あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 すっかり日が暮れ、屋敷が静けさに包まれた頃。

 奈津は一人、長い廊下を歩いていた。

 紫鬼は今日も、穢れを引き受けるため屋敷を出ている。
 戻るのは、皆が寝静まった頃になるという。

 (今日も、無事にお戻りになるといいけれど……)

 戻ってきたら、また少しでも穢れを浄めたい。

 そんなことを考えながら、自室へ向かっていた。
 コマは九重に呼ばれており、今はそばにいない。
 角を曲がったところで、背後から声をかけられた。

 「癒し子様」

 聞き覚えのある声に、奈津は足を止める。
 振り返ると、そこにいたのは昼間、奈津へ侮蔑の言葉を投げつけた若い鬼の一人だった。

 「……何でしょうか」

 奈津の身体が強張る。
 けれど男は、昼間とは打って変わって殊勝そうに頭を下げた。

 「先ほどは、大変失礼いたしました」

 「え……?」

 「少々、言い過ぎました。申し訳ございません」

 あまりの変わりように、奈津は戸惑う。

 「いえ……」

 「お詫びと言っては何ですが、お見せしたいものがあるのです」

 「私に、ですか?」

 「はい。こちらへ」

 男はそう言うと、廊下の奥へ歩き始めた。
 奈津はその背中を見つめる。

 昼間のことを思えば、ついていくべきではないのかもしれない。
 それでも、謝りに来た相手を疑いきれず、奈津はそのあとを追った。

 進むにつれ、人の気配がなくなっていく。
 灯りも少なく、普段使われている場所とは明らかに様子が違っていた。

 「……あの」

 奈津は足を緩める。

 「どちらへ行くのですか?」

 男は答えない。
 胸に不安が広がり、奈津が立ち止まった、その時。

 背後から足音が聞こえた。

 「――ここまで来れば十分だろ」

 「……え?」

 振り返る。
 そこに立っていたのは、昼間のもう一人の若い鬼だった。
 いつの間にか、二人に挟まれている。

 奈津は息を呑んだ。
 先を歩いていた男が振り返る。
 先ほどまでの殊勝な表情は、もうなかった。

 「本当に、ついてくるとはな」

 奈津の顔が強張る。

 「……最初から、謝るつもりなどなかったのですか」

 「当たり前だろ」

 背後の鬼が鼻で笑った。

 「少し痛い目に遭わせれば、お前もここから出ていきたくなると思ってな」

 「……何を」

 奈津が一歩、後ろへ下がる。
 その踵が、何もない空間を踏みかけた。

 「……っ」

 振り返ると、その先には地下へ続く暗い石段があった。
 奈津の顔から血の気が引く。

 「待ってください。こんなことをして――」

 「少し頭を冷やしてこい」

 男が鼻で笑う。

 「ここに居続けたいなんて、もう思わなくなるだろ」

 男が奈津へ近づいてくる。
 奈津は咄嗟に身を翻そうとした。

 その瞬間、背中に強い衝撃が走った。

 「……っ!」

 足元が消える。
 奈津の身体は、そのまま暗い石段へ投げ出された。