あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 その夜、奈津はなかなか寝つけずにいた。
 見知らぬ部屋だからだろうか。
 身体は疲れているはずなのに、目を閉じても眠りは訪れない。

 『紫鬼様、またぼくの穢れまで引き受けちゃうから』

 昼間のコマの言葉が、何度も頭に浮かんだ。
 穢れを引き受けるとは、どういうことなのだろう。

 喉の渇きを覚え、奈津は身体を起こした。
 水を飲もうと水差しへ手を伸ばすが、中は空だった。

 (……どこかでもらえるかな)

 少し迷った末、羽織を肩に掛けて部屋を出た。

 昼間とは打って変わり、屋敷は静まり返っていた。
 月明かりだけが長い廊下を青白く照らしている。
 水をもらえる場所を探して歩いていると、いつの間にか見覚えのない廊下まで来ていた。

 (こっちじゃなかったのかな……)

 引き返そうとした、その時。

 「……っ、は……」

 微かな音が聞こえた。

 「……?」

 誰かの、苦しげな息遣い。
 奈津は耳を澄ませる。
 廊下の先。庭の方からだ。

 恐る恐る近づいていき――奈津は息を呑んだ。
 月明かりの下で、白銀の髪が揺れている。

 「……紫鬼様?」

 奈津は息を呑んだ。
 紫鬼が、庭先で片膝をついている。

 けれど、いつもの姿ではない。
 額から伸びているのは、二本の漆黒の角。
 そして、その身体には――。

 「……穢れ」

 黒い靄のようなものが、全身へ幾重にも絡みついていた。
 昨夜、コマの身体を蝕んでいたものと同じ。
 けれど、その量は比べものにならない。
 まるで紫鬼の身体を呑み込もうとするように、おびただしい穢れが蠢いている。

 奈津が一歩踏み出すと、紫鬼がゆっくりと顔を上げた。
 これまで奈津の前では崩れることのなかった表情が、今は苦痛に歪んでいる。
 額には汗が滲み、呼吸も荒い。

 「……何をしている」

 いつもの低い声にも、僅かな掠れが混じっていた。

 「その、身体……」

 「来るな」

 奈津の足が止まった。

 「でも……」

 「部屋へ戻れ」

 有無を言わせない声音だった。
 奈津は一歩、後ずさる。

 怖い。
 普段は隠されている漆黒の角。全身を覆う穢れ。
 そして、肌を刺すような濃い妖気。

 「まさか……」

 昼間のコマの言葉と、目の前の光景が重なった。

 これが、《穢れを引き受ける》ということなのだろうか。