あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 「綾乃」

 襖の向こうから、明美の声がした。

 「入るわよ」

 「お母様?」

 明美が、一通の書状を手に部屋へ入ってくる。
 その顔はどこか上機嫌だった。

 「また縁談のお話が来たの」

 「……また?」

 綾乃は露骨に顔をしかめる。

 「今度はかなり格の高いお家よ。お相手も申し分ない方だそうなの」

 明美は嬉しそうに書状を差し出した。

 「すぐに決めなくてもいいのだから、お話だけでも聞いてみたら?」

 「嫌よ」

 綾乃は、書状を見ることすらしなかった。

 「でも綾乃。これまでのお話より、ずっと――」

 「嫌だと言っているでしょう?」

 明美が口を閉ざす。
 綾乃の指先が、膝の上で強く握られた。

 どれほど位が高かろうと。
 どれほど条件のいい相手だろうと。
 そんなものは、もう意味がない。

 だって――奈津が。
 あの、何の力もない出来損ないだったはずの奈津が。
 妖の中でも頂点に立つ鬼。
 堂目道家当主・紫鬼の《花嫁候補》なのだから。

 「どうして私が……」

 綾乃の声が震える。

 「奈津より格下の相手で、満足しなくちゃいけないの?」

 「綾乃……?」

 明美が戸惑ったように娘を見る。

 「私の方が、ずっと上なのに」

 浄化の力も。容姿も。父からの評価も。
 ずっと、自分の方が上だった。
 奈津は、自分より下にいるのが当たり前だった。

 それなのに。

 「なんで……」

 綾乃は立ち上がった。

 次の瞬間。
 手近にあった花瓶を掴み、床へ叩きつける。
 甲高い音とともに、陶器が砕け散った。

 「きゃっ……綾乃!」

 「なんで奈津なのよ!」

 卓上のものを腕で薙ぎ払う。

 「私の方が、ずっと価値があるのに!」

 「綾乃、落ち着いて!」

 「うるさい!

 綾乃は手近にあった香水瓶を掴むと、鏡へ力いっぱい投げつけた。

 ガシャン――!

 鏡が砕け、細かな破片が鏡台の上へ散る。
 肩で息をしながら、綾乃はひび割れた鏡の中の自分を睨んだ。
 亀裂によって、顔がいくつにも歪んで映っている。

 けれど綾乃の目には、その向こうに奈津の姿が見えるようだった。
 以前とは打って変わって上等な着物をまとい、紫鬼の隣に立つ奈津。

 「……なんで」

 綾乃の唇がわななく。

 「……なんで、お姉様なのよ……」

 自分の方が、ずっと優れている。
 浄化の力も、容姿も、家からの評価も。

 ずっと、そうだった。
 奈津は自分より下にいて、自分が欲しいと思ったものを奪われる側だった。
 それが当然だったのに。

 今は――奈津の方が、自分より遥かに上のものを手にしている。

 「許さない……」

 綾乃は、ひび割れた鏡を睨みつけた。

 「お姉様が、私より幸せになるなんて――」

 指先が震える。

 「絶対に、許さない」