あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 その日の夕刻。
 屋敷の広間には、堂目道家に仕える主だった鬼たちが集められていた。
 何のために呼び集められたのか分からないのだろう。あちこちで抑えた声が交わされている。

 やがて、広間の襖が開いた。
 最初に姿を現したのは紫鬼だった。
 その後ろには九重と夜刀、そして――奈津。

 「……人間?」

 誰かが、ぽつりと呟いた。
 途端に、広間にざわめきが広がる。

 「なぜ人間が……」
 「まさか、昼間の……?」

 一斉に向けられた視線に、奈津の身体が強張った。
 好奇。警戒。戸惑い。
 中には、露骨に眉をひそめる者もいる。
 奈津は思わず足を止めかけた。

 「行くぞ」

 前を歩く紫鬼が振り返ることなく言う。

 「……はい」

 奈津は小さく返事をし、その後を追った。

 紫鬼が上座につく。
 九重はその斜め後ろへ控え、夜刀は反対側に腕を組んで立った。
 奈津は九重に促され、上座から少し離れた位置へ腰を下ろす。
 それだけで、再び小さなどよめきが起きた。

 (……やっぱり、変なんだ)

 人間の自分がここにいること自体が、この屋敷では異例なのだ。
 奈津が居心地の悪さに膝の上で手を握った、その時。

 「静まれ」

 紫鬼の一言で、広間が静まり返った。
 紫鬼は居並ぶ鬼たちを見渡す。

 「今日から、この人間を屋敷に置く」

 広間がざわめいた。

 「こいつには《癒し子》の可能性がある。異形化したコマを元へ戻したのも事実だ」

 「癒し子……?」
 「まさか、あの昔話の……」

 年嵩の鬼たちから、驚きの声が漏れる。

 「力の正体を確かめるまで、堂目道家で預かる」

 それだけでも十分な騒ぎだった。

 けれど、紫鬼は続けた。

 「それから――こいつは、俺の花嫁候補だ」

 一瞬、広間が静まり返った。

 「……花嫁候補!?」

 次の瞬間、先ほどとは比べものにならないどよめきが起こる。

 「紫鬼様が?」
 「人間の娘を……?」
 「堂目道家が花嫁を取るのか?」

 奈津は思わず肩を縮める。
 昼間、九重から聞いていた。
 形だけの肩書きだとも分かっている。

 それなのに、こうして大勢の前で告げられると、その言葉が急に重みを持ったように感じられた。

 (本当に……私が)

 堂目道家当主の、花嫁候補。
 少し離れた場所にいた夜刀でさえ、さすがに驚きを隠せない様子で紫鬼を見ている。

 「……紫鬼様」

 夜刀が口を開く。

 「そこまでするんですか」

 「ああ」

 紫鬼は迷いなく答えた。

 「こいつをここに置く以上、必要な肩書きだ」

 あくまで、それだけ。
 奈津にも、夜刀にも、周囲の妖たちにもそう分かる言い方だった。
 それでも——紫鬼が人間の娘を花嫁候補として公に認めた。
 その事実そのものが、堂目道家にとっては大きいのだろう。

 「今後、この人間への無用な干渉は禁ずる」

 紫鬼は広間を見渡す。

 「俺の許可なく手を出すな」

 紫鬼が言い切ると、誰も異を唱えなかった。

 「……承知いたしました」

 やがて広間中の鬼たちが頭を垂れる。
 奈津はただ、呆然とその光景を見つめていた。

 たった一日で。
 死ぬために捨てられた自分が、堂目道家当主の花嫁候補になってしまった。
 あまりにも現実離れしていて、未だに自分のこととは思えなかった。