あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 しばらくして、綾乃は紫鬼のもとへ来るよう告げられた。
 案内された部屋へ入ると、真っ先に目に入ったのは紫鬼のすぐ隣に座る奈津だった。
 反対側にはコマがぴたりと寄り添い、少し離れた場所には九重と夜刀も控えている。
 綾乃は一瞬だけ唇を引き結んだが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。

 「お呼びでしょうか、紫鬼様」

 紫鬼は座るようにも勧めず、冷たい視線を向ける。

 「奈津から聞いた。お前が客室へ呼び出し、そのあと宗一を向かわせたそうだな」

 「まあ。私はただ、お二人にはきちんとお話をされた方がよいと思っただけですわ。宗一様も、まだお姉様を想っていらっしゃるようでしたし――」

 「奈津は望んでいない」

 言葉を遮られ、綾乃の笑みが僅かに固まる。

 「ですが、まさか宗一様があのようなことをなさるとは、私も――」

 「それだけではない」

 深紫の瞳が、鋭く綾乃を射抜いた。

 「お前が来てから、屋敷の者の様子がおかしい。普段ならしない行動を取り、お前を見ると不自然に意識を奪われる。奈津は、その頃から妙な香りも感じているそうだ」

 「……香り?」

 「私にしか分からないみたいなの」

 奈津が静かに口を開いた。

 「気のせいかとも思ったわ。でも、甘い香りを感じる時に、皆の様子も変わっているの」

 綾乃は内心の焦りを押し隠し、困ったように微笑んだ。

 「それだけで、私をお疑いなのですか? ここは堂目道家ですわ。これほど力の強い鬼の方々に、人間の私が何をできるというのでしょう」

 紫鬼はしばらく綾乃を見据えたあと、淡々と告げた。

 「お前が原因だと決めつけているわけではない。だが、人間側が滞在してから異変が起きているのは事実だ」

 そして、反論を許さぬ声音で続ける。

 「原因が分かるまで、客室から出るな」

 「……お待ちください。私には何の落ち度も――」

 「決定だ」

 取りつく島もなかった。
 このまま閉じ込められれば、紫鬼へ近づくことさえできなくなる。
 綾乃が焦りを募らせた、その時。

 「……お待ちください」

 声を上げたのは、夜刀だった。

 「……綾乃様は、何もしてねぇはずです」

 「夜刀?」

 奈津が驚いたように名を呼ぶ。
 当の夜刀自身も、自分がなぜ綾乃を庇ったのか分からないらしい。戸惑うように顔を歪めている。

 その姿に、綾乃は確信した。
 香玉は、確かに効いている。
 それなのに、紫鬼だけは何ひとつ変わらない。

 (もっと力が必要だわ)

 綾乃は誰にも気づかれぬよう懐へ手を滑らせ、香玉へ触れた。
 自分の霊力を注ぎながら意識を集中すると、香玉の奥に、先ほど力を取り込んだ宗一や祓い師たちとの繋がりを感じる。

 (もっと……!)

 その繋がりを辿るように力を求めた瞬間、新たな霊力が次々と香玉へ流れ込んできた。
 深紅の玉が、懐の中で強く脈打った。

 その瞬間、奈津が小さく息を呑む。

 「……また、強くなった……?」

 綾乃は香玉から手を離さなかった。

 (これだけあれば、今度こそ――)

 そう思った矢先、紫鬼がまっすぐ綾乃へ歩き出した。

 「……!」

 これまで、どれだけ自分から近づいても興味すら示さなかった紫鬼が、自らこちらへ向かってくる。その事実に、綾乃の胸が大きく高鳴る。
 
 (効いた……!)
 ついに自分を見てくれたのだ。