線香花火


 顔立ちは似ているものの、圭一とは違って口数の少ない、控えで大人しい女の子だった。
 同級生の妹としてしか認識してなかった、「山岡逸美」。
 短い挨拶と、あたりさわりのない会話をするだけだった。特別に意識していた感覚はない。
 なかなか可愛い子だな。それくらいの感情はあった。だが、それ以上には発展しなかった。発展させないようにしていた……のかもしれない。
 高校を卒業し、俺は就職、圭一は大学進学。
 環境の変化は、そのまま圭一との関係をも変化させた。もともとこまめに連絡を取り合う方ではなかったから、どちらからともなく疎遠になり、そのまま、お互い別々の日常を作っていった。
 圭一との距離が遠ざかったと同時に、逸美との「関係」はさらに薄らぎ、もはや会うこともないだろうと思われた。
 ただ、どうしてだろうか。
 逸美のことをふと思いだす時があった。
 逸美のあの、何か言いたげな、なのに結局言えずに俯いてしまう、戸惑いがちな瞳と表情。

 もう、訊くことはできない。
 いつも、俺に何か言いたそうにしていた、逸美に。
 もう、会うこともない。
 いつも離れた場所からとまどいがちに俺を見ていた、逸美に。
 もう二度と、会えない。
 それを知らされたのは、一年前の夏。
 一年前、偶然見たニュースが、俺にそれを「報せ」た。


「おまえもさ」
 パチパチと音を弾かせている線香花火の向こう側、圭一の顔は影を落とし、よく見えない。
 白目だけが、妙に浮いて見えた。遠慮がちに、俺を見ているようだった。
「涼、おまえ……逸美のこと」
「…………」
「いやまぁ、野暮なのはわかってるけどよ」
「…………」
 俺は黙りこくったまま、ただ、線香花火を見つめていた。
 頷けば、圭一は納得するのだろうか。安心し、喜ぶのだろうか。
 否定すれば、それはそれで納得するのか。それとも落胆するだろうか。
 空ろな頭で、そんなことをぼんやりと考えていた。
「まぁ、けど過去のことだよな、それも」
 圭一は結局、俺の返答など求めていなかった。確認はしたかったのかもしれない。だが、俺の無言を、そのまま受け入れた。おそらくは、最初から俺の反応を期待してはいなかったのかもしれない。
 明確にする必要も、今はもうないのだから。
「お、ついに最後だな、花火」
「ああ」
「儚いもんだなぁ、花火なんてよ」
 圭一は、らしくなくしんみりとした声で、呟いた。
「そうだな」
 慰めの言葉など、出るはずもない。
 まだ、たった一年だ。何を言っても「慰め」になどなるはずがない。
「儚いけど、キレイなもんだよな?」
「そうだな」
 俺はバカの一つおぼえのように、ただ、頷くことしかできない。
 最後の一本、それは、俺が握らされた。
「ほれ、ラスト」
 最後の線香花火は、勢いよく、火花を散らした。細い細い、火の糸。それが放射線状にひろがり、さらにその先端がまた四方に火花を散らしている。やがて火の勢いは小さくなり、朱色の火が中心に収束していく。
 俺の手が、わずかに震えた。
 肩が、腕が奇妙に重怠い。緊張したときのように体が固まって、線香花火を揺らさないでいるのが難しかった。
 一つに固まった火の玉が、ぶるぶると震えている。
 見たことはないが、人魂というやつはもしかしたら、こんな風なのかもしれない。不気味で、弱い。だが、燃えている。
 俺こそらしくなく、そんなことをふと思った。
 喉の奥が、ひどく痛む。
 ポタリ、と、火の玉が地に落ちた。
 一瞬だった。

 一瞬、だったろうか。
 ――車が突っ込んだ瞬間と、逸美の命が散った瞬間は。


 鼻の奥まで、ツンとして痛い。
 線香花火の煙が喉に入り込んだようだ。俺は軽く咳き込み、唾を吐き捨てた。
「涼、ハガキ出せよ」
「あ?」
「ハガキ。持って来いって書いたろ?」
「あ、ああ」
 ジーンズの後ろポケットにしまってあったそれを差し出すと、圭一は少しだけ不機嫌そうな顔をした。どうしてそう無造作なんだ。皺も寄ってるじゃないか。もっと大事に持って来いよ、とでも責めたげな様子だったが、苦いため息をついただけにとどめた。
 圭一は腰をのばし、ゆっくりと立ち上がった。それからライターに火を灯す。
 カチッ。
「あっ」
 俺は、慌てて立ち上がった。
「おい、圭一っ!?」
 ハガキに移った火は、瞬く間に勢いをつけて、煙を立ち昇らせていく。
 圭一は、手を開いた。
 ハガキが、炎と煙とともに、落ちる。
 一瞬だった。
 黒い燃え滓が、バケツの中に落ち、水に溶けるようにして、消えた。
「圭一……」
「いいんだよ、これで」
 圭一は俺を見つめ返すと、穏やかに笑って、言った。
「こうすることを、逸美も望んでたかどうかは俺にはわからん。けど、こうしたほうがいいんだ。おまえのためにもな」
「…………」
 なぜ、という問いは声にならなかった。
 なぜ、俺はこんなに切なくなっているのだろう。その答えを明確な言葉を圭一に止められたような気すらした。
 灰が、風に舞った。燃え尽きて灰になった逸美の絵葉書は、消えてなくなった。
 供養のつもりかよ、という俺のつぶやきを、圭一は拾った。
「そういうんじゃねーけど。ま、そうかもな?」
 圭一の声音は、小さな笑みを含んで、穏やかなものだった。
「逸美の存在そのものが消えたわけじゃない。在り方が変わっただけだ。少なくとも、俺はそう思ってる。無理に記憶に繋ぎとめておくことはないんだよ」
 圭一は俺の肩を軽く叩いた。そこに乗っかっていた何かを払いのけるかのような、仕草だった。

 あれからずっと、逸美のことを想っては、後悔していた。
 話しかけたそうにしていた逸美のことを、俺はあえて無視して、……無視することで視線を繋ぎとめようとしていた。逸美の視線を、ずっと感じていたかった。
 けれど、その想いがなんだったのか、明確には掴めていなかった。
 知ろうとしなかった。
 ニュースを見て、逸美がこの世のどこにもいなくなったと知り、愚かしくも、俺の方こそが逸美を見ていたのではと……――