あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 屋敷には、ほかにも多くの鬼たちが横たわっていた。異形化こそ解けたものの、急激に穢れへ侵された身体はひどく消耗している。
 夜刀も壁へ背を預け、九重も片膝をついたまま立ち上がれない。

 祓い師たちも霊力を奪われ、ほとんどが床へ伏したままだった。
 その中でも、宗一の消耗はひときわ激しかった。青ざめた顔で床に倒れ込み、起き上がる力さえ残っていない。

 「な、つ……」

 掠れた声がした。

 奈津が振り向くと、宗一がこちらへ、震える手を伸ばしていた。
 けれど、視界の端で紫鬼の身体が大きく揺らぐ。

 「紫鬼様……!」

 奈津はすぐに宗一から視線を外し、紫鬼のもとへ駆け寄ろうとした。
 誰より多くの穢れを引き受け、最後まで妖力で皆を守り続けたのだ。穢れが消えても、その消耗まではなくならない。
 けれど、紫鬼へ手を伸ばした途端、今度は奈津自身の膝から力が抜けた。

 「……っ」

 倒れかけた身体を、紫鬼の腕が受け止める。

 「紫鬼様、大丈夫ですか……?」

 「……それは、お前もだろう」

 低い声にも、珍しく疲労が滲んでいた。

 「奈津様……!」

 コマが慌てて駆け寄る。
 奈津はその頭へそっと手を置き、倒れた仲間たちを見回した。

 「大丈夫。みんな、戻ってきたから」

 誰も失わずに済んだ。
 その事実にようやく安堵する奈津の傍らで、紫鬼は砕けた香玉へ目を向けた。

 「残骸を回収しろ。素手では触れるな」

 比較的消耗の少ない鬼が布越しに拾い上げるのを、綾乃は床に座り込んだまま青ざめた顔で見つめていた。

 「これはどこで手に入れた」

 紫鬼に鋭く問われ、綾乃は唇を震わせた。

 「……知らないわ」

 「嘘をつくな」

 「本当に知らないのよ! お父様のところへ、知らない男が持ってきたの! 妖を惹きつけて、私に好意を抱かせるものだって……!」

 「お父様が……?」

 奈津の声に、綾乃は唇を噛む。

 「お母様も言っていたわ。私が紫鬼様に気に入られれば九条家のためになるから、使えばいいって……」

 「では、ご両親も効力を承知したうえで使用を認めていたということですね」

 九重の声が低くなる。

 「でも、こんなことになるなんて知らなかった! ただ好かれるだけだって聞いていたのよ!」

 「他者の意思を捻じ曲げるものだと知りながら使った。その時点で、知らなかったでは済まん」

 紫鬼の表情は変わらなかった。

 「この件は人間側にも正式に通達する。九条家の関与についても、相応の責任を取らせる」

 綾乃の肩が震える。
 鬼たちが拘束するために近づくと、綾乃はその顔を呆然と見回した。
 つい先ほどまで、香玉に心を歪められ、自分を守ろうとしていた者たちだ。
 けれど今、その瞳に以前の熱はない。

 「……何よ。さっきまで、あんなに私を庇っていたじゃない……」

 返事はなかった。
 その沈黙に耐えかねたように、綾乃は奈津を見る。
 奈津のそばにはコマが寄り添い、満身創痍の夜刀と九重も、気遣うような眼差しを向けている。
 紫鬼もまた、自ら立っているのがやっとの身体で奈津を支えていた。

 香玉の力など、もうどこにもない。
 それでも彼らは、自らの意思で奈津のそばにいる。

 「……どうして」

 綾乃の顔が歪んだ。

 「どうして、お姉様ばかり……」

 奈津はしばらく妹を見つめた。
 かつてなら、その言葉に傷つき、自分を責めていただろう。
 けれど、今は違う。

 誰に愛されるのか。どちらの方が優れているのか。
 そんなことを綾乃と競いながら生きる日々は、もう終わった。

 鬼たちに連れられていく綾乃の背中を、奈津は追わなかった。
 これまでずっと、その言葉に怯え、顔色を窺いながら生きてきた。

 けれど、もう振り返らなくていい。
 奈津は紫鬼に支えられながら、静かに前を向いた。