紫鬼との話を終えたあと、奈津は九重に案内され、屋敷の奥へと向かった。
「こちらをお使いください」
襖を開けられ、奈津は思わず足を止める。
そこは、先ほど目を覚ました部屋よりもさらに広く、立派な一室だった。
艶のある柱に、陽の光を柔らかく通す障子。
床の間には季節の花が活けられ、その向こうには手入れの行き届いた庭まで見える。
どう見ても、客人をもてなすための上等な部屋だ。
「あの……」
奈津は戸惑いながら九重を見る。
「本当に、私がこのお部屋を使ってもいいのでしょうか」
「もちろんです」
九重は当然のことのように答えた。
「紫鬼様の花嫁候補となられたお方を、粗末な部屋へお通しするわけにはまいりませんから」
「花嫁候補……」
改めて言われると、やはり落ち着かない。
「必要なものがございましたら、女中へお申しつけください」
「そんな……十分すぎるくらいです」
奈津は慌てて首を振る。
九条家では、そんなものを与えられることなどなかった。
まだ、どこか現実味がない。
「では、癒し子様」
「……え?」
聞き慣れない呼び方に、奈津は顔を上げた。
「いま、何と……」
「癒し子様、と」
九重は悪びれる様子もなく答える。
「ですが、まだ私が本当に癒し子なのか、決まったわけでは……」
「ええ。承知しております」
九重は柔らかく目を細めた。
「ですが、今のところはそのようにお呼びした方が分かりやすいでしょう。便宜上、ということで」
「便宜上……」
奈津は小さく繰り返した。
そういえば、自分はまだ誰にも名乗っていない。
昨夜から今まで、名前を尋ねられることもなかった。
(今、必要なのは……私の名前じゃないんだ)
彼らが確かめたいのは、自分に宿った力の正体。
本当に《癒し子》なのかどうかなのだろう。
「何かございましたか?」
「……いえ」
奈津は首を横に振る。
「何でもありません」
「では、私はこれで。まだお身体も本調子ではないでしょうから、どうぞご無理なさらず」
九重は一礼すると、部屋を後にした。
襖が閉じる。急に広くなった部屋で、奈津はひとり息を吐いた。
(癒し子様、か……)
自分には、どうにも似つかわしく思えない。
しばらくすると、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「失礼します!」
襖が開き、コマが勢いよく顔を覗かせる。
奈津の姿を見つけるなり、ぱっと表情を明るくした。
「聞きました! しばらくここにいてくださるんですよね!」
「うん。そういうことになったの」
「よかったぁ……!」
コマの耳がぴんと立ち、ふさふさの尾が嬉しそうに揺れる。
「こちらをお使いください」
襖を開けられ、奈津は思わず足を止める。
そこは、先ほど目を覚ました部屋よりもさらに広く、立派な一室だった。
艶のある柱に、陽の光を柔らかく通す障子。
床の間には季節の花が活けられ、その向こうには手入れの行き届いた庭まで見える。
どう見ても、客人をもてなすための上等な部屋だ。
「あの……」
奈津は戸惑いながら九重を見る。
「本当に、私がこのお部屋を使ってもいいのでしょうか」
「もちろんです」
九重は当然のことのように答えた。
「紫鬼様の花嫁候補となられたお方を、粗末な部屋へお通しするわけにはまいりませんから」
「花嫁候補……」
改めて言われると、やはり落ち着かない。
「必要なものがございましたら、女中へお申しつけください」
「そんな……十分すぎるくらいです」
奈津は慌てて首を振る。
九条家では、そんなものを与えられることなどなかった。
まだ、どこか現実味がない。
「では、癒し子様」
「……え?」
聞き慣れない呼び方に、奈津は顔を上げた。
「いま、何と……」
「癒し子様、と」
九重は悪びれる様子もなく答える。
「ですが、まだ私が本当に癒し子なのか、決まったわけでは……」
「ええ。承知しております」
九重は柔らかく目を細めた。
「ですが、今のところはそのようにお呼びした方が分かりやすいでしょう。便宜上、ということで」
「便宜上……」
奈津は小さく繰り返した。
そういえば、自分はまだ誰にも名乗っていない。
昨夜から今まで、名前を尋ねられることもなかった。
(今、必要なのは……私の名前じゃないんだ)
彼らが確かめたいのは、自分に宿った力の正体。
本当に《癒し子》なのかどうかなのだろう。
「何かございましたか?」
「……いえ」
奈津は首を横に振る。
「何でもありません」
「では、私はこれで。まだお身体も本調子ではないでしょうから、どうぞご無理なさらず」
九重は一礼すると、部屋を後にした。
襖が閉じる。急に広くなった部屋で、奈津はひとり息を吐いた。
(癒し子様、か……)
自分には、どうにも似つかわしく思えない。
しばらくすると、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「失礼します!」
襖が開き、コマが勢いよく顔を覗かせる。
奈津の姿を見つけるなり、ぱっと表情を明るくした。
「聞きました! しばらくここにいてくださるんですよね!」
「うん。そういうことになったの」
「よかったぁ……!」
コマの耳がぴんと立ち、ふさふさの尾が嬉しそうに揺れる。

