あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 騒動から一夜が明けても、堂目道家には未だ重い空気が残っていた。
 そんな屋敷へ、一人の男が訪れた。

 一条家の新たな当主、一条蔵馬。

 紫鬼の背後には、九重と夜刀が控えていた。
 二人とも昨日の消耗を色濃く残している。それでも九重は隙のない佇まいを崩さず、夜刀も大太刀を帯びたまま、向かいに座る男から目を離そうとしなかった。
 対する蔵馬は、供の一人すら連れていなかった。
 祓い師の頂点に立つと言っても差し支えない男が、武装した鬼たちを前に、たった一人で座している。

 「このたびは、人間側の者が堂目道家へ多大なご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」

 蔵馬は紫鬼へ向かって、深く頭を下げた。

 「一条家当主として、また祓い師を束ねる立場にある者として、今回の一件を決して軽く考えてはおりません」

 その言葉を聞いた途端、夜刀の目つきが変わった。

 「……祓い師を束ねる、ねぇ」

 低く吐き捨てるような声とともに、空気が張り詰める。
 奈津の肌が粟立つほどの殺気だった。
 蔵馬も気づいたのだろう。静かに夜刀へ目を向けたが、その表情に怯えはない。

 「夜刀」

 紫鬼が低く名を呼ぶ。
 それだけで夜刀は僅かに身を強張らせ、殺気を収めた。

 「……失礼しました」

 謝罪こそしたものの、その眼差しから警戒は消えない。
 しかし蔵馬は気分を害するどころか、穏やかに目を細めた。

 「当然のことです。これまで人間側が妖の方々へしてきたことを思えば、祓い師である私を信用しろという方が無理でしょう」

 夜刀が訝しむように眉を寄せる。
 奈津はその言葉を聞き、改めて蔵馬を見た。
 人間側の非を認め、妖から向けられる敵意さえ当然のものとして受け止める。
 祓い師を束ねる立場にある人物としては、奈津には少し意外に映った。

 「今回使われたものだ」

 紫鬼が傍らの箱へ視線を向けると、九重が布に包まれた香玉の残骸を蔵馬の前へ置いた。

 「ご確認いただけますか」

 「ええ」

 蔵馬は素手では触れず、砕けた深紅の玉を慎重に見つめた。
 やがて、その穏やかな表情が険しいものへ変わる。

 「……これは」

 「何かご存じなのですか?」

 奈津が尋ねると、蔵馬はゆっくりと首を振った。

 「いいえ。このようなものは、私も見たことがありません」

 迷いのない答えだった。

 「ただ、残された術の痕跡を見る限り、他者の意思へ干渉するだけのものではないでしょう。妖の穢れそのものへ作用し、使い方次第では多くの命を奪いかねない」

 蔵馬は残骸を見据えたまま、低い声で続けた。

 「このようなものを堂目道家へ持ち込むなど、到底看過できることではありません」

 先ほどまでの柔らかな雰囲気は消え、その声音には人間側を庇うような甘さなど微塵もなかった。

 「九条綾乃殿がこれを使用し、正臣殿と明美殿も、妖を惹きつけ好意を抱かせる効力があると承知したうえで使用を認めていた。その点については、すでに報告を受けております」

 「異形化まで引き起こすものだとは、知らなかったそうだ」

 補足するように紫鬼が告げる。

 「その点も承知しております」

 蔵馬は静かに頷いた。

 「ですが、他者の意思を意図的に捻じ曲げる道具だと理解していた以上、知らなかったというだけで責任を免れることはできません」

 言葉に迷いはない。

 「九条綾乃殿はもちろん、正臣殿、明美殿についても改めて調査し、相応の処分を下します」