あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 (また、できなかった……)

 廊下を歩きながら、奈津は自分の手を見つめた。

 昨夜とは少し違った。
 今度は確かに、紫鬼の中にあるものを感じた。

 途方もないほどの穢れ。
 いくつもの苦しみが絡まり合い、深く根づいている。

 それなのに、この手から光は出なかった。

 (やっぱり……私には)

 本当に癒し子の力などあるのだろうか。
 コマを助けられたのは、たまたまだったのではないか。
 一度きりの、何かの間違いだったのでは――。

 「奈津様ー!」

 聞き慣れた声に、奈津は顔を上げた。
 廊下の向こうから、コマがぱたぱたと駆けてくる。

 「奈津様! 探してたんです!」

 「私を?」

 「はい! お庭に綺麗な花が咲いてて――」

 そこまで言ったところで、コマがぴたりと止まった。
 じっと奈津の顔を見上げる。

 「……奈津様?」

 「なに?」

 「なんだか、元気がないです」

 奈津は目を瞬いた。

 「……そんなに分かる?」

 「分かります!」

 迷いのない即答に、思わず小さく笑う。

 「ふふ……そっか」

 けれど、その笑みも長くは続かなかった。

 「何かあったんですか?」

 奈津は少し迷ってから、コマの前にしゃがんだ。

 「ねえ、コマ」

 「はい」

 「私……どうしてあの時、あなたを助けられたんだろう」

 コマがきょとんと目を丸くする。

 「紫鬼様にも、同じことができないか試してみたの」

 「紫鬼様に?」

 「うん。でも……何も起きなかった」

 奈津はゆっくりと手を握る。

 「昨日も今日も、どれだけ願っても光は出なくて……」

 口にしているうちに、胸の奥に押し込めていた不安が膨らんでいく。

 「私、本当に癒し子なのかな……」

 「奈津様……」

 「あなたを助けられたのも、たまたまだったのかもしれない」

 「違います!」

 思いがけないほど強い声に、奈津は顔を上げた。
 コマが真剣な顔でこちらを見ている。

 「ぼくは、確かに奈津様に助けてもらいました」

 「コマ……」

 「あの時のこと、ちゃんと覚えてます」

 コマは胸元を、小さな手でぎゅっと握った。

 「真っ暗で……すごく苦しかったんです」

 コマは胸元を、小さな手で握った。

 「身体も自分のものじゃなくなっていくみたいで……あのまま、ぼくじゃなくなっちゃうんだって思いました」

 奈津は黙って耳を傾ける。

 「誰の声も聞こえなくて、ずっと一人で暗いところに落ちていくみたいだったんです」

 コマが顔を上げた。

 「でも、奈津様の光だけは届きました」

 「私の……?」

 「はい。すごく、あったかかったです」

 コマはふわりと笑った。

 「あの時の感覚を、ぼくは一生忘れません」

 奈津はしばらく何も言えなかった。
 やがて、ゆっくりと自分の手を見る。

 ――誰の手も届かないところ。

 その言葉が、不思議と胸に残った。
 先ほど触れた、紫鬼の中の穢れを思い出す。

 あまりにも深く。
 あまりにも複雑に絡まり合っていたもの。

 『誰にも、どうすることのできないものだ』

 紫鬼の言葉が蘇る。

 (……誰の手も、届かない)

 奈津はそっと手を握った。
 まだ、何が違うのかは分からない。
 どうすれば、あの光をもう一度出せるのかも。

 それでも――。

 「……ありがとう、コマ」

 「はい!」

 沈んでいた心に、温かなものが灯る。
 できないと決めつけてしまうには、まだ早い。

 (もう少しだけ……やってみよう)

 今度は、自分から諦めたくなかった。