リーゼロッテと内緒の箱庭

 リーゼロッテお嬢様は明らかにムッとした顔つきになっている。「不機嫌」の表情はわりに表に出やすいようだ。
「そう威嚇せずとも」
 カトリン様はいかにも可笑しそうにくすくす笑っている。リーゼロッテお嬢様をからかって楽しんでるのが傍目にもわかる。しかし仲の良い姉妹だから、二人の間の空気は和やかに感じる。リーゼロッテお嬢様はむすっとしているが。
「どのみちわたしにその気はないからね。お父様にも、万が一の控えだなんてわたしを侮辱なさるおつもりかと詰め寄ったら、大慌てで訂正なさったよ」
「…………」
「それだけこの話に、お父様は重きを置いてる。ちょっと意外でもあったが……まあ、他に思惑があるにせよ、双方にとって悪い話ではないしね。リゼも、わかっていてこの話に乗ったのだろう?」
「……だけじゃない」
「もちろん。はじめの動機が不純だろうと不純じゃなかろうと、結果的に丸く収まればいいんだから問題ない、だろう、リゼ?」
「……うん」
「わたしも、可愛い妹の邪魔にはなりたくないしね。わたしがなり替わることは万に一つもないよ、リゼ。婚や……」
「カトリンおねえさまっ!」
 カトリン様の言葉を遮るように、リーゼロッテお嬢様は慌てたように立ち上がった。
 私は何事かと、お二人を見比べるしかできない。
 何やら……緊迫しているような?
 いや、カトリン様はおどけたように両の掌をみせて笑っているし、リーゼロッテお嬢様も別段怒っているといった様子ではない。しかし……?
「もしやこの話はまだ当人には伝わってないのか?」
「…………」
 リーゼロッテお嬢様はこっくりと頷く。
「わたしから、ちゃんと伝える。そのようにお父様にもお願いした。だからカトリン姉様は黙っててください」
「そうか。なら、まあ、がんばれ、リゼ。健闘を……祈る必要はなさそうだがな」
「祈っててください、魔法より、ずっと難しい。うまくいくかわからない」
「……わかった。祈ってるよ、
 うまくいくさ、きっと。とカトリン様は優しく笑ってリーゼロッテお嬢様の頭を撫でる。いたずらに、黄色の花を髪にさしてやる。
小さな黄花が頭のてっぺんにちょこんと乗っているのがなんとも愛らしく、似合っている……いるのだが、それを今、口にはできなかった。おふたりの会話に割って入れなかった。
 リーゼロッテお嬢様はというと、それで安堵したのか、ため息をつき、そして座りなおした。
 私は、いったい何のことやらさっぱりわからず首をかしげるばかりだった。
 そしてそんな私を見やってから、リーゼロッテお嬢様とカトリン様はちょっとおかしげに顔を見合わせて微笑みあっていた。リーゼロッテお嬢様は、無表情だが。それでもなんとなく、「微笑んでいる」のが分かる。
「では、わたしはここで失礼するとしよう。ごきげんよう、レギナルト。リゼ、またあとで」
 カトリン様の所作はきびきびとして、いかにも剣士らしい。男装のご令嬢として、一部のご令嬢方の人気を集めているのも納得の凛々しさだ。ドレス姿ではないがお辞儀の型や微笑み方は令嬢らしく流麗で、一部の隙もない。
 私も再び立ち上がり、一礼した。妙に緊張して、ぎこちない会釈になったろうことは自分でもわかった。

「まったくカトリン姉様ときたら」
 リーゼロッテお嬢様は、まだちょっとしかめっ面だった。
 そのお顔をみて、私は何となくほっとし、そしてゆるゆると緊張もほどけていった。

 リーゼロッテお嬢様は呼び鈴を鳴らしてメイドを呼び、新たな茶を用意させた。
 もう少し話し相手になってくれという合図でもあるだろう。私も座りなおして、息を吐く。
 少しためらったが、気になっていたことを尋ねることにした。……先ほどのリーゼロッテお嬢様とカトリン様との会話の意味はわからないが、もしかして関係あるかもしれない。違うかもしれないが、ともあれ確認せねばならぬ類のことだ。
「リーゼロッテお嬢様、魔法に関してですが」
「うん?」
「お嬢様もご存じのように、私自身は魔法を使えないといっていい身です。知見もそれほどは深くありません。そのような私が、リーゼロッテお嬢様の家庭教師としてこのまま通い続けてよいものでしょうか?」
「えっ」
 リーゼロッテお嬢様は驚いたように小さく声をあげた。目をしばたかせ、若葉色の瞳でじっと私を見つめてくる。
「魔法に関してだけではありませんが……いえ、ともかく魔法の実践についての授業は、もっと適した人材を配された方がよろしいのではありませんか? リーゼロッテお嬢様の才を伸ばすためには、私では力不足ではないかと……もしやカトリン様はそれを案じておられるのではありませんか?」
「違う、そんなことは!」
 リーゼロッテ様は慌てたように、持ち上げかけていたティーカップを受け皿に戻した。カチャンと小さな音が鳴った。
「そんなことはない!」
 リーゼロッテお嬢様は前のめりになって語りだす。私はちょっと身を引いてしまった。
「わたしにはレギナルトがいてくれれば、それで十分だ。魔法だけじゃなく、他のことだって……歴史とか地理とか……植物のこととか、いろんなことを教えてもらって、すごく楽しい」
「…………」
 リーゼロッテお嬢様の「教育係」はほかに数人いる。令嬢としての礼儀作法を教える者もいるし、語学を教える教師もいる。それ以外の雑学を学ばせるため……要は話し相手として私はリーゼロッテお嬢様の元に通っている。
 まだ一年と少し。早々にお役御免になるとは考えていなかったが、その可能性もなくはないのだ。リーゼロッテお嬢様に魔法の才があるとわかった以上、適任者は私以外にいるだろう。
 黙り込む私を、リーゼロッテお嬢様はじっと見つめている。何か言わねばと思うのだが、うまく言葉にならない。
「レギナルトが辞めたいというのなら、わたしには止めることはできないが」
 リーゼロッテお嬢様のこうした複雑な表情を見るのは、初めてかもしれなかった。怒っているような悲しんでいるような……しかし若葉色の瞳に揺らぎはなく、まっすぐに私を見つめ、その視線が痛いほどだった。
「決してそのようなことは……」
 そもそも私から「辞めたい」などと言えるはずもない。私にその決定権は与えられていない。


 アクス家の次男は無為徒食の軟弱者。私の周囲からの評価はそのようなもので、そう謗られても致し方のない虚弱体質だ。寝込むたびに父母を心配、そして落胆させて、申し訳なくもそんな自分が腹立たしく悲しかった。男爵家の冷や飯食いとして生涯を終えるのかと悲嘆に暮れていた。
 だからエックホーフ伯爵のご令嬢の家庭教師のお役を与えられて、これで少しは父母の期待に応えられるのではないかと意気込んだのだ。
 そう、初めは「父母の期待に応えたい」と、ただそれだけだった。
 その思いは、頭の片隅にあるにはあるが、今では薄れてきている。
「リーゼロッテお嬢様。私は、お嬢様のお話相手として、今まで通り勤めさせていただきたいと思っております」
「レギナルト」
 ふうっ、とリーゼロッテお嬢様は深くため息をついた。
「レギナルトは、もうちょっと図々しくなってもいいと思うぞ?」