あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 「……癒し子」

 奈津は、その言葉を小さく繰り返した。
 初めて聞く言葉だった。

 「ただし」

 紫鬼が口を開く。

 「お前がそうだと決まったわけではない」

 「……はい」

 「記録そのものが古い。実際にその力を見た者も、今はほとんど残っていない」

 紫鬼は奈津を見る。

 「だが、普通の浄化ではなかった。それだけは確かだ」

 奈津は再び、自分の手を見る。
 自分には何もない。そう思って生きてきた。

 (そんな私に……?)
 まだ、信じられない。

 「それより」

 紫鬼の声で、奈津は顔を上げた。

 「なぜ、お前は結界の森にいた」

 「……っ」

 身体が強張る。
 やはり、聞かれると思っていた。

 「自ら入ったわけではないな」

 奈津は息を詰めた。
 紫鬼の目が、奈津の手首へ向く。
 縄で擦れた赤い痕が、まだ残っていた。

 「……はい」

 思い出したくはなかった。
 けれど、ここまで助けてもらっておきながら、何も話さないわけにはいかなかった。

 「……捨てられました」

 紫鬼はしばらく奈津を見つめた。

 「誰に」

 「妹と……婚約者に」

 九重の表情が、そこで初めて険しくなった。

 「妖に喰われれば、跡形も残らないから……そうすれば、都合がいいと」

 それ以上、上手く言葉にならなかった。

 部屋に沈黙が満ちる。

 紫鬼は何も言わない。
 怒っているのか、呆れているのか、その表情からは読み取れなかった。
 やがて、短く問う。

 「帰る場所は」

 奈津の肩が揺れた。

 「……ありません」

 九条家へ戻ったところで、父が自分より綾乃を庇うことは目に見えていた。
 宗一の元へなど、戻れるはずもない。

 「もう、どこにも」

 声にした途端、胸の奥がひどく冷えた。
 俯いた奈津へ、紫鬼の声が落ちる。

 「なら、しばらくここにいろ」

 「え?」

 奈津は思わず顔を上げた。
 紫鬼は変わらぬ表情でこちらを見ている。

 「コマを戻した力が何なのか、確認する必要がある」

 紫鬼は淡々と続ける。

 「正体も分からないまま、外へ出すつもりはない」

 「ここに……いても、いいんですか?」

 紫の瞳が、まっすぐ奈津を捉える。

 「今はな」

 ただ、それだけだった。
 それでも、誰にも必要とされず、最後には妖の餌として捨てられた奈津には――十分すぎる言葉だった。

 「ですが、紫鬼様」

 九重が、そこで口を挟んだ。

 「人間の娘を、対外的な理由もなくこの屋敷へ置いておくわけにはまいりません」

 「なら、理由を作ればいい」

 紫鬼は即座に答えた。

 「理由……?」

 奈津が目を瞬く。
 紫鬼は、何でもないことのように告げた。

 「お前は、俺の花嫁だ」

 「…………え?」