線香花火


「涼」
 再び肩を叩かれて、俺ははっとして顔をあげた。
 圭一は微かな笑みを浮かべていた。
 からかうようなまなざしではない。ひどく真摯で、そしてやはり逸美に似ていた。
「解放していいんだ、涼も、逸美もさ」
「…………」
「忘れろってことじゃないぞ、言っとくが」
「……ああ」
 頬に、熱い何かが伝っている。
 それに気づいたのは、もしかしたら圭一のほうが先だったのかもしれない。
 俺から視線をはずし、もう一度、今度は背中を叩いた。
「今日は、来てくれてありがとな、涼」
 それから圭一は、防火用に持ってきたバケツを持ち、踵を返した。
「じゃぁな、涼」
 俺に何も言わせまいと、圭一は素っ気無い態度で、立ち去ろうとする。
 慌てて呼びかけた。
「圭一」
 圭一は、肩越しに振り返った。こちらに戻ってくる様子はなかった。
「また、連絡する」
「おお、そうか」
 携帯電話の番号は変わってないから、そっちになー、と気軽に返してくる。
「じゃ、おまえも気を付けて帰れよ、涼。あ、あと、安全運転しろなー?」
「分ってる」
 わかってる、それはもう十分すぎるほどに。
「分ってんなら、良しっ!」
 わざとおどけたようにいって、圭一は軽く手を振る。
 明日、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。
 明日は逸美の一周忌なんだろう。それは訊かなかった。行くとも、言えなかった。
 圭一も何も言わず、そのまま立ち去った。
 自転車でここまで来たらしい。自転車のヘッドライトは夜闇に紛れ、すぐに見えなくなった。
 圭一を追いかけるでもなく、公園から出るでもなく、俺はそのまま立ち尽くし、そして夜空を仰いだ。月もなく、星もよくは見えない。視界が滲んでいるのは、線香花火の煙の名残だろう。


 瞼を閉じると、線香花火の幻影がまたたいていた。
 か細く燃えて、弾ける。儚いが、きれいだ。
 逸美の絵葉書の絵が、瞼の内に残っていた。
 逸美の描いた絵はありふれたものだし、色調も淡い。逸美そのもののような、線香花火だ。
 美化してるな、と我ながら思う。思い出だけしかないから、どうしたって美しいものだと思いたがる。
 両手で、顔を撫でた。
 ゆるやかに、気が落ち着いていく。
 思い出を、ちょっとくらい美化してもいいだろう。
 無意識的に抱えていた不確かな“想い”が、明確な“想い”に変わっていく。
 だがそれも、薄れていく。
 それでいいのだと、俺も思った。


 花火の残り香を仄かに残した夜風が、俺の体をかすめて、遠ざかっていった。