あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 奈津の目が見開かれる。

 「穢れを……自分の身体に?」

 「ええ」

 「でも、どうしてそんなことを……?」

 九重は湯呑みへ一度視線を落とした。

 「浄化を受けられる妖ばかりではありませんから」

 奈津が眉を寄せると、九重は続けた。

 「浄化の力を持つ人間の娘は数が少ない。そのため、どうしても高位の妖から優先して浄化が行われます」

 奈津は、なるほどと小さく頷いた。

 「力の弱い妖ほど、浄化の機会を得られないことも多いのです」

 「では……そのまま穢れを溜め込めば」

 「やがて自らでは処理しきれなくなり、異形化する者も現れます」

 コマの姿が脳裏をよぎった。

 「だから……紫鬼様が?」

 「ええ」

 九重は頷く。

 「各地で、自らでは穢れを抑えきれなくなった者が出れば、堂目道家へ報せが届きます」
 「異形化する前であれば、あの方が穢れの一部を引き受けることで、進行を食い止められることがあります」

 奈津は息を呑んだ。
 脳裏に、昨夜のおびただしい穢れが蘇った。

 「でも……」

 奈津は思わず身を乗り出した。

 「紫鬼様ほどのお方なら、浄化を受けることもできますよね?」

 九重の表情が曇る。

 「もちろん、受けております」

 「え?」

 「これまで何人もの浄化の力を持つ娘に、紫鬼様の穢れを浄めてもらいました」

 九重は一度、目を伏せた。

 「ですが――引き受けた穢れだけは、一度として消えたことがございません」

 「……一度も?」

 「はい」

 奈津は言葉を失った。

 「他者から紫鬼様へ移された穢れは、通常とは性質が変わってしまうようなのです。詳しい理由は、私どもにも分かっておりません」
 「どれほど強い浄化の力でも、届きませんでした」

 昨夜の光景が、鮮明に蘇る。
 黒い穢れに覆われ、庭先で片膝をついていた紫鬼。

 「じゃあ……紫鬼様は、ずっと……あの苦しみを?」

 九重は、しばらく黙っていた。

 「……私が知る限り、ずっとです」

 奈津は息を詰めた。

 「引き受けた穢れは、少しずつあの方のお身体を蝕んでおります」

 「そんな……」

 「紫鬼様ほど強大な妖力を持つお方だからこそ、あれほどの穢れを抱えながら自我を保っていられるのです」

 思わず、口をついて出る。

 「どうして、そこまで……」

 その言葉に、九重は困ったように目を伏せた。

 「あの方は、救えるものを見捨てることがおできにならないのですよ」
 「ご自身がどれほど傷つこうとも、それで一つの命が救えるのなら、迷わず手を差し伸べてしまわれる」

 九重の口元に、苦い笑みが浮かぶ。

 「……昔から、そういうお方です」

 奈津は、何も言えなかった。

 森で出会った夜。
 人間である奈津を、紫鬼は見捨てなかった。

 そして奈津だけではない。
 あの人はずっと、自ら傷つきながら多くの命を救ってきたのだ。

 「九重様」

 「はい」

 「もし私が、本当に《癒し子》なら……」

 奈津は自分の手を見る。

 「紫鬼様の穢れも、消すことができるのでしょうか」

 九重の口元から、微笑みが消えた。

 「……分かりません」

 九重は静かに続けた。

 「《癒し子》は、古い記録に残るのみ。その力のすべてを、私どもも知っているわけではございませんので」

 「そう……ですか」

 できる保証はない。
 そもそも、自分が本当に《癒し子》なのかさえ分からない。
 それでも、コマを救えたのは、確かだった。
 奈津は手のひらを見つめる。

 (もっと、この力のことを知りたい)

 誰かに認めてもらうためではない。
 誰かを――救えるようになるために。

 「九重様」

 奈津は顔を上げた。

 「お願いがあります」