫鬼の姿に、鬼たちは息を呑んでいた。

 「紫鬼様が、あんな……」

 誰かが呆然と呟く。

 「九重様、紫鬼様は……」

 「心配はいりません」

 九重はそう答えたものの、その表情からいつもの余裕は消えている。

 「とにかく、癒し子様を探してください」

 その言葉に、周囲がざわめいた。

 「……もしかすると、屋敷を出られたのではありませんか?」

 一人の若い鬼がおずおずと口を開く。
 昼間、奈津を嘲っていた二人のうちの一人だった。