リーゼロッテと内緒の箱庭

「それにしても、本当に驚きました。短期間で、ここまで上達なさるとは。水を膜で覆って浮かせること自体が難しいのに、凍らせることまでできるとは……」
「教えた甲斐があったか?」
 リーゼロッテお嬢様は、まるで私の葛藤を読み取ったかのようなことを言う。
 私が笑んで「はい」と答えると、表情に変わりはないように見えて、なんとなくだがホッとしているようにもみえた。
「はじめは、あまり乗り気ではなかったんだ。わたしのような小さな魔力では、何を成すにしても、それほどの力にはならないし、役に立たないだろうと」
 私は軽くうなずいた。
 リーゼロッテお嬢様はふうっと息を吐く。それからカップの中の茶を飲んで喉を潤した。
 見た目にわかるほどではないにしろ、魔法を放つ際に体力も削られ、疲労する。リーゼロッテお嬢様もそれは承知しているようで、小皿に用意されていた砂糖菓子をふたつ、口に含んだ。
 
「そんな時に、カトリン姉様がおっしゃったのだ。できることをとりあえず増やしておけば、その分未来の選択肢が増えると。そうすればいつかなりたいものややりたいことが見つかるかもしれないし、見つかった時に役に立つかもしれないと」
 魔法剣士になったリーゼロッテお嬢様のすぐ上の姉君は、実体験としてそう語ったようだった。
「わたしはべつに、なりたいものなんてなかったんだ。でも、今は、なりたいと思うものがある」
「それは何かとお聞きしても?」
「……実はその……はじめは医師になりたいと思ったんだ。魔法を使えるとなれば、多少は有利かと。けれど、カトリン姉様に動機が不純だと笑われてしまった」
 言ってから、リーゼロッテお嬢様はふと視線をあげた。若葉色の瞳がじっとこちらを見据えている。何か言いたげなようにも見えたので、私は話を続けたいのかと、先を促した。
「そのような……動機がなんであれ、医師になりたいというのは、尊い望みかと思います」
「いや、実際不純というか……いや、その、医師じゃないんだ、なりたいのは。ただ、単純に、そう考えただで」
 リーゼロッテお嬢様は珍しくあたふたしている。心なしか頬にほんのり赤くなっているような?
「それは」
 どういうことでしょうかと問いを重ねようとした、その時だった。
 いきなり後ろに人の気配を感じ、びっくりする間もなくその気配が声を発したのだ。
「不純なのは間違いないしリゼに医師は向いてるかもしれないけど、そうなったらずっと傍にはいられなくなるだろうと言ったのよ? そうでしょ、リゼ」
 振り返ると、そこにいたのは今まさに話題に上がっていた人物、カトリン様だった。


 慌てて立ち上がり一礼すると、カトリン様は「お久しゅう」と笑いかけてくださった。リーゼロッテ様お嬢様と面立ちは多少似ておられるが、瞳の色ははしばみ色、髪は濃いブラウンで、おそらくは父親からその容貌を受け継いだのだろう。屈託なく気さくで、そのあたりはエックホーフ伯爵家の家風か。
 カトリン様とお会いする機会は少ないが、初対面の時からずっと身分に頓着せず話しかけてくれるので、ありがたくも……緊張してしまう。
「レギナルト、リゼの魔法の成果はみてくれたか? わたしからも、レギナルトには礼を言わねばと思っていた」
「恐れ入ります」
「裁縫や刺繍はまったく上達しないんだが、魔法には熱が入るようで、日々学びを楽しんでいるようだ。レギナルトの教え方が良いのだろう」
「いえ、私などはさほどの力にはなれず……むしろカトリン様のご助言があったからこそではありませんか?」
「そこも見抜かれたか」
 はははっ、と陽気に笑って、カトリン様はリーゼロッテお嬢様の横に並び立った。
「氷はもう溶けているな。持続性はまだまだといったところかな、リゼ?」
 ガラスボウルの中にあった氷はいつのまにか溶けきっていて、黄花が浮かんでいる。カトリン様はそれをひとつ手に取って、おどけたように片目をつむってみせた。
 リーゼロッテお嬢様はカトリン様をあえて無視するように私を見やる。横で、カトリン様は肩をすくめて笑っていた。
「できれば、凍らせるだけではなく、沸騰させるまでできたらよかったんだが。熱くするのは難しいな」
 ぬるま湯にすらならなかったと、リーゼロッテお嬢様は落胆する。……落胆するときは、存外顔に出やすい。

「焦る必要はありませんよ、リーゼロッテお嬢様。まず、凍らせること自体が難しいのですから」
「そうなのか?」
「例えば、熱湯は火を起こせば作ることが可能です。一瞬で、というのは難しいかもしれませんが、火力をあげれば沸騰するのも早くなります。そして火は、別に魔法を使わずとも作れますね?」
「うん」
「ですが、水を凍らせるのは、どうでしょう? どのような方法が考えられますか?」
「……そういえば……そうだな……水を凍らせるには、冷やさないといけなくて……我が家にも氷室はあるが、水を凍らせるのは時間がかかるな」
「氷室の温度を下げるのは、簡単ではないでしょう?」
「うん……そうだな。どうやって下げたらいいのか、思いつかないな……」

 リーゼロッテお嬢様は「うーん」と首をひねって考え込む。氷室には氷があるが、それだってもとは運び込んできたものだし、氷室自体もともと室温が低い場所だ。といって、氷室にあるものすべてが「凍って」いるわけではない……――
 考え込むリーゼロッテお嬢様を、私と同じくカトリン様もほほえまし気に見守っている。
「でしょう? つまりお嬢様は、先に難しい方の魔法を習得したんです。大いに誇って良いと思いますよ」
「そうか……そうだな!」
 明らかに、リーゼロッテお嬢様の表情は明るくなっている。
 分かりやすく破顔一笑、といった風ではないが、決して無表情などではない。嬉しさは、素直に表現してくれるお方だ。……いや、これも私の贔屓目かもしれないが。

「リゼのことは全肯定だな、レギナルト」
 可笑しそうにそういったのはカトリン様だ。
「否定するところがございませんから」
 私の答えに、カトリン様は愉快そうに笑い声をあげた。
 真面目に答えたつもりだが、笑わせてしまうようなところがあったろうか。
 不快な様子ではないからよいものの、私はちょっと戸惑ってしまった。
「これは惚気というやつかな? まあ、ともあれ安心した。問題なく話はまとまりそうじゃないか、リゼ?」
「カトリン姉様」
 リーゼロッテお嬢様は眉をしかめてカトリン様を睨みつけた。その眼光は鋭い。だがカトリン様は気づいていないのかわざと無視しているのか、喋るのをやめない。
「年回りはわたしの方が近くて良かったんだ」
 カトリン様は急にわたしの方に顔を向けて、唐突に尋ねてきた。
「レギナルトはたしか今年で二十歳だったか?」
「あ、いえ、二十一になりました」
「そうか。ならわたしとは三つ違いだな」
「……はい……?」
 いきなり、なぜ年齢の話に?
 私の戸惑い顔などお構いなしに、カトリン様は話を続ける。リーゼロッテお嬢様はむっとして黙りこんで、時折私の方に視線を向けるが、目が合うとぷいっと逸らしてしまう。
 なんだろうか、不可思議な空気になっている。私はここに居てもよいものだろうか?

「ま、そんなわけで、歳だけでみれば条件はわたしのほうが良いわけだ。それで、もしもの場合、わたしの方に話が回ってきたかもしれないんだ。知らなかったろう、リゼ?」

「そんな話、聞いてない」