奈津は、すぐには答えられなかった。
確かに、何か見返りがあるわけではない。
堂目道家に認めてもらうためでもない。
花嫁候補として置いてもらうためでもない。
ただ――。
視界の端に、コマの姿が入る。
少し離れた場所では、九重が二人を見守っていた。
この屋敷へ来るまで、奈津にとって妖は、どこか遠く、畏れるべき存在だった。
人より遥かに長く生き、強大な力を持つ者たち。
中でも高位の妖は、人間にとって容易に近づける存在ではない。
その一族へ嫁ぐことを、多くの娘たちが憧れとして語るほどに。
けれど奈津にとっては、憧れよりも畏れの方がずっと大きかった。
「私は……まだ、妖のことをほとんど知りません」
紫鬼は黙って聞いている。
「今だって、畏れを感じることはあります」
奈津は素直にそう告げた。
「でも……」
奈津はコマを見る。
異形化してなお、奈津を傷つけまいとした小さな妖。
そして、紫鬼を見る。
人間である奈津を見捨てなかった。
自ら傷つくことも厭わず、穢れに苦しむ者たちを救い続けている鬼。
「少なくとも、ここで出会った皆さんを、ただ畏れるだけの存在だとは思わなくなりました」
紫鬼の深紫の瞳が、奈津を捉える。
「それに、紫鬼様は私を助けてくださいました」
あの森で、死ぬために捨てられた奈津を、紫鬼は見捨てなかった。
「だからというだけでは、ないんです」
奈津は膝の上で手を握る。
うまく説明できない。
けれど、ひとつだけはっきりしていることがあった。
「私は――」
奈津は、まっすぐ紫鬼を見つめた。
「あなたに、これ以上苦しんでほしくないんです」
部屋の中が静まり返った。
コマも、九重も何も言わない。
紫鬼だけが奈津を見つめている。
その深紫の瞳には、どこか戸惑いにも似た色が浮かんでいた。
「……理解できないな」
それでも、その視線は奈津から逸れなかった。
「……そう、ですよね」
奈津は困ったように眉を下げた。
自分でも、なぜここまで気になるのか、すべてを言葉にできるわけではない。
けれど紫鬼は、それ以上問いただすことはなかった。
しばらく奈津を見つめたあと、短く告げる。
「もういい。今日は休め」
「……はい」
奈津は頭を下げ、立ち上がった。
部屋を出る直前、ふと紫鬼を見る。
彼は何も言わなかった。
ただ、奈津の姿をじっと目で追っていた。
確かに、何か見返りがあるわけではない。
堂目道家に認めてもらうためでもない。
花嫁候補として置いてもらうためでもない。
ただ――。
視界の端に、コマの姿が入る。
少し離れた場所では、九重が二人を見守っていた。
この屋敷へ来るまで、奈津にとって妖は、どこか遠く、畏れるべき存在だった。
人より遥かに長く生き、強大な力を持つ者たち。
中でも高位の妖は、人間にとって容易に近づける存在ではない。
その一族へ嫁ぐことを、多くの娘たちが憧れとして語るほどに。
けれど奈津にとっては、憧れよりも畏れの方がずっと大きかった。
「私は……まだ、妖のことをほとんど知りません」
紫鬼は黙って聞いている。
「今だって、畏れを感じることはあります」
奈津は素直にそう告げた。
「でも……」
奈津はコマを見る。
異形化してなお、奈津を傷つけまいとした小さな妖。
そして、紫鬼を見る。
人間である奈津を見捨てなかった。
自ら傷つくことも厭わず、穢れに苦しむ者たちを救い続けている鬼。
「少なくとも、ここで出会った皆さんを、ただ畏れるだけの存在だとは思わなくなりました」
紫鬼の深紫の瞳が、奈津を捉える。
「それに、紫鬼様は私を助けてくださいました」
あの森で、死ぬために捨てられた奈津を、紫鬼は見捨てなかった。
「だからというだけでは、ないんです」
奈津は膝の上で手を握る。
うまく説明できない。
けれど、ひとつだけはっきりしていることがあった。
「私は――」
奈津は、まっすぐ紫鬼を見つめた。
「あなたに、これ以上苦しんでほしくないんです」
部屋の中が静まり返った。
コマも、九重も何も言わない。
紫鬼だけが奈津を見つめている。
その深紫の瞳には、どこか戸惑いにも似た色が浮かんでいた。
「……理解できないな」
それでも、その視線は奈津から逸れなかった。
「……そう、ですよね」
奈津は困ったように眉を下げた。
自分でも、なぜここまで気になるのか、すべてを言葉にできるわけではない。
けれど紫鬼は、それ以上問いただすことはなかった。
しばらく奈津を見つめたあと、短く告げる。
「もういい。今日は休め」
「……はい」
奈津は頭を下げ、立ち上がった。
部屋を出る直前、ふと紫鬼を見る。
彼は何も言わなかった。
ただ、奈津の姿をじっと目で追っていた。

