リーゼロッテお嬢様は不意にため息をついた。妙に気の抜けたような顔になっている。お怒りの様子でもない。呆れている……ような感じも受けたが、どうにも不明瞭だ。
図々しくなってもいい、そう唐突に言われ、私は返答に窮してしまった
「無遠慮であれといってるのではないぞ? 礼儀正しいのはレギナルトの美点だ。それを崩せといってるのじゃない」
リーゼロッテお嬢様は眉をしかめている。一見不機嫌そうにも見えるお顔だが、何かしら思案する時はしかめっ面になってしまうようだ。
ややあってから、リーゼロッテお嬢様はふと思い出したかのように、頭にのせられたままの花を手に取った。カトリン様が髪にさしていったものだ。まだ鮮度を保って、花の色も鮮明だ。
黄色く円形の小さな花、「タラカ」と呼ばれる野草だ。薬草花としても知られている。ギザギザの葉が特徴的で、花の姿も愛らしい。細長い花びらが幾重にも重なり円形になって、「妖精のクッション」という名でも親しまれている。
リーゼロッテお嬢様はその花を指先でくるくると回す。
「レギナルト。……初めてわたしと会った日のことを憶えているか?」
「え? はい、もちろんです」
突然話が変わってさらに戸惑ってしまった。が、もしかしたら「タラカ」から思いだしたのか。
「初めてお会いしたのは、こちらでしたね。庭に案内されたので驚きました」
……さらに驚いたことに、リーゼロッテお嬢様は東屋にいたのではなく、庭の花陰でしゃがみ込んで、タラカの花をひたすらに千切っていたのだ。庭の手入れをしているようにも見えなかったし、何より、伯爵家のご令嬢が庭にしゃがみ込んで雑草を抜いているなど、予想外すぎた。どう声をかけてよいやら、しばし言葉が出なかったのを今でもよく覚えている。
「あの時、わたしはちょっと……腹を立てていたんだ」
「そうだったのですね」
「なんだレギナルト、気づいてなかったのか? まあ、わたしの気持ちを推しはかる余裕はなさそうだったな」
「……申し訳ありません……」
「申し訳なかったのは、むしろわたしの方なんだが」
リーゼロッテお嬢様はやれやれと、ちょっとおどけたように肩をすくめてみせる。
「まあ、ともかく。わたしはその……えぇっと、なんといったかな、む、むしゃむしゃ……?」
「むしゃくしゃ、ですね?」
「そう、そのむしゃくしゃだ。その言い方が一番しっくりくる」
良い表現があるものだなと、リーゼロッテお嬢様は感慨深げに頷いている。
その様子があまりに生真面目で、私は思わず笑みをこぼしてしまった。ちょっと肩の力が抜けた。
こういうさりげなく他者を気遣えるところはリーゼロッテお嬢様の美点だろう。リーゼロッテお嬢様は意図してのことじゃないと言うのだろうが、意図せずとも私の心のこわばりを解してくれるのだから、元来の気質が明朗闊達なのだ。
「むしゃくしゃして、それで八つ当たりに花を?」
「そう、むしゃくしゃしてたんだ。我ながらかなり不機嫌な顔をしていたと思うが、レギナルトはわりに平然と話しかけてきたな」
「いえ、それはもちろん戸惑いましたが……」
むしゃくしゃしていたかどうかまでは分からなかった。リーゼロッテお嬢様が言うように、私に他者の様子を窺うような余裕はなかったから。
ただ、無表情で黄色い花をちぎってはぽいぽいあたりに放っている少女の姿は、異常に感じた。何をしているのか理解不能だった。……だが、「少女」なのだと、なぜなのかホッとしたのを憶えている。
花を千切っている姿は幼い子供そのもの。
そうだ、伯爵令嬢の肩書はあるにせよ、その前に一人の幼い「少女」なのだ。
それに気づいて、やっと声をかけることができたのだ。
「初めまして、リーゼロッテ様」
なるべく平静を装って話しかけた。
すると、少女……リーゼロッテ様は振り返った。応えはなかったが、若葉色の瞳がじっと私を見据えている。無感動な視線だった。緊張はしたが、気圧されていけないと姿勢を正して、内心の動揺を気取られぬようにと、一礼するついでに深呼吸をした。
「私は、レギナルトと申します」
「アスク男爵家の……次男だったか」
「はい。どうぞ、レギナルトとお呼びください」
なるべく畏まりすぎぬよう、声の調子もなるべく明るくしようと努めた。そして笑顔笑顔、と心の中でつぶやいて、鷹揚な笑顔を作って応対した。
リーゼロッテ様は「ふうん」とだけ答え、また口を噤んでしまった。
「あの時は正直、驚いたんだ。話しかけてくるとは思わなかったから。しかも、平然と話し続けるんだから」
「平然とはしてませんでしたが……」
「緊張してるのは分かったよ。顔色も悪そうに見えたから。笑顔になりきれてなくて、強張ってたしな」
「…………」
それに関しても、自覚はある。
愛想よくしていたつもりだが、もともと社交界慣れしていなかった私だ。「愛想を振りまく」経験などほぼなかったし、しかも相手は十歳をやっと過ぎたばかりの「少女」だ。私にとっては未知の生物といっていい存在だ。どういう対応をしたらよいか、まったくもってわからなかった。
「ありきたりな社交辞令でも言ってくるかと思ったんだが、違ったな。初対面の令嬢に対して語り始める内容じゃないぞ、あれは。まさか、タラカの花について延々と話してくるとは」
「そ、それは……ですから……」
「いったいどういう了見なんだと、さすがに面食らったし、呆れた」
「ですからあの時は……ひどく緊張して……動顛してたんです」
今でも冷や汗が出るほどに、思いだすと恥ずかしいやらなんやらで、できれば思いだしたくない件(くだり)なのだ。
「わたしの隣にしゃがみ込んで講釈を垂れ始めたあたりで、緊張はほどけてなかったか? 気が動転していたにしては、やたら流暢に説明していたが」
リーゼロッテお嬢様は笑っているようだった。顔は無表情といっていいくらいにあまり動きはないが、さきほどと打って変わって、目元が和らいでいるし、口調も明るい。
私はといえば、もう穴があったら入りたいほどに気恥ずかしく、リーゼロッテお嬢様のお顔をまともに見られない有様だ。
「タラカの葉は若葉のころに生食すると下剤のかわりになるとか、花も種も薬効があるとかなんとか。健胃にいいだったか? 千切るのなら、花は洗ってサラダに乗せてみたらとか言われて、わたしもさすがに手を止めたな」
「…………」
どうかご勘弁を……と、その小声はリーゼロッテお嬢様の耳には届かなかったかもしれない。
「あの時のレギナルトは、なんというのか……図々しく……気安いというのか。今みたいにきちんとしてなかった」
「それはその……できればお忘れになっていただければ……あの時は本当に緊張していて……礼を失していたことに後から気づいて青ざめたほどです……」
「いや、責めてるんじゃない。わたしは、あの時のレギナルトに…………そう……うん、安心したんだ」
何か言葉を探している風だったが、リーゼロッテお嬢様がわたしを励まそうとしてくれているのは分かった。
「さっきも言ったように、わたしはあの頃、花を千切らずにはいられないほどむしゃくしゃしていて、そう、八つ当たりだ。花を千切るくらいの八つ当たりしかできないことにも、苛立っていた」
ふうっ、と大きな息を吐く。リーゼロッテお嬢様は私から顔を背けて、庭の方をぼんやりと眺めながら話を続けた。



