あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 九重に連れられて向かったのは、屋敷の奥にある紫鬼の執務室だった。
 障子の前まで来ると、奈津の足が僅かに止まる。

 昨夜「来るな」と拒絶され、去っていった背中を思い出す。
 それでも、ここまで来たのだ。

 「紫鬼様」

 九重が障子の向こうへ声をかける。

 「癒し子様がお話ししたいことがあるそうです」

 少しの間を置いて、低い声が返ってきた。

 「……入れ」

 九重が障子を開く。
 部屋の奥では、紫鬼が文机に向かっていた。
 傍らには書状がいくつも積まれている。

 奈津が入ってくると、紫鬼は筆を置いた。

 「何の用だ」

 「……あの」

 奈津は緊張で強張る指先を握る。
 昨夜、あれほど苦しんでいたというのに。
 今は何事もなかったように、堂目道家の当主としてここにいる。

 「九重様から、聞きました」

 「何をだ」

 「紫鬼様が、穢れに苦しむ妖たちの穢れを引き受けていることです」

 紫鬼の目が、九重へ向いた。

 「九重」

 「癒し子の可能性がある以上、知っていただく必要があると判断いたしました」

 九重はいつもの柔らかな表情のまま答える。
 紫鬼はそれ以上何も言わず、奈津へ視線を戻した。

 「それで?」

 奈津は一度、唇を結ぶ。

 「私に……もう一度、試させていただけませんか」

 「何を」

 「紫鬼様の穢れを、消せないか」

 紫鬼の眉間に、僅かな皺が寄った。

 「必要ない」

 予想していた言葉だった。
 それでも、奈津は引かなかった。

 「でも――」

 「昨夜、できなかっただろう」

 「……はい」

 できなかった。どれほど願っても、光は現れなかった。

 「それでも、コマを助けることはできました」

 紫鬼は黙っている。

 「どうしてできたのかも、どうすればもう一度使えるのかも、まだ分かりません」

 奈津は自分の手を見る。

 「でも……だからって、最初から諦めたくないんです」

 深い夜のような瞳が、奈津を捉える。
 それでも奈津は目を逸らさなかった。

 「もし私にも、誰かを救える力があるなら……ちゃんと使えるようになりたいんです」

 紫鬼は何も答えない。

 「それに、私も紫鬼様に助けていただきました」

 あの森で捨てられた奈津を、紫鬼は見捨てなかった。

 「だから今度は――」

 奈津は、まっすぐ紫鬼を見つめた。

 「あなたを救うお手伝いを、私にさせてください」