あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 「――!」

 背後で、紫鬼が初めて息を呑んだ。
 淡く柔らかな光が、雨の森を満たしていく。
 包み込むように温かい光。

 「なに……これ……」

 奈津自身にも分からない。
 けれど、コマへ触れた瞬間から、不思議と感じ取れた。

 苦しみ。痛み。恐怖。
 そして、そのすべてに絡みつく冷たく黒いもの。

 (これが……穢れ)

 そのさらに奥に。
 今にも消えそうになりながら、それでも確かに残っているものがあった。
 穢れに覆われ、姿はよく見えない。
 ただ、小さな何かが身を縮め、震えている。

 ――まだ、ここにいる。

 奈津は目を閉じた。

 (お願い)

 やり方なんて知らない。
 浄化の力など、自分にはないはずだった。

 (この子から、離れて)

 それでも、願うことは、ただひとつ。

 (この子を――助けたい)

 コマの身体を覆っていた黒い穢れが、びくりと大きく波打った。

 「ガァァアアッ!」

 凄まじい咆哮に身体が震える。
 それでも奈津は手を離さなかった。

 「コマ!」

 背後から紫鬼の声が飛ぶ。
 黒い穢れが、逃げ場を探すようにコマの全身を激しく這い回る。

 やがて、一筋。また一筋。
 黒いものだけが、皮膚から浮かび上がり始めた。

 「……!」

 まるで、そこにあるべきではないものだけを、奈津の光が見分けているかのように。
 穢れはコマの身体から引き剥がされ、淡い光の中で霧のように消えていく。

 背後で、微かに紫鬼が息を呑む気配がした。
 本来なら、あり得ないことだった。
 それなのに奈津の光は、コマ自身には何ひとつ傷をつけず、穢れだけを選び取るように剥がしていく。

 それに伴い、コマの姿も少しずつ変わり始めた。
 異様に膨れ上がっていた四肢は縮み、裂けていた口も元の形へと戻っていく。

 鋭く伸びていた牙も、爪も、歪んでいた輪郭も。
 黒い穢れが消えていくたびに、コマは少しずつ本来あるべき姿を取り戻していった。
 それに呼応するように、ざあざあと森を叩いていた雨も次第に弱まっていく。
 激しかった雨音は、いつしか木々の葉を打つ小さな音へと変わっていた。

 残された穢れは、あとわずか。
 けれど最後の黒い塊だけは、コマの胸元にしがみつくように激しく蠢き、最後の力を振り絞るように離れようとしない。

 「お願い……」

 奈津はコマへ触れた手に力を込めた。

 「この子から、離れて……!」

 その願いに応えるように、淡い光がひときわ強く輝いた。
 胸元に残っていた最後の穢れが、ゆっくりとコマの身体から浮かび上がる。
 やがてそれは、ふっと光の中へ溶けるように消えた。

 同時に、雨が止んだ。
 森を満たしていた雨音が嘘のように消え、辺りに静寂が落ちる。

 奈津は眩しさに目を閉じた。
 やがて光が収まり、恐る恐る瞼を開く。
 雲の切れ間から、淡い月明かりが差し込んでいた。
 そして、その光の下には――。

 「……え」

 奈津は息を呑んだ。
 そこに、あの巨大な異形の姿はなかった。
 泥の中に横たわっていたのは、小さな子どもの姿をした妖だった。

 目を閉じた幼い顔に、濡れた髪の間から覗く犬のような耳。ふさふさの尾も、今は力なく地面へ垂れている。
 あれほど禍々しい姿に変わり果てていたとは思えないほど、幼くあどけない姿だった。