それからしばらくして、奈津が一人で廊下を歩いていると、前方から屋敷の鬼がやってきた。
「綾乃様がお話があるそうです」
「綾乃が?」
「はい。客室でお待ちです」
朝からのこともあり、奈津は一瞬ためらった。
綾乃と二人きりで話すこと。
これまでにされてきたことを考えると、それだけで躊躇いが生まれる。
しかし、ここは堂目道家だ。
綾乃といえど、滅多なことはできないはず。そう判断して、奈津は綾乃の客室へ向かった。
襖の前で声をかけると、すぐに中から返事があった。
「どうぞ」
奈津が部屋へ入ると、綾乃は一人で座っていた。
「……私に、何か用?」
「そんなに警戒なさらないで」
綾乃は可笑しそうに笑い、向かいの座布団を示した。
奈津は少し距離を取って座る。
「それで、何の話?」
「お姉様のことが心配になっただけですわ」
綾乃は湯呑みに手を添えながら、穏やかな声音で続ける。
「私の?」
「ええ。皆様のご様子、お姉様もお気づきでしょう?」
奈津の表情が僅かに曇った。
その変化を見逃さず、綾乃は笑みを深める。
「少し前までは、あれほどお姉様に親しくしてくださっていたのに」
奈津は綾乃をじっと見つめた。
「まさか、あなたが何かしたの?」
「まあ。この堂目道家で、私に何ができるというの?」
綾乃は驚いたように目を丸くしたあと、くすりと笑った。
「それに、いつものことじゃない。お姉様よりも、私の方が愛されるのは」
胸の奥を抉られるような言葉に、奈津の指先が強張る。
綾乃はそんな奈津を眺めながら、楽しげに続けた。
「ここで少し優しくされたからって、自分が出来損ないだって忘れてしまったの?」
以前の奈津なら、そう言われても、何も言い返せなかった。
けれど今は、胸が痛んでも俯くことはなかった。
「……そうかもしれないわ」
奈津が静かに答えると、綾乃は意外そうに目を瞬いた。
「でも、私はもう、あなたと比べて生きたくないの」
「……何ですって?」
「誰に好かれているとか、どちらの方が優れているとか。そんなことばかり気にしていたら、ずっと苦しいままだもの」
ずっと、自分には価値がないと思っていた。
けれど、この屋敷で過ごすうちに、少しずつそうではないと知った。
「だから、皆があなたを好いているのだとしても、それで私がここを出ていこうとは思わないわ」
「……そう」
綾乃がすっと笑みを消し、静かに立ち上がる。
「そういえば、急用を思い出しましたわ」
綾乃は襖へ向かいかけ、ふと奈津を振り返った。
「お姉様は、どうぞごゆっくり」
その口元に、どこか含みのある笑みが浮かぶ。
「せっかくですもの。積もるお話もあるでしょうから」
「……え?」
意味を尋ねる間もなく、綾乃は部屋を出ていった。
奈津が訝しげにその背を見送っていると、入れ替わるように襖の向こうから足音がした。
やがて襖が開き、現れた人物を見た瞬間、奈津の身体が強張った。
「奈津」
「……宗一様?」
「綾乃様がお話があるそうです」
「綾乃が?」
「はい。客室でお待ちです」
朝からのこともあり、奈津は一瞬ためらった。
綾乃と二人きりで話すこと。
これまでにされてきたことを考えると、それだけで躊躇いが生まれる。
しかし、ここは堂目道家だ。
綾乃といえど、滅多なことはできないはず。そう判断して、奈津は綾乃の客室へ向かった。
襖の前で声をかけると、すぐに中から返事があった。
「どうぞ」
奈津が部屋へ入ると、綾乃は一人で座っていた。
「……私に、何か用?」
「そんなに警戒なさらないで」
綾乃は可笑しそうに笑い、向かいの座布団を示した。
奈津は少し距離を取って座る。
「それで、何の話?」
「お姉様のことが心配になっただけですわ」
綾乃は湯呑みに手を添えながら、穏やかな声音で続ける。
「私の?」
「ええ。皆様のご様子、お姉様もお気づきでしょう?」
奈津の表情が僅かに曇った。
その変化を見逃さず、綾乃は笑みを深める。
「少し前までは、あれほどお姉様に親しくしてくださっていたのに」
奈津は綾乃をじっと見つめた。
「まさか、あなたが何かしたの?」
「まあ。この堂目道家で、私に何ができるというの?」
綾乃は驚いたように目を丸くしたあと、くすりと笑った。
「それに、いつものことじゃない。お姉様よりも、私の方が愛されるのは」
胸の奥を抉られるような言葉に、奈津の指先が強張る。
綾乃はそんな奈津を眺めながら、楽しげに続けた。
「ここで少し優しくされたからって、自分が出来損ないだって忘れてしまったの?」
以前の奈津なら、そう言われても、何も言い返せなかった。
けれど今は、胸が痛んでも俯くことはなかった。
「……そうかもしれないわ」
奈津が静かに答えると、綾乃は意外そうに目を瞬いた。
「でも、私はもう、あなたと比べて生きたくないの」
「……何ですって?」
「誰に好かれているとか、どちらの方が優れているとか。そんなことばかり気にしていたら、ずっと苦しいままだもの」
ずっと、自分には価値がないと思っていた。
けれど、この屋敷で過ごすうちに、少しずつそうではないと知った。
「だから、皆があなたを好いているのだとしても、それで私がここを出ていこうとは思わないわ」
「……そう」
綾乃がすっと笑みを消し、静かに立ち上がる。
「そういえば、急用を思い出しましたわ」
綾乃は襖へ向かいかけ、ふと奈津を振り返った。
「お姉様は、どうぞごゆっくり」
その口元に、どこか含みのある笑みが浮かぶ。
「せっかくですもの。積もるお話もあるでしょうから」
「……え?」
意味を尋ねる間もなく、綾乃は部屋を出ていった。
奈津が訝しげにその背を見送っていると、入れ替わるように襖の向こうから足音がした。
やがて襖が開き、現れた人物を見た瞬間、奈津の身体が強張った。
「奈津」
「……宗一様?」

