リーゼロッテと内緒の箱庭

  今朝の「教室」は、伯爵家の庭園にある東屋だ。たびたび利用している場所だから、場所も覚えている。リーゼロッテお嬢様のお気に入りの場所であることも。
 芳香豊かな白薔薇が盛りのようだが、薬草も多く植えられていて、さながら薬草園だ。それゆえに、私にとっても心地いい場所となった。
 広い玄関ホールから中庭へ通じる廊下を進み、ほどなくして伯爵邸の東側につくられた庭園へと出た。雨の名残の匂いがふわりと鼻をかすめてくる。

 リーゼロッテお嬢様の家庭教師として伯爵家に通うようになって一年以上が経つ。
 しかし私が足を踏み入れていい場所は限られていて、学習室と称されたいくつかの部屋と図書室、そして屋敷の東側にある庭園のみだ。
 当然のことながら、これまでにただの一度も、リーゼロッテお嬢様の私室には入っていない。
 リーゼロッテお嬢様は頓着なく私を私室に招こうとするのだが、私は固辞し続けてきた。幸いお嬢様付きのメイドらも私に気を遣ってくれ、如才なく空き部屋を提供してくれた。
 リーゼロッテお嬢様は残念がっておいでだったが、無理押しはしてこなかった。リーゼロッテお嬢様は聡い方なのだが、どこか鈍いところもおありで、時々私を困惑させる。
 しかし、「いくら家庭教師といえど、私はこれでも男ですので、ご令嬢……女性の部屋に軽々しく入ることはできませんよ」と窘めるようなことを言った時、なぜなのかリーゼロッテお嬢様は嬉しげな様子だった。
 気を悪くなさらなくてよかったと安堵したが、リーゼロッテお嬢様が嬉しがる理由は、今もってわからない。
 リーゼロッテお嬢様は、そんな私の心情を知ってか知らずか、
「わたしの部屋から見える庭園は、なかなかに見応えがあるんだ」
 レギナルトにも見てもらいたいんだが、と無邪気に誘いをかけてくる。
 私は曖昧な微笑で答えるしかなかった。


 リーゼロッテお嬢様はお気に入りの庭園を指さして、今日は外の教室が良いと思ったんだと言う。お気に入りの場所だからなのかと思ったが、どうやらそれだけではなさそうだった。
「レギナルトに、報告したいことがあるんだ」
 一刻も早くそれを聞いてほしいとばかりに、私の傍に並び立つ。
 小柄なリーゼロッテ様と私とでは、頭一つ分くらいの身長差がある。横に並ばれると、リーゼロッテお嬢様のお顔がよく見えない。……と、思っているのが伝わったかのように、リーゼロッテお嬢様はたびたび私の顔を見上げてくる。瞬きが多く、落ち着かなげな様子だ。
 やわらかな栗毛の髪を二つにわけておさげに結んで、普段よりもさらに飾り気の少ない、ふくらはぎまでの丈の、シンプルなデザインのドレスをまとっている。女性のドレスの良し悪しは私にはよくわからないが、質素でも上等な生地のドレスなのはわかるし、さわやか薄藍色がお嬢様に似合っている。
「レギナルト」
 やにわに、リーゼロッテお嬢様は私の手を掴んだ。
 気が急いているのか、リーゼロッテお嬢様は速足になって私を引っ張っていく。
 こういう、伯爵令嬢としては少々不作法ともいえる行動に初めは戸惑っていた私だが、さすがに慣れてきて、無粋に窘めたりはしない。メイドらも同様のようで、やはりお嬢様を止めたりはしなかったし、なにやら楽しげでもある。


 東屋の下、丸いテーブルにはすでに茶の用意がされていた。ティーポットにかぶせられたティーコゼーを取り外して、慣れた手つきで茶を淹れたくれたのはメイドの一人だ。「少し冷ましてからお飲みください」と声を掛けられ、私は頷いて応じた。薬効のありそうなハーブティーのようだった。独特な甘い匂いは、すぐに薄れた。
 テーブルには、茶のセットとは別に透明なガラス製の丸いボウルが置かれていた。そこに水が張られており、三つほど、小さな黄色い花が浮かんでいる。
「では、お嬢様私共はこれで」と、き従ってきた三人のメイドのうち二人は邸内に戻り、一人は東屋から一段下がったところで待機している。
 すっかり顔なじみになったお嬢様付きのメイドは、私と同年の二十一歳。やはり男爵家の出身らしい。
 私が会釈をすると、彼女は目礼のみにとどめた。

「レギナルト、そこに座ってくれ」
 リーゼロッテお嬢様に促されるままベンチに腰かけると、リーゼロッテお嬢様はテーブルの向こう側に回り込んだ。そして水の張られたガラスのボウルに手をかざす。
 リーゼロッテお嬢様は、軽く目を閉じて深呼吸をする。そして瞼をあげる。若葉色の瞳はひたと水面を見つめている。

 そして、それは「生じた」。
 私は思わず目を見張る。
 魔力の発生を感じた。それは紛れもなくリーゼロッテお嬢様の「魔力」だ。
 リーゼロッテお嬢様は再び深呼吸をし、両手で水の表面を覆うようにしていた手をゆっくりと上げていく。身体に一瞬の力みが入る。そして……――
浮上(レヴィテイト)
 発語、そして水が数度踊るように跳ねて、やがて空中に浮かび上がった。

 ――魔法である。
 微力な魔力ではあるが、たしかにリーゼロッテお嬢様の手のひらから魔力が放たれ、それが魔法として形成された。しかも発語した通りの様相で魔法が発動している。
 リーゼロッテお嬢様に、力んだ様子はもう見られなかった。
球体(スファイラ)
 二度目の発語も単純なものだが、それだけに精度が高い。リーゼロッテお嬢様は手のひらを返してその手の上に水の玉を浮かび上がらせた。水の玉の中に黄色い花が包み込まれている。
氷結(プルイーナ)
 三つ目の単語で、魔法の発動の一時停止が成されたようだった。

「どうだろうか、レギナルト!」
 リーゼロッテお嬢様の頬がほんのりと紅潮していた。が、すぐに気息が整えられて、通常の顔色に戻る。
 このあたりの気息の整え方はさすがと言うべきだろう。
 リーゼロッテお嬢様は丸く凍らせた水の玉をその手に載せたまま私を見て言った。
「まだこのくらいしかできないが、どうしてもレギナルトに見てほしくて」
 表情は変わらず真顔のままに見えるが、声音は嬉しげだった。
「素晴らしいです、お嬢様。まさかここまで練達なさるとは」
 ほんとうに驚きました、と私が感嘆すると、お嬢様はほっとしたように肩の力を抜いて、氷の玉を元のガラスのボウルに戻した。氷はまだ、氷のまま維持されている。
 一息ついて、リーゼロッテお嬢様もベンチに腰かけた。ティーカップを持つ手にいささかの震えもなく、体のこわばりも見受けられない。通常通りの体の動きだ。お茶は程よい温度になっているようで、湯気はもう上っていなかった。

 いったいどれほど練習したのだろう。
 水を「水の玉」にして浮かせるだけでも難しいはずなのに、さらにそれを凍らせるとは?
 魔力の放出自体は少ないものだが、魔力の収束のさせ方は驚くほど速い。そして正確だ。
 リーゼロッテお嬢様は、
「毎日こつこつ続けたんだ、レギナルトが言うように」
 リーゼロッテお嬢様はこつこつ続けるのは、存外性に合っているようだと、微かに笑った……ように見えた。