あやかしの癒し子 ~餌として捨てられた私は、鬼の王の唯一となる~

 がたん。
 体が大きく揺れた。

 「……ぅ……」

 奈津は小さく呻いた。
 腹が痛い。頭も重い。
 それに、何かがおかしい。
 身体が、一定の間隔で揺れている。

 (……馬車?)

 意識がゆっくりと浮上してくる。
 次の揺れで、奈津ははっと目を開けた。

 「……!」

 暗い車内。
 湿った木の匂い。

 そして自分は、馬車の床へ横向きに転がされていた。
 身を起こそうとして、腕が動かないことに気づく。
 両手が、後ろ手に縛られている。

 「……っ!」

 一気に意識が覚醒した。

 「あら」

 向かいから、楽しげな声がして顔を上げる。
 宗一。そして、その隣には綾乃がいた。

 「お目覚め?」

 綾乃が微笑む。

 「綾乃……」

 「そのまま目を覚まさない方が、幸せだったかもしれないのに」

 奈津は必死に身体を起こす。

 「っ……!」

 下腹部に鋭い痛みが走り、思わず顔を歪めた。
 それを見て、綾乃がくすりと笑う。

 「そんなに動かない方がいいわよ」

 「……え?」

 「お姉様が寝ている間に、お医者様に診てもらったの」

 奈津の表情が強張った。
 綾乃は、まるで他人事のように続ける。

 「命に別状はないそうよ。ただ――」

 わざらしく、言葉を切る。

 「お姉様、もう子どもを授かるのは難しいかもしれないんですって」

 一瞬、意味が分からなかった。

 「……子ども……?」

 「ええ」

 綾乃は楽しそうに頷く。

 「浄化の力もない。そのうえ、子どもまで望めないかもしれないなんて」

 そして、哀れむように眉を下げた。

 「お姉様、本当に何もなくなっちゃったわね」

 「……そんな……」

 奈津は呆然と、自分の腹へ視線を落とした。
 子どもを、授かれないかもしれない。
 まだ考えたことすらない、遠い未来の話だった。
 それでも、その可能性を奪われたのだと思うと、胸の奥がひどく冷えた。

 「一体……どこへ向かっているの?」

 綾乃も宗一も答えない。
 奈津の背筋を、冷たいものが這った。

 少しでも動かすと痛む腹。
 それでもなんとか身をよじり、馬車の壁へ身体を預けながら窓の外を見る。
 夜は深い。激しい雨で、景色もほとんど見えない。
 それでも分かった。時折、灯りに照らされる道は、九条家へ向かう道ではない。

 「綾乃……何をするつもりなの……⁉︎」

 奈津は震える声を絞り出す。

 「だって私、これから大事な時期なのよ」

 綾乃は自分の亜麻色の髪を指先で弄びながら、何でもないことのように続ける。

 「どんな高位のお方から縁談が来るか分からないでしょう?
 それなのに、外で好き勝手に吹聴されたりでもしたら困るのよね。せっかくの縁談に傷がつくじゃない」

 「だったら……最初から、こんなことをしなければ……」

 思わず零れた言葉に、綾乃の笑みが消えた。

 「……何?」

 「宗一様が欲しかったのなら……私との婚約をやめてからでも、よかったでしょう?」

 「だって」

 綾乃は奈津を見つめ、愛らしく首を傾げた。

 「お姉様があんなに嬉しそうにしていたから。
 お姉様が大事にしてるものって、どうしてか欲しくなっちゃうのよね」